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牧野富太郎に関する三冊 [本]

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「牧野植物図鑑」はずいぶん昔に書店の店頭に二冊でんと鎮座しているのをよく見ました。

展示は箱だけで、中身はレジで受け取るようになっていました。

地図と同じく必要な所を読むだけで買わない人がいるからでしょうね。

でも高いですからおいそれとは買えません。

最近は見かけませんけど今でも絶版ではないでしょう。


さて NHK の連続テレビ小説『らんまん』が始まりました。

だからというわけではないのですが、牧野さんに関する本を読んでいます。



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この河出文庫は去年の十一月に買ったものです。

その時はもう朝ドラで牧野さんが取り上げられるということは発表になっていました。

その時点で 朝井まかて さんの『ボタニカ』は出版されていましたが、その厚みにちょっと尻込みしていました。

でも今月とうとう買いました。



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大原さんの小説を読み終わったところですが、小説とはあるものの伝記小説でも半生を描いたものでもなくてちょっと物足りないという印象でした。


まだ読んでいないですが「ボタニカ」の方が小説らしいかなという印象です。
最近出版された田中伸幸さんの「牧野富太郎の植物学」の まえがき にあるように牧野富太郎の業績ではなくてその人物像の一端が描かれたものという印象です。
東大での教授達との確執も描かれているので最初に読むものとしては良いかもしれません。
妻 寿衛(子)から富太郎に宛てた手紙(変体仮名があったりして大層読みにくかったそうです)も多く引用されていて生活の実情や富太郎の人となりが伺えます。
富太郎の手紙は一通しか引用されていない(殆ど残っていない)のですが、ちょっと意外な一面が伺えます。
最初の結婚は当時牧野の血を濃くしたいという祖母の意向が強く反映されたものだったそうで従姉妹の 猶(なお)さんを妻にしますが、当時は戸籍も今のようなものではなかったため東京で 寿衛 さんと一緒になることに大きな障害はなかったようです。
経済的に困窮する様が 寿衛 さんの手紙からもよく伝わってくるのですが、いつも救いの手が差しのべられるのは富太郎の人柄によるものとここでは書かれていて多分それはその通りなのでしょうが、どのような人柄であったのかうまく伝わってこないもどかしさがあります。
植物採集の様子や発見に至る過程等々はほとんど具体的な描写がないのでこの点ももの足りません。
作者の大原さんはこの作品が刊行されてすぐ亡くなってしまったそうですが、最後まで読み進めてずいぶんあっさりと締めくくられたなという印象を受けるのは作者の体調に原因があったのかなと想像します。
富太郎の晩年の写真が収録されているのは良かったですが、植物の図などももう少し収録して欲しかったなという印象です。
実家の身上を本当に傾けてしまったのは壮絶ですが、これが放蕩によるものでなかったのは第三者によっては救いと言っても良いかもしれません。
日本の植物分類学にとっては奇跡のような巡り合わせではあります。
他の研究者によって刊行された類書はありますが、牧野富太郎という人物の狂気と言えるほどの情熱と執念と画力がなければ今私たちが目にすることができる素晴らしい成果は決して生まれなかったということはできるでしょう。
シーボルトが「日本植物誌」を著すに当たって原画を描いたのは川原慶賀という絵師でした。
その絵も非常に見事で賞賛に値しますが、富太郎の絵はそれを凌駕していると言っても良いでしょう。
その絵がいかに描かれたのか、その辺がもっと知りたかったという思いが募ります。



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こちらの方が読み応えがありそうです。



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賞を取っているようですしね。



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朝井さんの作品はまだ読んでいませんが『先生のお庭番』『御松茸騒動』は買ってあったと思います。



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たまたま書店に行って目についたのでこちらを買ってみました。



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こちらを『ボタニカ』の前に読むことにしたのですが、それというのも大原さんの本を読んで物足りないと思ったことなどがここにあるように思えたからです。



はじめに
P7
 いま、ネットで「牧野富太郎」を検索すると、じつにたくさんの情報がヒットする。「日本の植物学の父」とは、必ず出てくる牧野の紹介文句だが、そう呼んだのは誰で、果たしてそれは正しいのか。科学の分野なのに業績の記述も曖昧で定まっていない。標本が四〇万点だったり、五〇万枚だったり、数値も単位も定まらないのはなぜか。科学者で、これほど不確かな情報が一人歩きしている人物も珍しい。
 牧野富太郎に関する本は多く世に出されているにもかかわらず、そのほとんどは植物学とは無縁の著者によって書かれた同じようなストーリーで、牧野の研究が真にどういうものだったのかを掘り下げて解説したものもあまりないように思う。植物学の本質が理解されないまま、英雄伝的人物像が先行し、業績の検証があまり行われていない。
 牧野を顕彰する施設は驚くほど全国にいくつもある。滅多に社会の前面に出ることのない植物分類学という分野の研究者で、これだけ社会的に注目された人物はおそらく他にいないだろう。
 しかし、業績を顕彰するためには、その人物がその分野で果たした役割、仕事というものを正しく、冷静に、そして中立的に理解しなくてはならない。科学は証拠主義に基づいている。牧野富太郎を科学者として捉えるならば、人物像やそれを取り巻く人間ドラマではなく、学術的に正確な情報、検証された業績、それが与えたインパクトなどで評価されるべきである。
 本書は、牧野富太郎の人物像を考察するものではまったくない。牧野が専門とした学問分野はどういうものだったのか。研究者としての牧野の業績はどういうもので、どのようにな意味をもっていたのか。そして、それが現在にどのように影響を与えているのか。これらについて、自然科学の立場から考察するのが本書である。



