若葉区ももうすぐ満 [花、植物]
練習場所の近くに何本か桜があって、満開一歩手前の状態です。
周囲には住宅があるので広角で狙うのは難しいです。
明日からしばらく雨が続くようですが、そうでなければ明後日あたり満開でしょう。
蕾が一緒に見られる今もいいですね。
なかなかいいバックがありません。
今回は全部 80mm マクロです。
曇りでコントラストが低いので調整しています。
斜面に沿って枝が伸びているのがすごいです。
こんなに咲いていてもことの気は誰も撮影している人はいませんでした。
みなさんよく知られた場所に行っているのかもしれません。
魅惑の月光椿 [花、植物]
いつもはのんびりする祝日の朝ですが、気持ちの良い朝ですし花も気になるのでカメラを持ち出しました。
どうしても気になるのは月光椿です。
雄蕊が一つだけ変化したような個体がありました。
普通の椿の、米粒のようなコーヒー豆のような雄蕊が外側に開くのではないかと思います。
他の雄蕊も少し開いているように見えます。
この開き具合は個体によってずいぶん違いがあるようです。
これはもうほとんどが変化してしまっていて、黄色い花粉が縁に残っています。
これは内側から変化が進んでいるようです。
これはまだ咲き始めたばかりのように見えるのですが、ほとんどが開いた状態でしかも密集しています。
これもまだ咲いてからそれほど経っていないように見えるのですがまるで一つ一つが思い思いに変化しているかのようです。
いろいろです。
これはまだほとんど変化が進んでいません。
こうして見てくると、全部が同じように雄蕊からだんだん開いていくのではなくて咲き始めの状態にまず違いがあるのではないかと思えてきます。
不思議です。
乙女椿を見て気持ちを落ち着けます。
この椿は本当に真っ赤で、これがポトっと落ちているのを見るとちょっとドキッとします。
たくさん落ちています。
雄蕊は控えめです。
二番手のカタクリはまだ開きません。
これは珍しい姿で、雄蕊が花弁から飛び出してしまっています。
咲くとどんな感じでしょう?
最初のカタクリはすっかり終わって種子ができています。
これが熟して落ちるとアリが巣に運びます。
そして数年後雑草のようなものが姿を表します。
写真は6年前の泉自然公園で撮ったものです。
タンポポも咲いています。
気持ちの良い季節を満喫しましょう。
月光椿が咲き誇る [花、植物]
今朝も春らしい朝ですが、地平付近には雲があって太陽が顔を見せた時はだいぶ上の方にありました。
日曜の朝の続きです。
椿がとにかくたくさん咲いています。
白は少ないですが赤の中に混じるといいですね。
椿は付け根から落ちるので昔は病気の人へのお見舞いには避けられました。
水仙の種類も増えています。
椿の雄蕊は米粒のようです。
一箇所に複数の種類が咲いています。
前日は結構降りました。
さて月光椿です。
あの米粒のような雄蕊が開いて小さな花弁にようになるのではないかと思います。
白い花弁のようなものの縁に黄色い花粉と思われるものがついています。
咲き始めはこうであるようです。
稀に白いはずの部分が赤みを帯びるものがあります。
これ全部が赤いのは日光椿と呼ばれるようです。
総称して卜伴椿。
唐子咲きという咲き方です。
この開き方は個体によって違いがあるようで、先始めから白い部分が多いものもあれば大部分黄色のものもあります。
乙女椿を見るとホッとします。
ここでも異なる品種が混じっています。
これも乙女椿。
蕊が退化してくなっています。
中心部には小さな筍のようなものがあってそこに花弁がついています。
サザンカのように花弁が散るのではなく、他の椿のように付け根から落ちるのでもなく、このまま茶色くなって終わります。
こちらはいつも傷んでしまって良い状態がなかなか撮れない品種です。
今年はたくさん咲いて、まだ傷みも見られません。
嬉しいとついたくさん撮ってしまいます。
春蘭は目立たないところを好みます。
寄り添うようにヒヤシンスも咲いています。
八重の枝垂れ桜。
色が濃いですね。
ユキヤナギだと思うのですが、真っ白ではありません。
上にほぼまっすぐに伸びているので違うのかもしれません。
変化があって楽しいですね。
徐々に日が差します。
花弁が割り込むように咲く品種です。
愛好家が多いのもわかりますね。
辛夷と木蓮 [花、植物]
昨日の夕方、カタクリの他にも少し撮りました。
夕方なので光の状態も朝とは違って戸惑います。
日没の少し前なのでオレンジが被りますが、なるべく補正します。
それでもちょっと不自然です。
