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ジョージ・チャキリスの『ウエスト・サイド物語』 [本]

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昨日この本を読み終わりました。

おりしも明日はスピルバーグ版の『ウエストサイド物語』の日本封切りです。



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映画でベルナルドを演じたジョージ・チャキリスが自らの半生を振り返って映画(とその前の舞台)との関わりを綴っています。

第二章から始めなさいとアドバイスを受けたそうですが、大抵自分の幼少期から語り始めるものだが多くの人はそんな小さい頃のことには関心がないから、という意味であるそうです。



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翻訳は字幕翻訳の大ベテランの戸田奈津子さんですから、これ以上はない訳者ですね。


しかし翻訳教室などでは一口に翻訳といっても文学もあればマニュアルもあれば契約書もあるという具合で、字幕翻訳もいわば特殊技能と呼んでもいいような技術が求められます。

映画での役者のセリフの長さや口の開き方に合わせて違和感のない日本語を綴らなければなりませんし、目で追える長さにも限界があります。

なので一種の意訳を強いられる場合があるようです。


戸田さんはそういう意味では第一人者でいらっしゃるので何も問題はないのですが、どうしても字幕翻訳の要領が身についていらっしゃるのか文章が短めなのと、翻訳では場合によっては二つ以上の原文を一つの文として訳す場合もあるところ、かなり原文に忠実に訳していらっしゃるようです。


全体は「だ・である調」でなく「ですます調」で訳されています。

多分チャキリス自身が本来は引っ込み思案であるという意味のことを述べているのでそのイメージを表そうとしたのだと思われます。


なお、ここでは通常『ウエスト・サイド物語』としているタイトルを『ウエストサイド物語』、

今はスティーヴン・ソンダイムと表記される人名をスティーヴン・ソンドハイムとしています。当時はそう表記していました。

またジェローム・ロビンズと表記されることもある人名もジェローム・ロビンスとしてます。これも当時はそう表記していました。


チャキリスがもともとダンスや映画の世界に憧れていたところ、『ウエスト・サイド物語』の舞台(ニューヨーク公演)を観て感激し、ロンドンの舞台のオーディションがあるという話を聞いて応募したという経緯が述べられています。

舞台ではベルナルドではなくリフ役だったそうです。



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気になった箇所を少し引用しますと、


第一章 少年時代・夢への扉
P13 
父はもちろん父親に従順でしたが、母は最初から間違ったやり方だと考えていました。
(父の父親は祖父なわけですが、読んでいてちょっと迷うので「祖父に」としてもいいと思うのですが、そうすると関係性が少々ややこしくなるので「その父」としてもいいような気がします)
P17
映画館には毎週土曜、必ず足を運んでいました。それだけでなく、告白すると、しばしば学校に向かう道を逸れて繁華街に向かい、映画館の暗がりに身を沈めていました。
(「それだけでなく、告白すると、」の部分は「告白しますが」くらいの方がスムーズに思えます)
P28
その日のクラスに有名スターの顔は見当たりませんでしたが、構うことではありません。
(同様に「構いやしません」くらいの方が読みやすいです)
第五章 映画『ウエストサイド物語』
P124 
 話によると、ナタリーはカメラの前では自分の声で歌い、あとから達人 ”ゴースト・シンガー” のマーニ・ニクソンが吹替えたそうです。(話は逸れますが、マルニ・ニクソンは『ウエストサイド物語』のサウンドトラックの売り上げから出る、印税のパーセンテージ契約をしていなかったので、(後略)
(マーニ・ニクソン と マルニ・ニクソン と異なる表記がされています)
第七章 殺到するオファー
P163
 1959年、『ウエストサイド物語』の映画化のまえ、ロンドンでリフを演じていたときですが、サガ・レコードという、英国の小さなラベルの会社からジョージ・ガーシュインのソング・アルバムを出さないかという話をもちかけられました。
(中略)
 サガは、ガーシュインのオーケストラ・トラックをアナログ録音で幾つか持っていると…表向き…言っていましたが、良い質ではありませんでした。
(中略)
 サガ・レコードは小さなラベルの会社であるだけでなく、発足したてで、資金もごくわずかでした。
(原文は多分 "label" だと思いますが、レコードに関していうときは「レーベル」です)
(「良い質ではありませんでした」はこなれた表現とは言えないですね。多分音質が良くなかったということだと思いますが、オーケストラの演奏の質が良くなかったのかアレンジが良くなかったのか、明確にして欲しいところです)