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この分野における業績を取り上げるのに作家より同業者(?)の方が適任であることは確かでしょう。

ただ、福岡伸一さんなどは例外として、頭はいいのだろうけど文章は読みづらいという例はいくらでもあります。


読み始めたばかりですが、途中で投げ出したくなるような本ではなさそうです。


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戯曲『アルルの女』 [本]

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10年前に一度読んだのですが、最近ある演奏会のプログラムで紹介していたあらすじがちょっと違うように思えたので読み直してみました。


そのときの記事は




劇音楽はこちらで取り上げています。




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今回岩波文庫の旧版を入手しました。

前回は新版でした。


櫻田さんの訳は中学生の頃読んだ短編集『風車小屋だより』で馴染みがあります。


他の訳者のものもあります(手元の旺文社文庫は 大久保和郎 さん)が、櫻田さんの訳がいいなあと思います。

岩波文庫はもう絶版で、Amazon ではとんでもない価格で売っていたりします。



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登場人物は原作と戯曲では少し違いがあります。


短編小説では

 主人公ジャン

 父親エステーヴ親方

 母親(名前が触れられていない)

 訪れる男(名前が触れられていない)


戯曲では

 主人公フレデリ

 フレデリの祖父フランセ・ママイ(父親は15年前に他界している)

 母親はローズ・ママイ

 訪れてくる男は馬の番人ミチフィオ

その他に

 フレデリの弟ジャネ(大部分で「ばか」と呼ばれている。白痴と説明があるが今でいう知恵おくれか?)

 使用人で羊飼いのバルタザール

 フレデリの伯父マルク(母親の兄。船乗り)

 フレデリに想いを寄せるヴィヴェット(ルノーばあさんの孫)

 ヴィヴェットの祖母ルノーばあさん

 その他

となっています。


戯曲の方の大筋は


大きな農家の若者フレデリ(20歳)は3ヶ月前にアルルの闘牛場で知り合ったアルルの女と結婚したいと言い出し、祖父と母親、周囲の人たちは困っている。

母親はアルルにいる兄マルクに相手がどんな人物か見極めてくれるように頼む。


訪れてきたヴィヴェットはフレデリが結婚するらしいと聞き心中悲しむが表には出さない。

(でもみんなはこの子と一緒になってくれればと思っている)

