生誕120年記念 白洲次郎と正子展@そごう千葉店 [歴史]
変体仮名 [歴史]
古い戸籍(謄本)は当然ながら手書きで、昔の人の名前特に女性には変体仮名が使われていることがあります。
手書きなので同じ文字でも微妙に形が違うことがあります。
これらの基本的な形はコンピューターで扱えるようにコード化もされていますが、斉藤さんや渡辺さんの字体のようにぴったり合わない場合もあります。
山﨑さんや髙橋さんはよくお目にかかりますが、ひらがなは最近では少ないですね。
今回は謄本から取り込んで使用します。
人名なのでなるべく尊重したいと思うのです。
草かんむりが左右に分かれているものもありましたが、それは普通の字体にしておきました。
書く人によって違っていましたので。
本当は分かれているのでしょうけれど、画像データにしてしまうとちょっと不自由でもありますので。
資料を少々 [歴史]
古墳二つを見学したのですがとても詳細を記憶する事はできないので資料を求めました。
資料らしい資料はこれだけですが、よくまとまっていて発見当初の写真なども見ることができます。
窓口でチケットなどと一緒に扱っていますが、担当の方に展示内容などについて質問すると的確に回答してくれます。
北側。玄武。
東側。青龍。
西側。白虎。
南側の朱雀は盗掘で穴が開けられたために残っていません。
キトラ古墳では資料らしい資料はありませんでした。
公開時の資料をあっただけ。
ちょっと意外。
でも学芸員(?)の方は親切で質問すると上の詳しい方に聞いて回答してくれました。
南の朱雀。
アクリルの模型を撮影したものを反転しています。
キトラ古墳でも盗掘されていますが、穴が開けられたのが隅の方で小さめであったので壁画は無事でした。
青龍。
絞らなかったので下半分がボケています。
玄武。
白虎。
高松塚のものとは向きが反対です。
玄武というのは不思議な姿ですが、Wikipedia によれば
古代中国において、亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴で、後漢末の魏伯陽は「周易参同契」で、玄武の亀と蛇の合わさった姿を、「玄武は亀蛇、共に寄り添い、もって牡牝となし、後につがいとなる」と、陰陽が合わさる様子に例えている
とのことです。
以前も触れたような気がしますが、
冬=北=黒(玄)
春=東=青
夏=南=赤(朱)
秋=西=白
で、
玄冬、玄鳥(藤沢周平の小説)、玄武岩
青春、青龍刀
朱夏(宮尾登美子の小説)、朱雀大路、
白秋(北原白秋)、白虎隊
などが比較的目に触れる用例です。
前回はホテルでは何も買わなかったので少し記念品を買いました。
お菓子などもホテルオリジナルの物が置かれていて、駅などでは買うことができないものであるようです。
トートバッグ(保冷バッグもあり)は案外安いのですが、ブックカバーを買おうと思ったら結構高く、断念しました。
二日目の朝は雨が時折降ったのでホテルのビニール傘を借りましたが、帰りが心配だったので折り畳み傘を。
これも超撥水などの機能はないようで高くはないのですが、風で裏返っても戻るらしいです。
ちょうどいつもバッグに入れている傘の調子が悪くなっていたので。
キトラ古墳 [歴史]
テクテク歩いてキトラ古墳にやってきました。
そろそろ肩が痛くなってきます。
靴を新調して慣らしてあるので足は快適です。
展示施設はこちらの一階と、左に見える階段を降りた地下です。
一階に壁画の現物が展示されているのだそうですが、残念ながら水曜は閉館とのことです。
撮影は自由です。
展示のお金のかけ方にも圧倒されます。
Wikipedia と最新のニュースによれば
特別史跡:2000年11月24日指定
重要文化財:キトラ古墳壁画 5面(東西南北壁及び天井)、 2018年10月31日指定
国宝:2019年3月18日、文化庁が指定へ答申
で、昨日のニュースで
壁画のエックス線調査で、十二支のうち「辰」の像の可能性のある場所に黒い影があることが分かったと発表した(毎日新聞)
