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ジョージ・チャキリスの『ウエスト・サイド物語』 [本]

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昨日この本を読み終わりました。

おりしも明日はスピルバーグ版の『ウエストサイド物語』の日本封切りです。



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映画でベルナルドを演じたジョージ・チャキリスが自らの半生を振り返って映画(とその前の舞台)との関わりを綴っています。

第二章から始めなさいとアドバイスを受けたそうですが、大抵自分の幼少期から語り始めるものだが多くの人はそんな小さい頃のことには関心がないから、という意味であるそうです。



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翻訳は字幕翻訳の大ベテランの戸田奈津子さんですから、これ以上はない訳者ですね。


しかし翻訳教室などでは一口に翻訳といっても文学もあればマニュアルもあれば契約書もあるという具合で、字幕翻訳もいわば特殊技能と呼んでもいいような技術が求められます。

映画での役者のセリフの長さや口の開き方に合わせて違和感のない日本語を綴らなければなりませんし、目で追える長さにも限界があります。

なので一種の意訳を強いられる場合があるようです。


戸田さんはそういう意味では第一人者でいらっしゃるので何も問題はないのですが、どうしても字幕翻訳の要領が身についていらっしゃるのか文章が短めなのと、翻訳では場合によっては二つ以上の原文を一つの文として訳す場合もあるところ、かなり原文に忠実に訳していらっしゃるようです。


全体は「だ・である調」でなく「ですます調」で訳されています。

多分チャキリス自身が本来は引っ込み思案であるという意味のことを述べているのでそのイメージを表そうとしたのだと思われます。


なお、ここでは通常『ウエスト・サイド物語』としているタイトルを『ウエストサイド物語』、

今はスティーヴン・ソンダイムと表記される人名をスティーヴン・ソンドハイムとしています。当時はそう表記していました。

またジェローム・ロビンズと表記されることもある人名もジェローム・ロビンスとしてます。これも当時はそう表記していました。


チャキリスがもともとダンスや映画の世界に憧れていたところ、『ウエスト・サイド物語』の舞台(ニューヨーク公演)を観て感激し、ロンドンの舞台のオーディションがあるという話を聞いて応募したという経緯が述べられています。

舞台ではベルナルドではなくリフ役だったそうです。



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気になった箇所を少し引用しますと、


第一章 少年時代・夢への扉
P13 
父はもちろん父親に従順でしたが、母は最初から間違ったやり方だと考えていました。
(父の父親は祖父なわけですが、読んでいてちょっと迷うので「祖父に」としてもいいと思うのですが、そうすると関係性が少々ややこしくなるので「その父」としてもいいような気がします)
P17
映画館には毎週土曜、必ず足を運んでいました。それだけでなく、告白すると、しばしば学校に向かう道を逸れて繁華街に向かい、映画館の暗がりに身を沈めていました。
(「それだけでなく、告白すると、」の部分は「告白しますが」くらいの方がスムーズに思えます)
P28
その日のクラスに有名スターの顔は見当たりませんでしたが、構うことではありません。
(同様に「構いやしません」くらいの方が読みやすいです)
第五章 映画『ウエストサイド物語』
P124 
 話によると、ナタリーはカメラの前では自分の声で歌い、あとから達人 ”ゴースト・シンガー” のマーニ・ニクソンが吹替えたそうです。(話は逸れますが、マルニ・ニクソンは『ウエストサイド物語』のサウンドトラックの売り上げから出る、印税のパーセンテージ契約をしていなかったので、(後略)
(マーニ・ニクソン と マルニ・ニクソン と異なる表記がされています)
第七章 殺到するオファー
P163
 1959年、『ウエストサイド物語』の映画化のまえ、ロンドンでリフを演じていたときですが、サガ・レコードという、英国の小さなラベルの会社からジョージ・ガーシュインのソング・アルバムを出さないかという話をもちかけられました。
(中略)
 サガは、ガーシュインのオーケストラ・トラックをアナログ録音で幾つか持っていると…表向き…言っていましたが、良い質ではありませんでした。
(中略)
 サガ・レコードは小さなラベルの会社であるだけでなく、発足したてで、資金もごくわずかでした。
(原文は多分 "label" だと思いますが、レコードに関していうときは「レーベル」です)
(「良い質ではありませんでした」はこなれた表現とは言えないですね。多分音質が良くなかったということだと思いますが、オーケストラの演奏の質が良くなかったのかアレンジが良くなかったのか、明確にして欲しいところです)



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映画の成立過程については以前バーンスタインの伝記などを参考にして理解してきましたが、この本にもジョージ・チャキリスが知る成立過程が述べられています。