母親の兄のマルクはアルルの女の家を訪ねるが酒を振る舞われてすっかり「いい人たちだ」と評価してしまうので、家族はやむをえず結婚を認めようかという話になる。

フレデリは晴れやかな顔。


そんなときミチフィオという男が祖父を訪ねてきて

 「お孫さんが結婚しようとしている相手は俺の情婦だったが、お孫さんと知り合ってからは女の家族からも疎まれている。

  でも今更他の男に嫁げると思っているのか。

  証拠の手紙もある。

  他の男には渡したくない」

と言う。

皆は衝撃を受け、手紙を預かってフレデリを説得する。


その後フレデリは思いを絶ったかのように振る舞う。

ヴィヴェットはフレデリの弟にも背中を押されてフレデリに探りを入れるが、ひどい事を言われて傷つきこの地を去ることにする。


フレデリはずっと表情が死んだよう。

フレデリが諦めきれていないことは母親は気づいている。

このままでは悪い事が起こるに違いないと思いフレデリに結婚を許すと告げる。

祖父は恥じ入って下を向く。

フレデリは内心喜ぶがみんなが絶望的な暗い顔をしているのを見て、あんな女は貰わないと言い出す。

そこにヴィヴェットが登場するとフレデリは「この子のような人がいいんです」と言い、ヴィヴェットに結婚を申し出る。

ヴィヴェットは涙する。


第三幕

聖エロアの祭りの日。家の前庭。

婚約の祝いやお祭りで場には喜びが溢れる。

皆が帰った頃ミチフィオが再び現れ、

 「アルルの女のところに泊まってきた。どうしても諦めきれないからあの女を攫って逃げる」

と告げる。

それを聞いてしまったフレデリは

 ミチフィオを殺し、アルルの女も殺す。一人では死なないぞ。

と言い出すが皆で止める。

遠くではお祭りのファランドールが聞こえる。


その晩。部屋の前。

母親は心配するがフレデリはあの男の顔を見て興奮しただけだと言うが、母親は勘づいている。

寝室の近くに寝るように弟に言いつけ、自分もフレデリの部屋の様子を窺っていたが静かになったので眠る。

しかしフレデリは明け方、ミチフィオがアルルの女を連れて逃げていく様子を見たように思い込み、発作的に蚕室のある上の階に駆け上がる。

母親が気づいて後を追うが、フレデリは扉にかんぬきをかけてしまう。

そして窓が開く音がし、重いものが落ちたような音がする。


こんな感じですが、『風車小屋だより』の方は男が登場するのも一度だけなどシンプルな筋書きでページ数も少ないです。

どちらにも ”アルルの女” は登場しません。


訳者の前書きによれば

作者がアルルに近いフォンヴィエイユの村に滞在中実際に起こった事件だそうです。

短編集として発表したのちヴォードヴィル座に依頼されて書かれました。

音楽はビゼー。初演は成功とは言えなかったそうですが、13年後にオデオン座で再演されて評価されました。

この本の出版(昭和16年)時点で2,500回以上上演されているそうです。


Wikipedia にもありますが、文字数が少ないのであまりよくわからないと思います。


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読み終わった宮台さんの共著 [本]

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ずっと雨でした。

お供えの花を買ってきました。

いつもは庭の花で間に合わせているのですがたまにはいいでしょう。

菊が強く香ります。



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一度取り上げた本ですが、元々あの事件がどうして起こったのか、宮台さんがどういうことを言う人なのかを知ろうと思ったのが手に取った理由でした。


永田さんと かがり さんがタレントの不祥事を受けたレコード会社の対応について意を唱えているのが第一章と第二章なのですが、それを受けて第三章で宮台さんが論を述べるという構成になっています。