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映画の成立過程については以前バーンスタインの伝記などを参考にして理解してきましたが、この本にもジョージ・チャキリスが知る成立過程が述べられています。

概ね同じなのですが、新しく知る部分もあります。


第二章 オーディション

P79

 イースターと過ぎ越しの祭りを背景に、カトリック系のジェット団と、ユダヤ系のエメラルド団が対決するという設定でした。(中略)
 ローレンツは台本の初稿を書き上げましたが、第二次世界大戦の余韻が残っていた当時、反ユダヤ主義という、いまだ極めてデリケートなテーマに触れるのは、時期尚早ではないかと考え直しました。
(中略)
 放棄されていたこの企画が、再び日の目を見たのは6年後の1955年でした。
(中略)
この時の障害のひとつは、レナード・バーンスタインが歌詞とスコアの両方を受け持つのはとても無理と、音をあげたことでした。しかし幸運が働きました。スティーブン・ソンドハイムという若いソングライターを紹介されたアーサー・ローレンツが、彼にバーンスタインの「イーストサイド物語」のスコアに歌詞をつけてもらおうと提案したのです。最初、ソンドハイムは乗り気ではなかったのですが、師匠であるオスカー・ハマースタインと相談して、やっと「イエス」の返事をしました。(中略)

ローレンツとバーンスタインの間では、その朝、ロサンゼルス・タイムズ紙のトップ記事になっていた、シカゴのギャングの世界に、血なまぐさい縄張り争いが勃発したという事件が話題になりました。それがきっかけで、「イーストサイド物語」の背景をロスに移し、メキシコ人vsアメリカ人のギャング対決の話に置き換えたらどうだろうかというアイデアが、ごく短く話されました。(中略)
 ローレンツとバーンスタインのビヴァリーヒルズ・ホテルでの会話に、ニューヨークで起こりつつあった民族意識の変化が加わって、「イーストサイド物語」の元々のコンセプトだったカトリック/ユダヤのテーマは、人種的な対立のテーマに変わりました。
下線と太字は加工しています。
(ここではバーンスタインが
  ソンドハイムのことはよく知らないが作品の一つは好きだったので

 OK したというエピソードには触れられていませんが、以前読んだ資料ではソンドハイムが乗り気ではなかったという記述はありませんでした。

また、ここは重要な部分ですが、ロサンゼルス・タイムズのトップ記事だったのはシカゴのギャングに関する事件とありますが、他の資料ではそこまで詳しくは触れられていませんでした)


明日公開のスピルバーグ版は映画よりも舞台に近いものと評されているようですが、これは観てのお楽しみです。

この本では映画化に際して舞台版と変更された箇所がいくつか紹介されています。


第五章 映画『ウエストサイド物語』

(ここでは日本語訳ほか一部を省略します。)

P127
 舞台の「アメリカ」は(中略)映画に移す過程で、歌詞も一部、変えられました。(中略)たとえば、舞台では ‘Puerto Rico, you ugly island, island of tropic disease…”. という歌の出だしは、映画では “Puerto Rico, my heart’s devotion, let it sink back in the ocean…” となりました。その少し後の “And the babies are crying, and the bullets flying” は “And the sunlight streaming and the natives steaming…” になりました。
(中略)
P131
 舞台をスクリーンに移す過程で変えられたのは、歌詞だけではありません。サウンドトラック権を持っていたユナイテッド・アーティストとコロンビア・レコードは、彼らなりの検閲制度の指針を持っていて、それを守ることにとても神経質でした。(中略)
 リフとトニーが友情を確かめ合(う場面は)スクリーンとサウンドトラックでは「誕生から土に戻るまで」と変えられました。
 ジェッツが歌う「クラプキ巡査どの」はもっと大きな修正を受けました。(中略)映画では “おやじはおふくろを殴り、おふくろはおれをひっぱたく” に。(別の箇所)は “お優しいソーシャル・ワーカーさま、みんなが仕事を見つけろと言うんだ。カウンターでソーダ水を注ぐ仕事とか。それって、ぐうたら人間になれってことだよね” と変わりました。(中略)ソンドハイムは “クラプキ巡査、クラップ・ユー(クソ食らえ)” と歌詞をきれいにしました。