それは置いといて、これはコブシです。
花が咲くまでは何だかわからなかった木ですが、ハクモクレンによく似た花が咲きます。
ちょっと違うのは花弁がやや細いこととと開き切るように咲く事、それに付け根の葉です。
ハクモクレンには葉はありません。
ヒマラヤユキノシタも結構進行が早いです。
こちらがハクモクレン。
花弁はこれ以上開かず、付け根には葉はありません
こちらはシデコブシ。
シデは紙垂や四手と書き、しめ縄や玉串につける紙のことです。
それに似ているとして名付けられたのでしょう。
ヒメコブシとも言います。
芝桜が増えました。
以前は土手いっぱいに咲いたのですが、昔に比べると少なくなりました。
白い水仙もまとまって咲き始めました。
色だけ見るとペーパーホワイトのようですが、中心部は白ではなく、咲き方や姿も少し異なります。
シデコブシですが、この色を見るとヒメコブシと言いたくなります。
昨日の朝の続きがあるので明日の朝アップします。
開花は週明けか:二番手のカタクリ [花、植物]
帰った時はまだ少し明るかったのでカタクリの様子を見てみました。
今朝の写真では分かりづらかったと思いますが、一番左が二番手で、その右三か所に葉が出ています。
一番右はやっと蕾が少し大きくなったところ。
右隣は蕾が見えたばかりのようです。
蕾は最初は上を向いているのですね。
こちらは二番手の蕾。
明日の午前中には開きそうです。
この姿は翼竜みたいですね。
葉の模様や色が一様ではないのですが、カタクリにも細かく分けると種類がいくつかあるのでしょうか?
今度詳しい人に訊いてみましょう。
椿時代の始まり [花、植物]
良いお天気の朝です。
気温は低めですが、この時期らしいお天気です。
昨日からお彼岸。
本当は昨日お墓に行く予定でしたが一日中雨だったのでこれから行きます。
庭では椿がとても賑やかになりました。
水仙はこれからが本番です。
ヒメリュウキンカは朝は閉じています。
さて様々な種類の椿です。
マーブル模様が個性的です。
単色で花弁は開き気味。
可憐な乙女椿。
見た目が違いますがこれも乙女椿。
雨で傷んだものも多いですが、きれいなものもありますしこれから咲くものもあるハクモクレンです。
別の場所にはコブシも咲いています。
ハクモクレンには葉はありません。
ヒヤシンスもこれから増えてきます。
ヒマラヤユキノシタはピークかもしれません。
水は十分補給されました。
我が家のヒヤシンスは小ぶりなものが多いです。
クリスマスローズは蕊が落ちてしまっても花弁はしっかりしています。
我が家の周囲は大部分が椿の垣根です。
品種によってずいぶん姿が違います。
シデコブシは雨や風に弱いですが、まだなんとか見られます。
優しい色です。
たくさん咲いてくれています。
別の品種が混じったりもします。
繊細で傷みやすい品種です。
あまり開かない品種です。
白はどちらかと言えば少数派です。
こちらは辛夷。
付け根に葉があります。
ハクモクレンによく似ていますが、花弁はハクモクレンより細いです。
反り返ります。
花が咲くようになったのは数年前なので、それまでは何の木なのか分かりませんでした。
色はきれい、形はダイナミック。
いかにも椿という色です。
急に咲き始めました。
朝日が差し始めています。
最初に咲いたカタクリの一群はもう終わりです。
二番手がもうすぐ咲きます。
最初の一群のそばに新しいものが二つ葉を出しました。
少し離れたところに三つ。
いつもはこのくらいの時期に最初のが蕾を持ちます。
低い位置にも咲くので雨足が強いと泥が跳ねます。
ペーパーホワイトに似ていますが、中心部は白ではなくてアイヴォリーのようなクリーム色のような色です。
ニリンソウの葉が繁っています。よく見ると蕾ができています。
今までなかった少し離れた場所にも葉が出ました。
だんだん増えてくれそうです。
今日は過ごしやすい一日になるようです。
お墓を掃除してお線香をあげてきましょう。
読み終わった宮台さんの共著 [本]
ずっと雨でした。
お供えの花を買ってきました。
いつもは庭の花で間に合わせているのですがたまにはいいでしょう。
菊が強く香ります。
一度取り上げた本ですが、元々あの事件がどうして起こったのか、宮台さんがどういうことを言う人なのかを知ろうと思ったのが手に取った理由でした。
永田さんと かがり さんがタレントの不祥事を受けたレコード会社の対応について意を唱えているのが第一章と第二章なのですが、それを受けて第三章で宮台さんが論を述べるという構成になっています。
第二章 歴史と証言から振り返る「自粛」 かがりはるき
