いよいよ、とうとう、決勝戦 [カーリング]
一連の報道で常呂町はカーリングの聖地でカーリングが盛んであるというイメージが植え付けられましたが、小野寺さんたちがなぜ青森に移らなければならなかったのかがこれらの資料を読み、視るとわかってきます。
映画のメイキングで大泉洋さんが言っていますが、町中がカーリングに沸いているというイメージとはちょっと違うようです。
実業団としてのチームを持てるような企業はなく、本橋さんがクラブチームを作りたいと言った時も本場であるはずの北見でも反応は「え?」といったものだったようです。
合併して北見市となってもカーリングホールのある常呂町はもともと人口五千人ほど。
大きな企業はないのです。
カーリング専用ホールができたのが不思議なほどです。
(映画は実際に常呂町とこのホールで撮影されています)
チーム青森の前身の「フォルティウス」の結成、「シムソンズ」の次の世代の「空知こざくら」から目黒さんが参加する経緯、本橋さんの参加などにも触れられています。
カーリングのチーム名はある時規則が変更されてリーダーの名前か企業名、地域名を使わなければならなくなったそうです。「チーム青森」はその時名付けられました。
「LS北見」の元々のチーム名は「ロコ・ソラーレ」ですが、規則によりそれだけで登録することはできないため地名の「北見」をつけているそうです。
「ロコ・ソラーレ」は “常呂っ子” の「ロコ」とイタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」の意味というのが公式の説明ですが、”常呂” をアルファベットで表記すると TOKORO で、L ではなく R が使われるので最初に知った時はちょっと不思議に思いました。
でも日本人ですから発音は L ですね。
実際のところは LS は本橋さんの所属する「NTTラーニングシステムズ」の略称であるようです。
常呂っ子、というのは後付けかなという印象です。
ネットのニュースなどを読むと選手の皆さんが願っているような、カーリングに関心が持つ人が増えた、というよりメンバーたちがタレントのように見られていてそれが話題の元であるというのが実情のようです。
「そだねー」を口々に言わされたり、イチゴを食べる真似をさせられたりというのは競技とは関係のないことですね。
どんなことであれ競技に関心を持つきっかけになれば良いのでしょうが、本当にそうなってくれなければ選手の皆さんも虚しいのではないでしょうか?
千葉にもカーリング協会があって、初心者向けの講習会は先月調べたところでは体験教室は六月までいっぱいでしたが、どれだけ続くでしょうか?
映画やそのメイキングで視ただけでも実際にやるのは簡単ではなさそうだと思えます。
カーリングのシーズンは本によれば常呂町で十一月から三月までだそうです。それ以外の時期は『チーム青森の軌跡』で見られるような体力づくりや戦略の研究、イメージトレーニングなどに費やされます。
通年練習できないというのは競技者にとっては厳しいことですね。
プロではない(それで収入を得ていないという意味の)クラブチームであればそれは更に厳しいことでしょう。
幸いスポンサーもつき、マネジメント会社との契約も結べたようです。
ネットの記事「文春オンライン」に平昌オリンピックのあの一戦が取り上げられていました。
そうそう、『チーム青森の軌跡』でも遠征試合で予選落ちになるところだったのが他のチームが負けたために次の試合に進むことができて結局優勝してしまったのが記録されていて興味深いです。
藤澤さんのラストストーンは投げた直後はミスショットでしたが、相手のスキップのミスを誘ったという意味では結果的にミスではなかったことになる、カーリングはそういう面があると言います。
記事曰く藤澤さんのラストストーンは「悪女」で、「お色気ムンムン」だったのだそうです。
相手のスキップにここで二点取れば終わりにできるという欲を出させたというのです。
今回のスイス戦でも視ていて爽快感を感じるほど巧みなショットが多く見られましたが、今日のネットのニュースの内容によりますとあの当時にわかにカーリングをやってみようという人が増えたがハウスに入れることだけでも非常に難しいのだそうで、そういう難しさを経験した人はオリンピックの素晴らしいショットを見て管体しているのではないでしょうか。
夜中まで視てしまった [カーリング]
"シムソンズ" から "LS北見" まで [カーリング]
平昌オリンピックは NHK が随分カーリングを放送したのでつい視てしまいました。
カーリングの最初のブームはトリノオリンピックに チーム青森 が出場した頃に起こったそうですが、最初にオリンピックに出場したのは 2002年のソルトレイクシティオリンピックでの シムソンズ でした。
北海道常呂町(現北見市)がカーリングの聖地とされているそうですが、そもそもは北海道とカナダ・アルバータ州が姉妹都市になったのを機に1980年1月に池田町で第一回の講習会が開かれたのがきっかけだったそうです。
ホタテの養殖が一番の産業である人口五千人ほどの町で、カーリングは街のみんなが親しむ競技になったそうです。
そんな中で高校生たちが結成したチームが「シムソンズ」。
本当はアメリカのアニメ「シンプソンズ」のつもりだったそうですが、 P が抜けたのですがそれも悪くないとしてそのままになったようです。
本はその実話を元に書かれていて、これを原作に映画も作られています。