このほか第六章では実際にプエルトリコからの移民であったアニタ役のリタ・モレノが、ジェット団に囲まれるドラッグストアの場面で泣き崩れてしまったとあります。

それは多分役者たちの演技が真に迫っていたからでしょう。



最後にもう一つ、以前取り上げたことのあることと同じことをチャキリスが書いているのでその箇所を引用します。


第十五章 ロンドン・東京
P327
 ロンドンでの滞在を続け、ナナ・ムスクーリとBBCの仕事などをしているとき(中略)電話がかかってきました。オファーされたのは、東京の舞台で上演される『白蝶記』という芝居です。(中略)わたしはひと言の日本語もしゃべれないのです。舞台の上で、せりふのきっかけを、どうやってつかむのでしょう。発音だけ丸暗記して、感情をこめた芝居ができるでしょうか?

ほんと、そうですよね。



明日は休日ですが雪の予報でもありますし朝は更新しません。

撮影できればラッキーです。


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真相はわからない:ES細胞の混入 [本]

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もう10年も経つのかと思いました。

単行本が出た当時手に取ったものの読みませんでしたが、今回文庫化されて並んでいたので読んでみました。


研究の内容などについてはコメントできる立場にないのですが、この事件については ES細胞が混入されたということで調査委員会の結論も出て決着しています。


本人は意図的な混入を強く否定しているとのことですし細胞を培養しているときに長期間無人になることがあって誰でも部屋に入ることができたということが判明しているのですが、犯罪捜査ではないのでそれ以上の追求はできないようです。

しかも重要な当事者が亡くなってしまっています。


「未熟な」研究者であったとされ、採用についても異例な扱いで研究内容も一部の関係者しか知らないとか後から考えれば「なぜ?」と思うようなことばかりです。



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理研も予算を獲得しなければならないとか iPS細胞を上回る成果であるとか、部外者が今読むと日本のトップクラスの頭脳集団であるはずなのに何故だろうと思ってしまいます。



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この本では触れられていないのですが、別の研究チームの Tチームリーダーがあるとき語った「あんなに可愛くなければ」という言葉が記憶に残っています。


亡くなった S氏は論文も専門誌に何本も掲載されている優秀な科学者です。

それがあの論文に関しては掲載されるように論文を手直しした(元の論文がそもそも稚拙であって、これ以前に他紙に三度も断られている)とでも言いたくなるような振舞についてもなぜ?というほかありません。

元データや実験ノートに当たらなかったことについては W氏などについてもそれなりに理由はあったようです。


「STAP細胞はありま〜す」という発言が印象に残っていますが、もし本人が ES細胞が混入されていることを知らなかったのであれば彼女も被害者と言えなくもないのですが、それはもうわからないことです。


もし誰かが混入したのだとすれば論文に記載された方法で STAP細胞を作ることは不可能(追試ができなくてやがてこのような事態になる)ということになるなのですからそれは陰謀でしょう。


永遠にわからないのかもしれません。



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読み終わったタイミングでこんな本を見たので買ってしまいました。



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身悶えはどうでもいいのですが、「日本植物学会賞特別賞受賞作」に期待しました。