泥に覆われた壁面の漆喰に、獣頭人身の十二支像の「辰」が残っている可能性のあることがわかった(朝日新聞)
と報道されました。
模型と展示パネルが多数あります。
韓国の金庚信墓十二支像の拓本。
今回発見された壁画がこのうちの辰に相当するものかもしれないということのようです。
中国や朝鮮半島にも四神がありますが、基本は同じで細部や向きなどが異なります。
高松塚古墳よりキトラ古墳の方が古いとされています。
高松塚古墳:藤原京期(694年~710年)に築造された
キトラ古墳:壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られたと見られている
(Wikipedia)
石室のアクリル模型です。
あとで気づきましたが、外側からは反転した像を見ていることになります。
これをパウンドケーキかカステラのパッケージにしてお土産にしたら売れそうです。
みんな反対から見た姿です。
モニタが多数置かれ、動画で内容が紹介されています。
両古墳とも昔(鎌倉時代)盗掘に遭っています。
キトラ古墳は朱雀のある壁に穴が開けられていますが、画像の部分には掛かっていませんでした。
石に穴を開けるのですから掘りやすい端から必要最小限だけ壊したのでしょう。
亀裂や水、泥の侵入が多く見られます。
高松塚古墳が発見されて話題になってからここにも同じようなものがあると地元から声が上がったのだそうです。
地元で古くから「キトラ」と呼ばれていたそうですが、「亀虎」と表記されることもあるそうですが、「北浦」が転訛したものとされているそうです。
平日なので人は疎らです。
遠いですしね。
ここに出ます。
ショップなどがあります。
手前は広場で、駅との循環バスもあります。
左上が古墳です。
高松塚古墳と同じような形ですが、少し小さいような印象です。
大峰山か大台ケ原山でしょうか。
こういうところで暮らした古代の人々は神様を感じたでしょうね。
帰途につきます。
循環バスは終わってしまいました。
中央に高松塚古墳が見えます。
アオサギがいました。
400mm でいっぱいです。
何でしょうね。
もうすぐ駅です。
周囲にはイチゴ農家が多く、換気扇から排出する風は甘い香りがしました。
肩と足が疲れました。
ホテルで体を休めましょう。
高松塚古墳 [歴史]
初日はずいぶん歩きました。
飛鳥駅に着いたのが 14:05 で、帰ってきたのが 17:25 頃でしたので奈良ロイヤルホテルから近鉄新大宮駅まで歩いた時間を含めると3時間半ほど歩いたことになります。
JR京都から JR奈良までが急行で45分くらい、ローカルで 75分くらいかかります。
近鉄奈良から大和西大寺まで乗って橿原神宮行きに乗り換え、そこから吉野行きに乗り換えて二つ目が飛鳥です。
かなり田舎に来たなという感じがします。
左に観光案内所があり、レンタサイクル(900円)もあります。
高松塚古墳までは10分くらいだというので歩くことにします。
親しみを感じる風景ですね。
キトラ古墳までは十五分くらいとのことでした。
小高い盛り上がりがあちこちにあります。
この奥に見える施設は修復をしているところのようで、古墳はこの後方へ道路の下をくぐって行きます。
古墳の手前に壁画の模写や出土品などを展示している施設があります。
壁画の本物は見ることができません。
中には壁画の模写、模写の仕方を変えた複数のものや出土品のレプリカが展示されていますが、全て撮影禁止でした。
この左上です。
展望台のようなところもあります。
この辺りで生姜を収納するための穴を掘っていたところ硬い物が当たって発見されたとのことです。
発見当初の写真によると周辺は竹林のようでした。
キトラ古墳に向かいます。
梨でしょうか。
みかんもあります。
空気がきれいで山が青いです。
梅はあちこちで見られましたが、桜はまだ見られませんでした。
キトラ古墳は時期によって壁画の現物が展示されるようです。
撮影は自由でした。