第二章 歴史と証言から振り返る「自粛」 かがりはるき
第二節 事務所、ミュージシャン、レコード会社それぞれの証言
(レコード会社元幹部・代沢五郎の証言)
P124
 しかし、そうした厳しい対応が求められているとはいえ、罪を犯したアーティストの過去の作品群にまで大鉈がふるわれるのは「やり過ぎ」にも思えます。その違和感を口にすると、代沢さんは「作品」と「アーティスト」に関する持論にそってこのように答えました。
「それは今の音楽業界がアーティストを売る力学で動いているからです。かつては、いい『作品』に対してプロモーションをかけるものでした。しかし80年代初頭ぐらいから、作品ではなく『アーティスト』のプロモーションをする戦略に移行しました。アーティスト本人に価値がある方が、利益が最大化されるからです。だから曲ではなくアーティストを売る。するとシングルだけではなくアルバムも売れる。グッズも売れる。客単価が上がります。
 ただ、このロジックを意識しているユーザーはほとんどいないでしょう。レコード会社側でさえ、これが自分たちの都合で作ったシステムだと理解している人間は少ないかもしれない。今のユーザーの多くは、曲ではなくアーティストを消費しているんです。『アーティスト自体が作品』というシステムを音楽業界が作り、ユーザーも無意識に受け入れているのが今の実態です。だとすれば、『作品に罪はない』というのはどの口が言うのかということになりますよね(笑)。例えば以前の佐村河内守さんの件なんて、この構造の最たるものです。作品に罪がないのなら、ゴーストライターがいようがいまいが、本人が障害者であろうがなかろうが、どっちでもいいはずだけど、佐村河内さんの作品が市場から消えても誰も怒らないでしょう」
(中略)
 ところで、レコード会社にとっての主な取引先・顧客といえば、小売店、広告代理店、そして我々消費者でしょう。しかし、消費者からレコード会社に対して「なんでこんな犯罪者の曲をリリースしているのだ」といった類の苦情が寄せられたことがあるかといえば、少なくとも代沢さんの知る限りでは「記憶にない」そうです。ならば、レコード会社は何を恐れているのでしょう。
「他のアーティストへの影響は怖いですよね。メディアや広告代理店に迷惑をかけて、もし『あそこの会社はコンプライアンス的にNGだ』となったら、会社丸ごと出入り禁止、みたいなことも可能性としてはあり得るんですよ」
 では、我々の署名活動を、代沢さんはどのように捉えているのでしょうか。
「署名に関しては、自分の名前を出して闘っている部分に対しては敬意があります」と前置きしつつも、「賛同はできません。まず、署名活動の中で謳われている『安易な自粛』という言葉がひっかかります。レコード会社も『”安”らかに、”易”々とやっている』訳じゃない。血が流れているんです」と厳しく強い口調になりました。血が流れている、とはどういう意味でしょう。
「CDの出荷停止や、ましてや回収なんていうのは、会社にとって本当に大打撃なんですよ。安易なんてことはあり得ない、大きな痛みを伴うことを覚悟した苦渋の決断なんです。私が働いていたレコード会社である著名アーティストが逮捕された時には、回収や売り上げ低下の責任をとって数人の社員が辞めざるを得ない事態にまでなりました。「ゴチャゴチャ言われる前に回収しとくか』みたいなノリではないですよ。少なくとも」
 レコード会社も痛みを感じながら自粛をしているのならば、そうした自粛そのもののあり方を変える訳にはいかないのでしょうか。私たちがソニー・ミュージックレーベルズへ提出した6万4606人の反対署名は、こうした慣習を見直すきっかけにできないのでしょうか。
「恐らくレコード会社の人たちも、『こんなに多くの人が反対するのか』という感覚はあったのではないかと推測します。しかし、この時代にレコード会社が相対せざるを得ないのは、『血に飢えた正義のガーディアン(守護者)』たちです。それに対抗するには6万はあまりに少ないのではないかとも思います。彼らは表に出てこないから見えない。数も分からない。何をするかも分からない。それでいて口コミという、今やTVなんかをしのぐ影響力を持つメディアを動かしている要素でもある。また、水に落ちた犬は叩くけど、同時に薄っぺらい感動ネタにも簡単に反応してくれて『応援ソング』を買ってくれる大事な太客でもある。本当に始末が悪いんですよ」
(中略)
「魔女狩りが自粛に一役買っているのは間違いないと思います。これに皆さんが声を上げてくれたことはありがたいと思いますが、そのメッセージが烏合の衆に響くかというと疑問です。
一方、レコード会社に訴えても意味がないと思います。なぜなら彼らは、職務を忠実に全うしようとしているだけですから。『誰も望まない自粛。誰も得をしないじゃないか』とおっしゃいますが、『短期的にはそう見えるが、中長期でいえばそっちの方が儲かるからやってんだよ!』ってことなんですよ。痛みは伴うけど、倫理を守った方が結局は儲かる。公害を出してから補償するより、公害を出さないようにコストをかけた方が結局安くつく。企業倫理ってものの本質はそれですから。倫理規範の導入が利益の最大化に繋がることにレコード会社もようやく気づいたってことじゃないでしょうか」
◆◆ ここでは永田さんや かがり さんの主張に対して、もとレコード会社にいらした方のがレコード会社の実情というものを述べられています。
決して「安易に」出荷停止や配信停止をしているわけではないのだということです。
次が宮台さんの論ですが、ここで述べられている「双剣論」がとても興味深いです。
第三章 アートこそが社会の基本だ 宮台真司
第一節 快不快は公共性を持たない
P142
 西ローマの「双剣論」
(中略)
 ローマ帝国末期。この頃は西ローマ帝国と東ローマ帝国に東西分裂していました。そして法と道徳の分離が確立されたのは西ローマ帝国(395〜476年)でのことです。東ローマ帝国(395〜1453年)ではそれはなかった。西ローマ帝国特有の現象だったのです。
 西ローマ帝国では、宗教学で言う「双剣論」、つまり世俗の権力は王に、超越の権力は教皇にという考え方が根付いていました。教皇が形式的な儀式としての戴冠権を持っていて、戴冠されたものが王様として世俗の権力をそれぞれの領域内で行使したということです。
 だから法の領域と宗教の領域は互いに自立しています。法に従う従わないという世俗の営みの外形と、心すなわち身体の内側を、区別するのです。これが双剣論のベースです。
 双剣論は西ローマ帝国にだけありました。西ローマ帝国は1500年ほど前に滅びました。他方、東ローマ帝国は全く異なっています。東ローマ帝国においては世俗の権力と宗教の権力が重なっていました。東ローマ皇帝は、世俗的にも超越的にも最高権力者だったのです。
 このことについて面白い話があります。僕の師匠である社会学者の小室直樹は冷戦当時、西側と東側の対立は、イデオロギー対立に見えて、それは文化的な表現型の話に過ぎず、本質は「文化的な遺伝子型が西ローマ型か東ローマ型かということだ」と見抜きました。
 良からぬ思いを抱く者がいるとします。西側では「思うだけなら構わない」「そう思っている証拠がない」とされますが、東側では「あいつは良からぬ思いを抱いている」との密告が奨励され処刑されます。世俗の権力と超越の権力が一致している東ローマ帝国ならでは、です。
 そこには「身体と心の分離」「外面と内面の分離」がありません。行為が法に従わなければならないように、心も法に従うべきだ、との理屈が通ってしまう。そのため東ローマ帝国の文化的影響下にあった東側では、特定のイデオロギーを押し付けることが平気で行われたのです。
 東ドイツの秘密警察「シュタージ」は、市民の思想を厳しく監視することで有名でしたが、こうした東側の秘密警察を中心とした特定イデオロギーの押し付けは、東ローマ帝国の文化的遺伝子の表現型だ、というのが小室直樹の主張でした。学問の見本となる慧眼です。
 逆に言うと、先進国と呼ばれる西側における「思想・信仰・表現」の自由は、普遍的真理と言えるものではなく、西ローマ帝国的な文化的遺伝子による文化的産物に過ぎません。「思想・信仰・表現」の自由も、歴史的な偶然の果てに得られた文化的な原則なのです。
第三節 好きなものを好きと言おう
P183
 ネット炎上は神経症的
 ネット炎上やネトウヨの営みは、フロムが喝破したワイマール没落中流と同じくダメ意識から逃げたい人々による埋め合わせです。不安に駆られると不安の源とは無関心な反復で埋めようとするというのがフロイトの神経症図式。同じ図式で政治的支持の背景を分析できるのです。
 人は孤立すると不安ゆえに疑心暗鬼化するゲノム的性質があります。この性質ゆえに仲間集団を作る人々だけが生存上合理的だから生き残った。なぜなら仲間集団を失って不安になると言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン化の神経症的傾向が顕在化してテイをなさないからです。
 テイをなさない人々を「病気になって人間モドキという虫にになった」と見れば腹も立ちません。人がカブトムシに腹を立てないのと同じです。だから僕はラジオ等で「炎上上等」の構えで発言します。ネット炎上やネトウヨに怯える人の気が知れません。