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この著者の作品は以前『船を編む』を読みました。

確か本屋大賞受賞作です。


悪くはなかったという印象です。

おりしも今『三省堂国語辞典』の新版が出たようで、NHKの番組でも辞書の編纂について取り上げていましたが、辞書に収録された言葉やその意味、用例はいうまでもありませんが "正しい" ものというお墨付きを与えたものではありません。

言葉は生き物と言われますが、使い方は変わります。

新しい辞書には今どう使われているかが載っているのです。


ある人に言葉の使い方について指摘したところ「辞書A と B と C に載っている」から間違っていないと反論されたのですが、まあ考えが足りませんね。その A B C についても学生が使うようなありきたりの辞書でしたし。



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読んでみようと思ったのは巻末にこのような用語解説があったからで、物語が化学的にどう描かれているかに興味を持ったからです。


泳動槽はまさに一冊目の事件で問題になったデータに関わる部分で登場します。

PCR は今お馴染みです。



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でも物語が読み応えあるものなのかどうかは読んでみないとわかりません。


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スリップはなくなるのかも [本]

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最近できた三省堂書店は基本はセルフレジです。

自分で支払い操作をしてカバーなども必要ならもらうのですが、最近買った本を見ていて改めて気づいたのは短冊とも呼ばれるスリップが挟まれていないものが殆どだという事です。


今日読み始めた文庫本には挟んであったのですが、そういえば今までこれを抜いて置いてきた事はなかったと改めて思いました。



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これだけにあります。



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スリップは書店が売上の集計をしたり取次に注文したりするときに使うものだそうですが、最近は POSレジが大部分なのでスリップはいらないらしいのです。


昔であったらこれが挟まれたままだったら会計が済んでいないものと判断できたのでしょうが、セルフレジで袋もカバーも要らないとなると裸で持って歩くことになるわけで、なんとなく心配なのでレシートを目立つように一緒に持ちます。


単行本や新書、文庫本はカバーをその場で掛けるのでいいのですが、雑誌は気を使います。

そういえばここでは文具も売っているので文具も同じですね。


栞の代わりに使うこともできそうですが、今はレシートを栞にしています。

薄くていいのです。

購入日付も記録されてますし。


レザーなどの厚いものは跡がつくので使いません。

同じ理由で厚手のブックカバーも使いません。


カバーは座れる場所に行ったときに上下左右の位置をきっちり合わせて折り直します。

なんとなく嫌なのです。



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飲み物などを飲みながら本を読むのが一番の楽しみと言って良いです。


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『ウエスト・サイド物語』の誕生 [本]