概ね同じなのですが、新しく知る部分もあります。


第二章 オーディション

P79

 イースターと過ぎ越しの祭りを背景に、カトリック系のジェット団と、ユダヤ系のエメラルド団が対決するという設定でした。(中略)
 ローレンツは台本の初稿を書き上げましたが、第二次世界大戦の余韻が残っていた当時、反ユダヤ主義という、いまだ極めてデリケートなテーマに触れるのは、時期尚早ではないかと考え直しました。
(中略)
 放棄されていたこの企画が、再び日の目を見たのは6年後の1955年でした。
(中略)
この時の障害のひとつは、レナード・バーンスタインが歌詞とスコアの両方を受け持つのはとても無理と、音をあげたことでした。しかし幸運が働きました。スティーブン・ソンドハイムという若いソングライターを紹介されたアーサー・ローレンツが、彼にバーンスタインの「イーストサイド物語」のスコアに歌詞をつけてもらおうと提案したのです。最初、ソンドハイムは乗り気ではなかったのですが、師匠であるオスカー・ハマースタインと相談して、やっと「イエス」の返事をしました。(中略)

ローレンツとバーンスタインの間では、その朝、ロサンゼルス・タイムズ紙のトップ記事になっていた、シカゴのギャングの世界に、血なまぐさい縄張り争いが勃発したという事件が話題になりました。それがきっかけで、「イーストサイド物語」の背景をロスに移し、メキシコ人vsアメリカ人のギャング対決の話に置き換えたらどうだろうかというアイデアが、ごく短く話されました。(中略)
 ローレンツとバーンスタインのビヴァリーヒルズ・ホテルでの会話に、ニューヨークで起こりつつあった民族意識の変化が加わって、「イーストサイド物語」の元々のコンセプトだったカトリック/ユダヤのテーマは、人種的な対立のテーマに変わりました。
下線と太字は加工しています。
(ここではバーンスタインが
  ソンドハイムのことはよく知らないが作品の一つは好きだったので

 OK したというエピソードには触れられていませんが、以前読んだ資料ではソンドハイムが乗り気ではなかったという記述はありませんでした。

また、ここは重要な部分ですが、ロサンゼルス・タイムズのトップ記事だったのはシカゴのギャングに関する事件とありますが、他の資料ではそこまで詳しくは触れられていませんでした)


明日公開のスピルバーグ版は映画よりも舞台に近いものと評されているようですが、これは観てのお楽しみです。

この本では映画化に際して舞台版と変更された箇所がいくつか紹介されています。


第五章 映画『ウエストサイド物語』

(ここでは日本語訳ほか一部を省略します。)

P127
 舞台の「アメリカ」は(中略)映画に移す過程で、歌詞も一部、変えられました。(中略)たとえば、舞台では ‘Puerto Rico, you ugly island, island of tropic disease…”. という歌の出だしは、映画では “Puerto Rico, my heart’s devotion, let it sink back in the ocean…” となりました。その少し後の “And the babies are crying, and the bullets flying” は “And the sunlight streaming and the natives steaming…” になりました。
(中略)
P131
 舞台をスクリーンに移す過程で変えられたのは、歌詞だけではありません。サウンドトラック権を持っていたユナイテッド・アーティストとコロンビア・レコードは、彼らなりの検閲制度の指針を持っていて、それを守ることにとても神経質でした。(中略)
 リフとトニーが友情を確かめ合(う場面は)スクリーンとサウンドトラックでは「誕生から土に戻るまで」と変えられました。
 ジェッツが歌う「クラプキ巡査どの」はもっと大きな修正を受けました。(中略)映画では “おやじはおふくろを殴り、おふくろはおれをひっぱたく” に。(別の箇所)は “お優しいソーシャル・ワーカーさま、みんなが仕事を見つけろと言うんだ。カウンターでソーダ水を注ぐ仕事とか。それって、ぐうたら人間になれってことだよね” と変わりました。(中略)ソンドハイムは “クラプキ巡査、クラップ・ユー(クソ食らえ)” と歌詞をきれいにしました。


このほか第六章では実際にプエルトリコからの移民であったアニタ役のリタ・モレノが、ジェット団に囲まれるドラッグストアの場面で泣き崩れてしまったとあります。

それは多分役者たちの演技が真に迫っていたからでしょう。



最後にもう一つ、以前取り上げたことのあることと同じことをチャキリスが書いているのでその箇所を引用します。


第十五章 ロンドン・東京
P327
 ロンドンでの滞在を続け、ナナ・ムスクーリとBBCの仕事などをしているとき(中略)電話がかかってきました。オファーされたのは、東京の舞台で上演される『白蝶記』という芝居です。(中略)わたしはひと言の日本語もしゃべれないのです。舞台の上で、せりふのきっかけを、どうやってつかむのでしょう。発音だけ丸暗記して、感情をこめた芝居ができるでしょうか?

ほんと、そうですよね。



明日は休日ですが雪の予報でもありますし朝は更新しません。

撮影できればラッキーです。


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