ずっと読んできて、これだなと思いました。

師匠と呼ぶ小室直樹さんは極右なのだそうですが、この文章を読む限りでは宮台さんがそうだという印象はありません。

しかし「炎上上等」と明言されていますし、引用しなかった部分などで述べられている主張などからは一部の人から強く反発をと受けそうだという印象を持ちます。


あの事件の犯人の真意を知る術はありませんが、この本で述べられているような主張やあるいは他の場で述べられていることの何かが犯人に刺さったのかもしれないと思います。


仮にそうであったとしても、論戦を挑むでもなく相手の命を奪ってしまおうという行動、挙句は自ら命を絶ってしまって弁明の機会さえなくしてしまうというのはみが手という他ないのかなと思います。



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宮台さんの共著 [本]

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以前一度手に取った本ですがその時は買いませんでした。


しかし最近また見たときにあの事件の被害者になった宮台さんの名前が目に留まったので買ってみました。



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まだ読んでいる途中ですが、NHK の大河ドラマ『いだてん』放送期間中に主要な出演者が逮捕され、その所属するグループの CD や映像作品が販売停止、配信停止になったことを受けて著者らがネットで停止の撤回を求めて署名を集めて提出したことから始められています。



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賛否両論あるようですが、日本では呼応した措置が当然のように行われ、それはコンプライアンスの観点からではあるものの前例踏襲、ことなかれ主義によるものではないかとしています。


「販売を継続して誰が迷惑するのか」としていますが、今の世の中では仕方がないのかなとも思います。

過激な意見を言う人や行動を起こす人がいる世の中ですから発売元の会社としてはステークホルダーへの配慮としても無用なトラブルは避けたいと考えるのは仕方がないのかなと思います。


以前取り上げた『交響曲第一番 HIROSHIMA』とは事情が違いますけれど。


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著作権が題材:『ラブカは静かに弓を持つ』 [本]

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知らない作家さんですが、取り上げている題材がタイムリーで関心のあるものなので読んでみました。



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JASRAC とヤマハ音楽教室がモデルで、実際にあった潜入調査を扱っています。



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ノンフィクションではないので物語としてアレンジされていますが、核となる事柄は現実に即しています。

書かれた時期は最高裁の判決が確定する前と思われます。



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ラブカというのは作中にも言及がありますが不気味な外見を持つ深海魚です。

主人公は見た目は良いという設定なのでちょっと皮肉ではあります。


著作権についてはよく調べて書かれていますし、チェロのレッスンの様子も実際にありそうな内容です。


内容について引用しながらご紹介します。

P14

「音楽教室内での演奏は『公衆』に対する演奏ではない、というのが奴らの主張の大筋だ。(中略)