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日曜の撮影です。

ホワイトバランスを変えたままだったので少々色が変です。


粉桜さんで休憩です。



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商業施設は皆クリスマス気分です。



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さらに調べたいことがあって古本を買いました。


‎青土社から新版が出ているのですが、巻頭言か何かを追加収録しただけで中身は同じだとのことだったのでこちらにしました。
『ウエスト・サイド物語』(この訳では『ウエストサイド物語』と表記)の誕生に関わるエピソードを調べたくて必要な箇所を拾い読みした段階です。
『ウエスト・サイド物語』がどのように着想されてなぜ長期間進展がなかったか、何がきっかけで『イーストサイド物語』が『ウエスト・サイド物語』に変わったのかはこれを読んで良くわかりました。
きっかけについてはスクリーンプレイ出版の『スクリーンプレイ ウエスト・サイド物語』(脚本と対訳)に挿入された文章で触れられていたのでさらにその前段などを知りたいと思いました。
進展がなかった時期はイスラエル・フィルの客演指揮、自作の交響曲の初演、その他の指揮活動、結婚、長男の誕生、そしてニューヨーク・フィルの客演指揮、『キャンディード』の作曲と初演など多忙を極めていたからで、これらのことは今まで詳しく書いた資料を読むことがなかったので大変参考になりました。
イーストからウエストに設定が変更されたのは物語の舞台に想定していた現実のスラム街がなくなってしまったからで、さらに実際のギャング団の抗争を報じた新聞記事を読んだことで「これだ」という感触を掴んだようです。
『キャンディード』が意に沿わぬ改変を重ねた挙句上演では好評を博すことができなかったところでしたが、もともとジェローム・ロビンズがモントゴメリー・クリフトから現代風にロミオを演じるにはどうしたら良いかと相談を受けたことがきっかけで『ロミオとジュリエット』の現代版をという話を持ち込んだのだそうで、バーンスタインは大層乗り気になったそうです。
構想を変更して一方をプエルトリコ人と設定したとき、頭の中でラテンのリズムが鳴り響いたとあります。
ここに傑作が誕生する条件が揃いました。当初の計画がスムーズに進んでいたらこの作品はミュージカル史、映画史に残る傑作にはならなかったでしょう。
それでも同時に進められていた『キャンディード』と曲を入れ替えるなど、バーンスタインの当初の構想のままではなかったようです。
オーケストレーションはシド・ラミンとアーウィン・コスタルが手がけていますが、バーンスタインはその監修をしています。コスタルは「音符全てが彼の作品」と言ったとあります。
編曲者としてクレジットされることは辞退したと別の資料にあります。
作詞に関しては初演のプログラムにはバーンスタインとスティーヴン・ソンダイムの両者がクレジットされていたそうですが、バーンスタインがソンダイム単独にするよう申し入れたそうです。
その時ソンダイムはその申し出に感激して「印税についても調整しなければ」という申し出を「大事なのはクレジットだけですから」と遠慮したとあります。
後にそのことを大いに後悔したそうですが。
バーンスタインが『ウエスト・サイド物語』の制作過程に関わる日誌のようなものを出版したとあるのですが、『バーンスタイン わが音楽的人生』という書籍に収録されているようなので注文しました。
挿入された写真ではスティーヴン・ソンダイムのピアノでエリザベス・テイラーなど『ウエスト・サイド物語』のリハーサルの様子など貴重なシーンを見ることができます。
その後 "The making of WEST SIDE STORY"(Keyth Garerian)という本も見つけたので該当の箇所を読んでいるところです。


スピルバーグ監督の映画は当初 12/10 公開の予定でしたが、来年 2/11 に延期されたそうです。

待ち遠しいです。


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モーツァルトとベートーヴェンが会ったのはいつか [本]

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先日読んだこの本ですが、著者の鈴木先生はどうも暗譜でモーツァルトのコンチェルト(G-Dur)演奏されたらしいのでやはり相当な腕前ですね。


第一章の中の「即興演奏と脳」(P74)にモーツァルトとベートーヴェンが出会った時のエピソードが紹介されています。


オットー・ヤーンの著作に拠って

 一七八七年四月、一六歳になったベートーヴェンは、ボンからウィーンへやって来て三〇歳のモーツァルトのもとを訪れました。

とされているのですが、ベートーヴェンがウィーンを訪れた時期については資料によって記述が異なるそうで、

 四月初めから三週間

 一月

 一七八七年初め

 一七九〇年

とまちまちです。

ニューグローブ音楽辞典では三月か四月、十週間としているそうです。


モーツァルトの誕生日は 1756年1月27日。

ベートーヴェンは    1770年12月16日。


なので出会いの日が1787年1月26日以前であればモーツァルトは三十歳なのですが三月か四月だとすると三十一歳になるはずです。


検索していますと根拠が確認できていないのですがミュンヘンの宿屋にベートーヴェンが泊まったという記録があるそうで、それが4月1日と4月25日だというのです。

ボンからウィーンまでが約960kmだそうで、一頭立ての馬車だと約一週間の距離だそうです。

ミュンヘンはその中間地点よりややウィーンに寄っていますので、ボンからミュンヘンまで四日、ミュンヘンからウィーンまでは三日かかるとしますとボンを出発したのが3月28日頃、ミュンヘン着が4月1日、