第二節 事務所、ミュージシャン、レコード会社それぞれの証言
(レコード会社元幹部・代沢五郎の証言)
P124
しかし、そうした厳しい対応が求められているとはいえ、罪を犯したアーティストの過去の作品群にまで大鉈がふるわれるのは「やり過ぎ」にも思えます。その違和感を口にすると、代沢さんは「作品」と「アーティスト」に関する持論にそってこのように答えました。
「それは今の音楽業界がアーティストを売る力学で動いているからです。かつては、いい『作品』に対してプロモーションをかけるものでした。しかし80年代初頭ぐらいから、作品ではなく『アーティスト』のプロモーションをする戦略に移行しました。アーティスト本人に価値がある方が、利益が最大化されるからです。だから曲ではなくアーティストを売る。するとシングルだけではなくアルバムも売れる。グッズも売れる。客単価が上がります。
ただ、このロジックを意識しているユーザーはほとんどいないでしょう。レコード会社側でさえ、これが自分たちの都合で作ったシステムだと理解している人間は少ないかもしれない。今のユーザーの多くは、曲ではなくアーティストを消費しているんです。『アーティスト自体が作品』というシステムを音楽業界が作り、ユーザーも無意識に受け入れているのが今の実態です。だとすれば、『作品に罪はない』というのはどの口が言うのかということになりますよね(笑)。例えば以前の佐村河内守さんの件なんて、この構造の最たるものです。作品に罪がないのなら、ゴーストライターがいようがいまいが、本人が障害者であろうがなかろうが、どっちでもいいはずだけど、佐村河内さんの作品が市場から消えても誰も怒らないでしょう」
(中略)
ところで、レコード会社にとっての主な取引先・顧客といえば、小売店、広告代理店、そして我々消費者でしょう。しかし、消費者からレコード会社に対して「なんでこんな犯罪者の曲をリリースしているのだ」といった類の苦情が寄せられたことがあるかといえば、少なくとも代沢さんの知る限りでは「記憶にない」そうです。ならば、レコード会社は何を恐れているのでしょう。
「他のアーティストへの影響は怖いですよね。メディアや広告代理店に迷惑をかけて、もし『あそこの会社はコンプライアンス的にNGだ』となったら、会社丸ごと出入り禁止、みたいなことも可能性としてはあり得るんですよ」
では、我々の署名活動を、代沢さんはどのように捉えているのでしょうか。
「署名に関しては、自分の名前を出して闘っている部分に対しては敬意があります」と前置きしつつも、「賛同はできません。まず、署名活動の中で謳われている『安易な自粛』という言葉がひっかかります。レコード会社も『”安”らかに、”易”々とやっている』訳じゃない。血が流れているんです」と厳しく強い口調になりました。血が流れている、とはどういう意味でしょう。
「CDの出荷停止や、ましてや回収なんていうのは、会社にとって本当に大打撃なんですよ。安易なんてことはあり得ない、大きな痛みを伴うことを覚悟した苦渋の決断なんです。私が働いていたレコード会社である著名アーティストが逮捕された時には、回収や売り上げ低下の責任をとって数人の社員が辞めざるを得ない事態にまでなりました。「ゴチャゴチャ言われる前に回収しとくか』みたいなノリではないですよ。少なくとも」
レコード会社も痛みを感じながら自粛をしているのならば、そうした自粛そのもののあり方を変える訳にはいかないのでしょうか。私たちがソニー・ミュージックレーベルズへ提出した6万4606人の反対署名は、こうした慣習を見直すきっかけにできないのでしょうか。
「恐らくレコード会社の人たちも、『こんなに多くの人が反対するのか』という感覚はあったのではないかと推測します。しかし、この時代にレコード会社が相対せざるを得ないのは、『血に飢えた正義のガーディアン(守護者)』たちです。それに対抗するには6万はあまりに少ないのではないかとも思います。彼らは表に出てこないから見えない。数も分からない。何をするかも分からない。それでいて口コミという、今やTVなんかをしのぐ影響力を持つメディアを動かしている要素でもある。また、水に落ちた犬は叩くけど、同時に薄っぺらい感動ネタにも簡単に反応してくれて『応援ソング』を買ってくれる大事な太客でもある。本当に始末が悪いんですよ」
(中略)
「魔女狩りが自粛に一役買っているのは間違いないと思います。これに皆さんが声を上げてくれたことはありがたいと思いますが、そのメッセージが烏合の衆に響くかというと疑問です。