P15
 第22条(上演権及び演奏権)
 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
(中略)
 作詞や作曲をした音楽家は、当該楽曲のプロモーションが正当に行われることなどと引き換えに、その楽曲の著作権を音楽出版社に譲渡する。そして著作権者となった音楽出版社の多くは、それらの管理を音楽著作権等管理事業者に信託する。(中略)
実際に著作権は出版社が持つということです。
なので作曲者や作詞者であっても公衆の面前で演奏するときなどは使用料を払うという仕組みです。
P17
「この事件の争点は、誰が『演奏の主体』であったのかという点です」
 満月側が主張した『演奏の主体』は、実際に店舗内でカラオケ機器を使用して歌唱した従業員のホステスと不特定多数の客を指していた。
(中略)
「管理・支配というのは、カラオケ機器を設置し、操作をしていたのが誰なのかということ。利益性というのは、カラオケを売りに客を店舗に呼び込むことで、利益を上げていたのは誰なのかということです」
(中略)
「店そのものが『演奏の主体』となって、ホステスや客に歌を歌わせ、演奏権を侵害した。この利用主体を拡張する法解釈を、カラオケ法理と呼びます」
(中略)
P18
「すなわち、今回の事件の『演奏の主体』は音楽教室そのものである……ということなのかな?実際に楽器を演奏している、講師や生徒たちではなく?」
これらは一般の感覚ではすぐには理解し難いポイントですが、簡単に言うと他人が創作したものを利用して収益を上げているのだからその一部を権利者に支払わなければならないということです。
利益を上げているのは誰かと言いますと演奏会では報酬を得る演奏者などですし、音楽教室ではレッスン料などを得ている音楽教室、というわけです。
生徒はレッスン料を払う立場であって利益を得ているわけではないので最高裁の判決では生徒は支払う必要はないというのは妥当な判決と考えられます。
P60
(中略)ミカサ側がみずから、著作権使用料規程に関する協議をしたいと申し出てきた」
 想定外の知らせに、和解へ向かうということですか、と訊き返すと、いいや、と塩坪は首を横に振った。裁判ではこのまま全面対決になるだろう、(中略)
「しかし、これではミカサは音を上げたも同然だ。音楽教室のレッスンでは著作権はそもそも発生しない、というのが彼らの言い分だったのだからね。にもかかわらず、著作権使用料について話し合うための土俵にわざわざ乗っかってくるとは」
(中略)
訴状を見ていないのでこの表現通りかどうかはわかりませんが、「著作権はそもそも発生しない」というのはおかしいですね。著作権使用料は発生しないと言うべきかと思います。
「この協議が不調に終わった場合、文化庁長官は協議の再開を命じることができる。そして再開後にも合意に至る見込みがない場合、ミカサ側は文化庁長官による裁定を申請可能だ。この裁定の申請が新規程、『音楽教室による演奏等』の実施の日よりも前に行われれば、裁定がある日まで全著連は新規程を実施できず、音楽教室から著作権使用料を徴収することはできない」
 つまり、ミカサ側に不利な裁定になったところで使用料の支払い義務は過去にまでは遡れなくなったというわけだ、(中略)
音楽教室側は実利を取ったということですね。
P104
 指運びは反復がすべてだ。十回で弾けないなら百回。百回で弾けないなら千回。何回でも指板上の弦を押さえて、体に覚え込ませるしかない。
P108
「思い詰めすぎると良くないって。ちょっとやそっとの運指ミスより、全体の印象と響きでしょ」
P1116
「曲を表現する時に一番、何が重要なのか?それはイマジネーションだ。的確なイマジネーションこそが、音楽に命を与える。プロもアマも関係ない。自分が育てた想像力を、この弦の上に乗せるんだ」
練習に関しては全くその通りで、テンポを落としてゆっくり始めて音が確実になったところでテンポを上げていきます。
楽器の練習はアスリートの練習と同じと言われます。
筋肉が自然に動くようになるまでやります。
ミスを気にしすぎてはいけないと言われます。
歌うこと、フレージングが大事とよく言われます。
P164
 忖度のない琢郎の言い草に、場の空気が少しだけ固くなった。ファンタジックな暗黙の了解が、急に取っ払われてしまったかのように。
ここはちょっと引っかかります。
「ファンタスティック」とするべきですが、作者が敢えて使ったのかどうかはわかりません。
P166
 当の花岡はあっけらかんと、他人事(ひとごと)かのように構えていた。


(ひとごと)としたのは実際にはルビです。

作者はわざわざルビを振っているので言葉の使い方に鈍感なわけではないと思います。



音楽教室は誰でも入ることができるのでそれは特定の個人ではなくて「公衆」であるという考えが根底にあるそうです。

そこが解釈に齟齬が生じるポイントでもありますね。



同じ先生に習う生徒の間で食事会があったり、アンサンブルを組んで発表の場を持ったりと言う場面があります。

ロマンスや誤解、裏切り、潜入調査の露見、調査員は一人ではなかったなどなかなか面白いです。

ロマンスが発展して欲しいなあと思いましたが物語は終わってしまいました。


もし続編が描かれるとすれば確定した判決を踏まえたものになるでしょうね。

主人公は昔チェロを弾いていましたが、事件があって中断しました。

事件の描き方が取ってつけたようだという印象はあります。


レッスンは借りた楽器で続けましたが、やがて自分の楽器を買います。

かなり筋が良いという設定なのでロマンスを絡めながら腕を上げて行ったり仲間とのアンサンブルが発展して行ったりというストーリーを想像します。


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こうじゃなきゃ:The Tale Of Peter Rabbit [本]

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先日オンデマンド印刷ではないかと思われる「ピーターラビットのおはなし」を取り上げましたが、古本を見ていましたら本家の福音館書店のものがありましたので買ってみました。



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こちらはハードカバーですが、


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先日のはソフトカバー。

まあ、対訳なのでオリジナルと違うのは仕方がないと言えば仕方がないのですが。



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こちらがオリジナル。



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対訳の方は上の方に日本語、そのすぐ下に英語で、レイアウトが変です。