映画は原作にほぼ忠実に作られていて、これを視るとオリンピク選手のようなプレーがいかに素晴らしいのかがよくわかります。
ストーンを投げるあの姿勢がきちんとできるようになるまでにかなりの時間がかかるそうで、映画のメイキングを見るとそれがよくわかります。
ラストシーン、オリンピック代表となった後ろ姿が感動的です。
こちらはトリノオリンピックの記録で、白熱のイタリア戦などを視ることができます。
こちらは チーム青森 の記録で、トレーニングやミーティングの様子などを視ることができます。
こちらはムック本で、写真も多く、チーム青森に密着した内容になっています。
チーム青森の前身の「フォルティウス」の結成、「シムソンズ」の次の世代の「空知こざくら」から目黒さんが参加する経緯、本橋さんの参加などにも触れられています。
こちらは初心者向けの入門書です。
ルールや必要なものなどのが解説されています。
実際の試合の詳しい解説も掲載されています。
こちらは本格的なスポーツ雑誌。
「カーリングガールズ」より客観的な文章を読むことができます。
LS北見 と 中部電力 の対戦が取り上げられています。
吉田知那美 さんが「北海道銀行フォルティウス」(小野寺歩 さん在籍)から移る経緯や 藤澤さんが LS北見 に移る経緯も述べられています。
こちらはトリノオリンピック後に勧められて小野寺さんが書いた本です。
「シムソンズ」結成の頃の思い出やトリノオリンピックの様子が当事者の立場で述べられています。
一連の報道で常呂町はカーリングの聖地でカーリングが盛んであるというイメージが植え付けられましたが、小野寺さんたちがなぜ青森に移らなければならなかったのかがこれらの資料を読み、視るとわかってきます。
映画のメイキングで大泉洋さんが言っていますが、町中がカーリングに沸いているというイメージとはちょっと違うようです。
実業団としてのチームを持てるような企業はなく、本橋さんがクラブチームを作りたいと言った時も本場であるはずの北見でも反応は「え?」といったものだったようです。
合併して北見市となってもカーリングホールのある常呂町はもともと人口五千人ほど。
大きな企業はないのです。
カーリング専用ホールができたのが不思議なほどです。
(映画は実際に常呂町とこのホールで撮影されています)
チーム青森の前身の「フォルティウス」の結成、「シムソンズ」の次の世代の「空知こざくら」から目黒さんが参加する経緯、本橋さんの参加などにも触れられています。
カーリングのチーム名はある時規則が変更されてリーダーの名前か企業名、地域名を使わなければならなくなったそうです。「チーム青森」はその時名付けられました。
「LS北見」の元々のチーム名は「ロコ・ソラーレ」ですが、規則によりそれだけで登録することはできないため地名の「北見」をつけているそうです。
「ロコ・ソラーレ」は “常呂っ子” の「ロコ」とイタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」の意味というのが公式の説明ですが、”常呂” をアルファベットで表記すると TOKORO で、L ではなく R が使われるので最初に知った時はちょっと不思議に思いました。
でも日本人ですから発音は L ですね。
実際のところは LS は本橋さんの所属する「NTTラーニングシステムズ」の略称であるようです。
常呂っ子、というのは後付けかなという印象です。
ネットのニュースなどを読むと選手の皆さんが願っているような、カーリングに関心が持つ人が増えた、というよりメンバーたちがタレントのように見られていてそれが話題の元であるというのが実情のようです。
「そだねー」を口々に言わされたり、イチゴを食べる真似をさせられたりというのは競技とは関係のないことですね。
どんなことであれ競技に関心を持つきっかけになれば良いのでしょうが、本当にそうなってくれなければ選手の皆さんも虚しいのではないでしょうか?
千葉にもカーリング協会があって、初心者向けの講習会は先月調べたところでは体験教室は六月までいっぱいでしたが、どれだけ続くでしょうか?
映画やそのメイキングで視ただけでも実際にやるのは簡単ではなさそうだと思えます。
カーリングのシーズンは本によれば常呂町で十一月から三月までだそうです。それ以外の時期は『チーム青森の軌跡』で見られるような体力づくりや戦略の研究、イメージトレーニングなどに費やされます。
通年練習できないというのは競技者にとっては厳しいことですね。
プロではない(それで収入を得ていないという意味の)クラブチームであればそれは更に厳しいことでしょう。
幸いスポンサーもつき、マネジメント会社との契約も結べたようです。
ネットの記事「文春オンライン」に平昌オリンピックのあの一戦が取り上げられていました。
そうそう、『チーム青森の軌跡』でも遠征試合で予選落ちになるところだったのが他のチームが負けたために次の試合に進むことができて結局優勝してしまったのが記録されていて興味深いです。
藤澤さんのラストストーンは投げた直後はミスショットでしたが、相手のスキップのミスを誘ったという意味では結果的にミスではなかったことになる、カーリングはそういう面があると言います。
記事曰く藤澤さんのラストストーンは「悪女」で、「お色気ムンムン」だったのだそうです。
相手のスキップにここで二点取れば終わりにできるという欲を出させたというのです。
最後まで戦う体力と気力が必要です。
そのための日頃のトレーニングです。
今回のオリンピックの記録映像が発売されないものかと期待しています。