一方、レコード会社に訴えても意味がないと思います。なぜなら彼らは、職務を忠実に全うしようとしているだけですから。『誰も望まない自粛。誰も得をしないじゃないか』とおっしゃいますが、『短期的にはそう見えるが、中長期でいえばそっちの方が儲かるからやってんだよ!』ってことなんですよ。痛みは伴うけど、倫理を守った方が結局は儲かる。公害を出してから補償するより、公害を出さないようにコストをかけた方が結局安くつく。企業倫理ってものの本質はそれですから。倫理規範の導入が利益の最大化に繋がることにレコード会社もようやく気づいたってことじゃないでしょうか」
◆◆ ここでは永田さんや かがり さんの主張に対して、もとレコード会社にいらした方のがレコード会社の実情というものを述べられています。
決して「安易に」出荷停止や配信停止をしているわけではないのだということです。
次が宮台さんの論ですが、ここで述べられている「双剣論」がとても興味深いです。
第三章 アートこそが社会の基本だ 宮台真司
第一節 快不快は公共性を持たない
P142
西ローマの「双剣論」
(中略)
ローマ帝国末期。この頃は西ローマ帝国と東ローマ帝国に東西分裂していました。そして法と道徳の分離が確立されたのは西ローマ帝国(395〜476年)でのことです。東ローマ帝国(395〜1453年)ではそれはなかった。西ローマ帝国特有の現象だったのです。
西ローマ帝国では、宗教学で言う「双剣論」、つまり世俗の権力は王に、超越の権力は教皇にという考え方が根付いていました。教皇が形式的な儀式としての戴冠権を持っていて、戴冠されたものが王様として世俗の権力をそれぞれの領域内で行使したということです。
だから法の領域と宗教の領域は互いに自立しています。法に従う従わないという世俗の営みの外形と、心すなわち身体の内側を、区別するのです。これが双剣論のベースです。
双剣論は西ローマ帝国にだけありました。西ローマ帝国は1500年ほど前に滅びました。他方、東ローマ帝国は全く異なっています。東ローマ帝国においては世俗の権力と宗教の権力が重なっていました。東ローマ皇帝は、世俗的にも超越的にも最高権力者だったのです。
このことについて面白い話があります。僕の師匠である社会学者の小室直樹は冷戦当時、西側と東側の対立は、イデオロギー対立に見えて、それは文化的な表現型の話に過ぎず、本質は「文化的な遺伝子型が西ローマ型か東ローマ型かということだ」と見抜きました。
良からぬ思いを抱く者がいるとします。西側では「思うだけなら構わない」「そう思っている証拠がない」とされますが、東側では「あいつは良からぬ思いを抱いている」との密告が奨励され処刑されます。世俗の権力と超越の権力が一致している東ローマ帝国ならでは、です。
そこには「身体と心の分離」「外面と内面の分離」がありません。行為が法に従わなければならないように、心も法に従うべきだ、との理屈が通ってしまう。そのため東ローマ帝国の文化的影響下にあった東側では、特定のイデオロギーを押し付けることが平気で行われたのです。
東ドイツの秘密警察「シュタージ」は、市民の思想を厳しく監視することで有名でしたが、こうした東側の秘密警察を中心とした特定イデオロギーの押し付けは、東ローマ帝国の文化的遺伝子の表現型だ、というのが小室直樹の主張でした。学問の見本となる慧眼です。
逆に言うと、先進国と呼ばれる西側における「思想・信仰・表現」の自由は、普遍的真理と言えるものではなく、西ローマ帝国的な文化的遺伝子による文化的産物に過ぎません。「思想・信仰・表現」の自由も、歴史的な偶然の果てに得られた文化的な原則なのです。
第三節 好きなものを好きと言おう
P183
ネット炎上は神経症的
ネット炎上やネトウヨの営みは、フロムが喝破したワイマール没落中流と同じくダメ意識から逃げたい人々による埋め合わせです。不安に駆られると不安の源とは無関心な反復で埋めようとするというのがフロイトの神経症図式。同じ図式で政治的支持の背景を分析できるのです。
人は孤立すると不安ゆえに疑心暗鬼化するゲノム的性質があります。この性質ゆえに仲間集団を作る人々だけが生存上合理的だから生き残った。なぜなら仲間集団を失って不安になると言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン化の神経症的傾向が顕在化してテイをなさないからです。
テイをなさない人々を「病気になって人間モドキという虫にになった」と見れば腹も立ちません。人がカブトムシに腹を立てないのと同じです。だから僕はラジオ等で「炎上上等」の構えで発言します。ネット炎上やネトウヨに怯える人の気が知れません。