しかもページのギリギリ端まで文字が印刷されてしまっています。



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こちははオリジナルで、自然なレイアウトです。



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訳者も明記されています。

著作権がまだ生きています。



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こんなにたくさんあります。

子供が持ちやすいようにとの配慮なのか、判型は小さいです。



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「星の王子さま」も「不思議の国のアリス」も元々出版しようと作られたお話ではなかったのでしたね。

お話の良さもさることながらイラストの見事さが今でも愛される理由なのでしょうね。


後の世の人たちにこれほど長く愛され続けるものを作ることができたらいいでしょうね。


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売れている本が面白いとは限らない [本]

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少し前に読んだ本です。


デビュー作「元彼の遺言状」は興味を惹かれなかったので読まなかったのですが、本作は戸籍を調査するという内容に惹かれて読みました。
自分もある時家系図を作ろうと思い立ち古い戸籍を辿ったことがあるのが関心を持った理由です。
「探偵」とありますが、探偵業法に定められている探偵ではないということは作中(P147)で触れられています。
調べてみると探偵は戸籍を調べることもあるでしょうが特定の人(存命の人)に関する調査を行うものとされています。
この作品のヒロインは既にこの世にいない人の戸籍を調べます。
余談ですが故稲見一良さんに「猟犬探偵」という作品がありますが、それも正式の呼称でなくて通称であるということになります。

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著者は東大法学部卒の現役の弁護士でいらっしゃるとのこと、さすが文章にもおかしなところはなくよく調べて書かれています。
ただ一箇所読んでいて引っかかったのはクライアントの言葉で
戸籍謄本もそのまま残っているようです
とある箇所(P9)ですが、戸籍謄本というのは戸籍の写しであって、役所から交付される文書です。
しかしその後のヒロインの言葉に
 「残念ですが、ひいおじい様はすでに他界されている可能性が高いように思います。死亡届が出されない限り、戸籍は残り続けます。(後略)」(P147)
とありますので、ここは多分素人が使いそうな表現として敢えて書いているのだろうと思います。
こういう職業があるのかどうか寡聞にして知らないのですが、顧問弁護士がいるという記述もあるのでそこそこ仕事があって利益も出ているという設定なのかなと思います。
キミンは戸籍を取れないが、キジならとれる(後略)」(P280)
 棄民の子供は戸籍を取れないが、棄民が捨てた子供なら戸籍をとれるのだ。(P281)
という箇所にはなるほどと思いました。
四話までが連載されたもので第五話は書き下ろしとのことですが、よく調べていろいろなテーマをよく盛り込んであると思います。
遡って過去の作品も読んでみようかなと思いました。
続編を望む声もあるようですが、ヒロインはこの仕事を始めた動機となった問題をすでに解決してしまいました。
前作のようなシリーズにするには何か新しい工夫が必要かもしれません。



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さてこちらは今売れているようで、Amazon でも高く評価する声が多い本です。



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タイトルに惹かれて手に取り、目次にも目を通して購入しました。
どのように論を進めるのか興味を持ったのですが、誌面のレイアウトや文章が独特で次第に読むのが苦痛になり、中断しました。


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独特というのはまず小見出しを四角で囲って上下の中央に文字を配置していることです。
次にそれほど長くない文章をいくつか繋げて一つの塊とし、次の塊との間に一行空けていること。
まるでパワーポイントなどで作られたプレゼン資料のようで、ページを捲るスピードは速くなるのですが、これにはとても違和感があります。


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そしてこの "「」" の多用。

やりがちですがこれは鬱陶しいです。


紙面のレイアウトなどは出版社と編集者の責任でしょう。

"「」" の多用もそうですが、受け手である読者にどのように受け取られるかという視点が欠けているのではないかと思ってしまいます。


音楽家で言えば優秀な演奏家が必ずしも優秀な教師あるとは限らないと言われますが、述べる内容が優れていることと文章が読みやすいか否かは必ずしも一致するとは限りません。
科学者の書く文章では例えば福岡伸一さんのものなどは内容の良さに読みやすさが伴っている例だと思います。


中断していますが、多分もう手に取らないだろうと思います。


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間違いが残念 [本]

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この作者のものは最初に二作読んで以降ご無沙汰していましたが最近新作が出たようで書店で見かけたので三作目以降をまとめて買いました。
三作目では新型コロナが登場します。
すると読んだのはそれよりだいぶ前だったのですね。
その時はそこまでしか出ていなくて次を読みたいと思ったことを憶えています。
宝島社のものは軽いものが多くてじっくり読むようなものは少ないという印象ですが、これもライトではないとは言えないものの結構好きです。
作者の塔山さんは千葉県のご出身のようです。
 