ミュンヘン発が翌4月2日、ウィーン到着が4月5日頃であろうと思われます。

帰りはウィーン出発が4月22日、ミュンヘン着が25日、

ミュンヘン発が翌26日、ボンへの帰着が30日頃であろうと思われます。

ウィーン滞在は4月5日頃〜4月22日頃までで約18日間で三週間弱という計算になります。


これが確かだとすればやはりモーツァルト三十一歳の時ということになります。

細かいことですが。
 
 
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脚本を読むのは面白い [本]

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今月公開だなと思っていたらいつの間にか来年2月に公開されたらしい "WEST SIDE STORY" ですが、先日新訳を読んだことは取り上げました。


読んでいたらまあまあ読みやすいのですが会話の文章が硬いなと思えたので原書を買ってみました。

古本ですが。



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それを探しているときに脚本の対訳があることを知ったのでそれも買ってみました。

これも古本です。



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紙が焼けていますが、読んだ形跡がないような状態です。



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少し傷みはありますが。



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傑作ですね。



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これは全ての愛がについて出ているわけではないので今まで手にしたことがないのですが、読んでみるととても興味深いです。



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こうした解説がいくつか挟まれています。

これは勉強になります。



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これもとても興味深い。

実際の街で撮影したので物語のような「ギャング」の邪魔が入ることが当然予想されたのでそのリーダーに協力を乞い、スタッフとして雇ったというのです。

すごいですね。



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これも勉強になります。



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お前には黙秘権がある云々などですね。



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前のオーナーが挟んだと思われるレシートがありました。

Amazon の商品説明にはこれは書いてありませんでしたね。

まあそんなことまでは書かないでしょう。

でもちょっと良かったです。


ほぼ23年前。

消費税 5% です。



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オーケストレーションは別の人だったとは以前取り上げましたが、物語が具体的な形を取ったのが実際に起こった事件を新聞で読んだことがきっかけであったとあります。

これは初めて知りました。

バーンスタインの伝記にあるそうです。



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脚本は映画そのままで生々しいです。

いいですね、これ。



明日は早めに出るので朝の更新はお休みします。

撮影はできると思います。


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常連になりそう:三省堂書店 [本]

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朝、出かける途中の外気温は0℃でした。夜明け前ですが。

車の窓が曇ります。

足も冷たいです。



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新しくオープンした三省堂書店は基本はセルフレジです。

まあ、スタッフの方はいらっしゃって、お年寄りなどにはお手伝いしてくれるようです。


バーコードを読ませてレジで決済。

紙袋もビニール袋も有料です。


すぐ後ろに作業台があってその下には紙のカバーが備えてあります。

カバーが欲しい人は自分で取ります。



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大きさ別に分けてありますが、「親書」?

もちろん「新書」です。

伝えておきました。

文化の担い手がこれではちょっとね。



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ポイントカードを作りましたが、オープン記念で二千円以上(文具でも OK)購入すると特製のブックカバーがもらえます。

先着二百名様だったかな?



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これ、通常は千百円で売っている商品です。

用紙は三枚。

すごい値段ですね。



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三種類あります。

各三枚です。

買おうかなと思いながらなかなか踏ん切りがつきませんでしたが、もらえて嬉しいです。

使うのが勿体無くてしまっておくことになりそうです。



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ショッピングセンターの敷地内ではナンキンハゼが色づいています。



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空が青いです。



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葉はオレンジ色です。



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実は蝋の原料になり、鳥が啄みに来ます。



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黄色い落ち葉。



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まだ緑の葉もあります。



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明日も日中は暖かいようです。


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書店ができた [本]

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たまに立ち寄るショッピングセンターですが、改装前にあった書店がなくなって不便でしたが昨日三省堂書店がオープンしました。


駐車場に車を入れると富士山が見えました。



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反対側は下の方に雲がありました。



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空気が澄んでいたのですね。

風が強かった為でしょうか。



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今までは少し離れたところにある書店か千葉そごう内の三省堂を利用していたのですが、これからはこちらを利用することが増えるでしょう。

ポイントカードも作りました。



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明日は今日より寒いそうです。


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シッダールタ・ムカジーのおすすめの本。 [本]