ずっと読んできて、これだなと思いました。
師匠と呼ぶ小室直樹さんは極右なのだそうですが、この文章を読む限りでは宮台さんがそうだという印象はありません。
しかし「炎上上等」と明言されていますし、引用しなかった部分などで述べられている主張などからは一部の人から強く反発をと受けそうだという印象を持ちます。
あの事件の犯人の真意を知る術はありませんが、この本で述べられているような主張やあるいは他の場で述べられていることの何かが犯人に刺さったのかもしれないと思います。
仮にそうであったとしても、論戦を挑むでもなく相手の命を奪ってしまおうという行動、挙句は自ら命を絶ってしまって弁明の機会さえなくしてしまうというのはみが手という他ないのかなと思います。
千葉も開花か [花、植物]
動物公園近くでは河津桜はすっかり終わり、ソメイヨシノが咲き始めました。
コブシも咲いています。
スイセンも。
もう五輪以上咲いています。
ユキヤナギも見頃です。
来週の半ばには見頃になるかもしれません。
花桃もあります。
花が終わると小さな実ができます。
明日は母の通院の日なので朝の更新はお休みします。
雨の予報なので撮影もできないと思います。
ご縁はないけど:大黄金展@そごう千葉店
成り行きで観てきたのですが、10百万円以上のものがずらりで、目が泳いでしまいました。
少し観ているとスタッフが一人張り付いて説明を始めます。
警備員さんの姿もあります。
ざっと眺めて帰ろうと思ったのに、一通り観ることになってしまいました。
中は大部分が撮影禁止で、会場外のこれらだけが撮影できました。
フィギュアやら将棋の駒やら小判やら仏具やら兎に角いろいろありますが、担当の方が おりん(18k) を叩いて聞かせてくれましたが、大きさや素性によって音の高さが様々ですが特筆すべきは余韻の長さです。
手で止めないとずっと鳴っているかのようです。
独鈷など、プラチナ製のものもありました。
高価なものばかりですがほとんど全部が作家さんの作品なので使用された金の重量に時価を掛けたものよりかなり高価です。
今ロシアのお金持ちがみんな金を買っているらしく、それもあってか金が非常に高くなっていてパラジウムが一時に比べるとかなり安くなったのに比べると長期的には安定していると言えます。
やはり資産として持つには金なのかなと思います。
作家さんの作品や一時持て囃されたメイプルリーフ金貨などに比べて、持つなら地金です。
ただ、地金だと一番小さいもので 100g でしょうから簡単には買うことができません。
また、相続税対策としては おりん などの仏具がいいと言われます。
仕舞い込んでおくとダメだそうですが、仏具として使っていれば相続財産から除外されるそうです。
でも、18k の おりん なんか置いておいたらすぐなくなってしまいそうですが。
会場ではインゴットの分割、金やプラチナの買取なども行っているようでした。
これらは非売品です。
かなり大きいです。
何 kg あるのでしょう?
こんな大きなものはともかくとして、きんきらきんのものを買ったとして、どこに置くんでしょうね?
なんというデカさ、と思ったら金箔を貼ったものだそうです。
なんか他のものでも良かったように思いますが。
頭が疲れてしまいました。
春を実感 [花、植物]
急に春めいてきて、走っていると紫木蓮や拳が咲いているのを見るようになりました。
今日は少し早めに帰ったのでまだ撮影できるほどには明るかったので少し庭を撮りました。
日曜から咲き始めた椿です。
きれいな白です。
すぐ近くに赤も咲いています。
花弁が傷みやすい品種です。
最初に咲いたカタクリはもう終わりを迎えます。
次が顔を出しました。
別の場所に新しく葉が出ました。
この品種も色、形ともにきれいです。
ヒマラヤユキノシタは咲き誇っています。
ハクモクレンが一斉に咲いています。
春一番が吹いてから開いたようで、花弁には傷みはありません。
スイセンも次々に咲いています。
そろそろ暗くなってきました。
撮っておかなくてはと思ったのはシデコブシ(ヒメコブシ)です。
土曜の昼頃には咲き始めました。
これも傷みやすいので週末まで待っていると傷んでしまいそうです。
金曜の夜から雨のようですし、土曜は結構降るようです。
白木蓮が向こうに見えます。
こちらでは桜はまだです。
来週半ばには見られるかもしれません。
その週末はお花見の人出が多くなるでしょう。
泉自然公園がこの辺では一番の名所です。