 
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いつもながら薬と毒についての知識も得ることができて楽しく読み進めました。
写真は最新作ですが、四作目を読んでいて珍しく一箇所誤りと思われる点がある事に気づきました。
第三話 秘密の花園
 P 254
 中でも目を引いたのは温室の中央に広がる一群だった。大きな緑色の葉の間から黄色いラッパのような花が、垂れ下がるように咲いている。
「キダチチョウセンアサガオですね。別名デビルズトランペットと言って、摂取するとせん妄、幻聴、めまい、錯乱を引き起こして、最悪の場合は意識喪失、呼吸停止を起こすこともあります。アメリカでこの木の下にハンモックを吊り下げて寝ていた少年が、香気に当てられて、昏睡状態に陥った例もあるそうです」
描かれている様子からはキダチチョウセンアサガオであると思われますが、別名はエンゼルストランペットです。
デビルズトランペット呼ばれているのは「チョウセンアサガオ」で、こちらは花の形は似ていますが下から上に向いて咲きます。
丈もそんなには大きくはなりません。
マンダラゲ(曼陀羅華)、キチガイナスビの別名もあります。
チョウセンアサガオは華岡青洲が世界初の全身麻酔に用いたことでも知られています。
また、キダチチョウセンアサガオは木というよりは草でまっすぐ伸びるのでこの下にハンモックを吊るすことはできそうにありません。
別途支柱を立てれば可能だとは思いますが。



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これがキダチチョウセンアサガオ(エンゼルストランペット)です。



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白のものもややピンクのものあります。


チョウセンアサガオ(デビルズトランペット)は撮ったことはないのですが、花の形は似ていて下から上に向かって咲きます。



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プロの薬剤師さんが読んだらどういう感想を持つのか興味があります。



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想いを寄せる若いホテルマンとそれに全然気づかない毒島さんという関係がまだ続いています。

周囲はみんな知っているというお約束のような設定です。



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以前書いたかもしれませんが附子はトリカブトから採れる物質で、毒として使うときは「ブス」、薬(主に漢方薬)として使う時は「ブシ」と読みます。

漢方薬では八味地黄丸などに使われているそうです。


二作目でトリカブトの毒(アコニチン)が使われた有名な事件に言及されています。

その時はフグ毒(テトロドトキシン)も使われて、両者の作用が拮抗したためにすぐ毒性が現れずアリバイ作りに利用されました。

テトロドトキシンの方が早く分解されてあこにチンの作用が現れて被害者は死亡した、という事件です。

検死に当たった医師が死因を不審に思って保存しておいた血液が決め手になりました。



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次の作品が楽しみですが、同じ作者の他のシリーズには今のところ興味が湧きません。

元々の職業はホテルマンだそうです。


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THE TALE OF PETER RABBIT [本]

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WEDGWOOD の製品でもお馴染みのピーターラビットですが、昨年は出版120周年の記念展も観覧しました。



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しかし改めて考えてみるとどんなお話かよく知らなかったので取り寄せてみました。


原作の絵本の作者の Helen Beatrix Potter さんは1943年に亡くなっていますので絵も文章も著作権は切れています。



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この本の他にも The Tale Of 〜 で始まる本などがたくさん出版されたようですが、原点といっても良いであろうこの本は拍子抜けするほど短いお話です。


でも小さな子供にとってはちょうど良い長さなのでしょう。

自分のことを振り返ってみてもそうなのですが、小さな子供は驚くほど想像を膨らませます。


Wikipedia には

 1893年9月4日にビアトリクス・ポターが友人の息子に宛てた絵手紙が原型

とあります。



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ピーターには姉妹がいて、フロプシー、モプシー、カトンテールという名前です。



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この版では日本語訳の訳者が誰であるのかわからないので一応ぼかしておきます。

WEDGWOOD の製品にもイラストと一緒に英文が印刷されているものが多いですが、先日見た製品にもこの部分が印刷されていました。

それを読んだ時 old Mrs. Rabbit はおばあさんなのかなと思ったのですが、お母さんのようです。

なんで old としたのでしょうね。


子供たちに遊びに行っておいで、と言うのですが「マグレガーさんの畑には決して入ってはいけないよ」と注意します。

その先が衝撃的ですが、ピーターたちのお父さんはそこに入ったのを見つかってミートパイにされてしまったのだそうです。

そんなお話なのですね。



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発行はゴマブックスなのですが、


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製本は Amazon のようです。

多分オンデマンド印刷なのでしょう。

お値段もとても安いのです。


小さな子供に読んであげるのも良さそうです。


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こんなものまで付録に [本]

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どちらが付録かわからない本がこれでもかと言うほど書店やコンビニに並んでいますが、先日見たのはこちら、



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とうとう特定のブランドのパン用の道具まで登場しました。



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三年前の台風による長期停電以降パンを焼いていないのですが、焼いていたときは焼き立てのパンは足付きの金網に乗せていました。


でもこっちの方がオシャレですね。



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高級食パンも曲がり角らしいですが、ホームベーカリーで焼いた焼き立てのパンはやっぱりいいですね。

すぐには切れないので良いナイフも欲しくなりますが。



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この手のものはみんな宝島社ですね。



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どのコンビニでもあるのかどうかわかりませんが、セブン-イレブンにありました。

乃が美のパン専用というわけではないでしょう。

パン好きの方はぜひ。


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