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『遺伝子』(上)(下)は以前も取り上げたのですがその時は上巻を読み終わった段階で、その後下巻も非常に興味深く読みました。


原書の内容が素晴らしいのでしょうが、翻訳がまた素晴らしく、まるでもともと日本語で書かれたかのようです。


上巻ではメンデルやダーウィンなど遺伝というものがどういう仕組みで起こるのか分からなかった時代から初めてそれがどのように発見されて解明されたかということが詳しく述べられています。


下巻でも幅広いテーマが扱われているのですが、興味深かったのは今では珍しくない、心と体が一致しないということがなぜ起こるのかということについての記述でした。


母親は遺伝子の中の染色体(23対)のうち性別を決める性染色体が XX、父親は XY を持っているのですが、子ができる時母親からは X を、父親からは X か Y を受け継ぎます。

X を受け継げば(XX になれば)女の子、Y を受け継げば(XY になれば)男の子になります。


卵細胞は母親のもので、父親は遺伝情報を提供するだけです。

つまり私たちの体の元になる一個の細胞は母親からもらうわけです。


細かいことはここでは省きますが、外見は男性でも染色体は XX(逆だったかな?)という例が実際にあるのだそうです。



LGBT という言葉が普通に目にすることがある今、読んでおくと理解の助けになるかもしれません。



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続いてダーウィンの『種の起源』を読む予定だったのですが、同じ著者の『がん』(上)(下) を読み始めました。

こちらの方が先に書かれたものですが、ピューリッツァー賞を受賞しています。

もう下巻ですが、こちらもがん発生のメカニズムがどう解明されてきたががわかりやすく述べられていてページをめくるのがもどかしいほど興味深く読めます。


たまたま今日の夕方のニュースで「ラスカー賞」の受賞者のニュースが報じられていました(mRNA ワクチンとそれを体に異物として認識させない手法が評価の対象)が、メアリー・ラスカーについて詳しく書かれています。


これらの著作は今こそ読むべき本なのではないでしょうか。


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東京佼成ウインドオーケストラは60年 [本]

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しばらく前に買った本ですが、最近読み始めました。



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昨年が 60周年でした。



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知らなかったことが多いのですが、かいつまんでご紹介しますと、陸軍の音楽隊で演奏していらした河野貢造さんが昭和23年に大日本立正交成会(昭和13年設立)に入信し、即席音楽隊と呼ばれたバンドを結成します。

それが昭和28年に音楽部となり、昭和34年にはプロの吹奏楽団を作ることになります。


そこに参加したのが河野さんの後輩であった水島数雄さんです。

水島さんは当時の船橋ヘルスセンター(昭和30年〜昭和56年。現在のららぽーとTOKYO-BAY)で「少女音楽隊」の音楽監督を務めていらして、先輩である河野さんからの誘いに応じられたとのことです。



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"NEW SOUNS IN BRASS" が始まったのが 1972年で、当時から録音は TKWE が担当していたそうですが、外部からのメンバーも含まれていたのでバンド名は「ニュー・サウンド・ウインド・アンサンブル」。

指揮は岩井直溥さんですが所属が異なる(東芝音工。録音は CBSソニー)ためこの時は名前を出さなかったとのことです。

資料編の記録にこのシリーズが記録されているのは '75年の第四集からですが、第二集か第三集は演奏は「東京アンサンブルアカデミー」となっていたはず(「愛情の花咲く樹」などが収録されていた)ですので、一回くらいは録音を担当しなかったことがあるのかもしれませんが、その点については述べられていません。



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この本は半分以上が資料ですので敢えて言えば全体が資料のようなものです。

巻頭言のようなものが六つも収められていますし、本文中四つはコンサートマスタなどへのインタビューです。


古い事柄、特に戦前のことなどは資料が見つからないのかもしれませんが、NHKの『ファミリーヒストリー』くらいの調査ができればまだ見つかるものがあるかもしれません


2,800円なのですが、今の現役世代には昔話に思えるでしょうし関係者以外には売れないかもしれませんね。



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