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新しい博物学 [本]


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半袖でないと過ごせない陽気でした。

車がつながった道路ではエアコンを使いました。

スイスイ走れれば自然の風がいいのですが。


山林の日陰で窓を開けて休憩していたら蚊が入ってきました。

なかなか出て行ってくれないんですよね。

蚊は風が嫌いなのでエアコンの風が顔に当たるようにします。


さて先日買ったこの本がなかなか面白く、時間を忘れました。



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元々文学に強い関心を持っていた著者はお兄さんが理系が苦手だった(それなら理系を専門にすればお兄さんに勝てるかもしれない)という理由で大学の理学部、大学院の天体物理学を専門とされたと前書きにあります。
総合研究大学院大学、名古屋大学の名誉教授でいらっしゃるので安心して読むことができ、かつ一般の読者にもわかりやすい内容です。
文系の豊富な知識も併せて展開されていらっしゃるので両方に関心のある読者としては一つの分野に限定されずに、たとえば頭を使って疲れた時はぼんやりとするのでなく異なる方面のことをするといいという説がありますが、この本を読み進めるだけでそれができるような思いです。
内容については説得力のあるもので今まで知っていたことでも一段階知識を深めてくれるという印象です。
「ぶらんこ」についての考察は新鮮でした。
 
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ただ、一つ残念なのは第9章の「ふぐ」です。
ふぐ毒について述べられているのですが、なぜフグが毒を持つのか(ヤマカガシと状況が似ている)、その毒であるテトロドトキシンがどのように毒として作用するのかについての説明は明快で非常に興味深いのですが、
P174に
 「といっても、フグ毒による殺人事件は、あまり聞いたことがない。」
とありますがこの部分に違和感を覚えました。この本は当初2001年に出版されたものを出版社とタイトルを変えて
 「あわ」の章を付け加え、引用文献をすべ調べ直し新たに付け加えもした
ものだとのことですが、1986年に起こったトリカブトを使った殺人事件には触れられていません。
当初出版された時点では既に起こっている事件ですし、
P173には
 毒物には、青酸カリやサリンのような人工毒(英語ではポイズン)とトリカブトやフグ毒(テトロドトキシン)のような天然毒(英語でトキシン)の二種類がある。
とあるのでこの事件にも触れるのが自然な流れではないかと思えます。
この事件では毒性が現れるのを遅らせるためにフグ毒とトリカブトが併用されたという特異な事例で、たまたま血液が保存されていたためにそれが判明したという経緯があるので毒物に関係する人にとっては強い印象を残す事件であったはずです。


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不思議に思ったので巻末に掲げられている資料の一つ
 
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『毒──社会を騒がせた謎に迫る』常石敬一著、講談社 1999年
に当たってみますと、目次には「青酸化合物」(青酸コーラ事件、青酸チョコレート事件、帝銀事件など)「ヒ素」(和歌山カレー事件、ヒ素ミルク事件など)「農薬」「新しい毒物」(ダイオキシン、PCB など)「環境ホルモン」「サリン」などがあります。
 
 
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トリカブトはありませんが P190からの「保険金詐欺事件」の中で
 パラコート殺人事件が相次いだ八五年七月にはトリカブトで女性が毒殺されたマニラの保険金詐欺事件
と述べられていますが、これはどの事件を指しているのかわかりません。
マニラで起こった保険金に関わる事件で有名なのはこの本の出版のずっと後の2014−2015年に起こった銃撃による事件です。
 
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それはひとまず脇に置いておくとして、問題はP33以降にある
 ここまでの話で、毒物には表─1にあるような「人工物」と、アルカロイドのような「天然物」が存在することがお分かりいただけたと思う。
と始まってトキシンとポイゾン、「半数致死量」の説明などはほぼ同じ内容で引用されています。
そこまでは参考資料として明示されているので良いと思うのですが、
P35の後ろから三行目に
 フグ毒も猛毒だが、それを使った犯罪というのはあまり聞いたことがない。
とあって、この部分もほぼそのまま引用されています。
思うに著者は参考資料では触れられていなかった(その時点では知られていた)事件については思い出すことなく「あまり聞いたことがない」という部分まで引用したのかなと思います。


でもフグ毒とそれがどう毒として作用するのかの説明はとても明快です。


P173 フグ毒
フグの学名はテトラオドンで、「四つ(テトラ)の歯(オドン)を持つ」という意味がある。歯が非常に強く、顎の上下に各二枚の歯板を持つことからついた名前だがテトロドトキシン(トキシンは毒物・毒素のこと)もこれに由来する。とはいえ、二枚貝やカニなど多くの動物にも同じ毒素を持つ仲間がおり、フグ特有というわけでない。とすると、毒素は外部にいる細菌起源で、それを取り込んで体内に多く蓄積したフグが強い毒性を持つようになった、と考えて良いだろう。
 その一つの証拠として、天然フグの毒が最も強く、湾を仕切って養殖したフグは毒は持つが天然フグほどではなく、網生け簀に囲って養殖したフグは毒を持たないことがあげられる。つまり、自然の海に生息しているプランクトンが毒性(あるいは、毒性を作り出す細菌)を持っており、成育する中でそれをどれくらい多く取り込むかで、毒性の強さが異なってくるのだ。
(管理者注:これはヤマカガシがガマガエルを捕食して毒を持つようになるのと似ています)
 例えば、渦鞭毛藻プランクトンは、赤潮のときに大量に発生し、そのためにホタテガイが毒化する。フグ毒は、このようなプランクトンの摂取によるものらしい。外部から取り込んだ水を浄化する肝臓に毒が強いことは、この外因説を証明している。とはいえ、生殖器は外部環境から守られていることが多いのに、卵巣に毒が多いことから、フグ毒すべてが外因性かどうか疑問を呈する研究者もいる。まだまだ、謎は多いのである。
 毒物には、青酸カリやサリンのような人工毒(英語ではポイズン)とトリカブトやフグ毒(テトロドトキシン)のような天然毒(英語でトキシン)の二種類がある。それらの毒性の強さは「半数致死量」という量で表される。
(中略)
フグ毒の場合は八マイクログラム(1〇〇万分の八グラム)である。(中略)サリンなら1〇ミリグラム、トリカブトなら一五ミリグラム、青酸カリなら一四五ミリグラムだから、フグ毒がいかに強力かがわかるだろう。
(中略)
 フグ毒は、もっぱら神経細胞に作用する神経毒である。人体の神経細胞は、細胞膜に包まれているが、静かな状態ではその内側と外側に五〇ミリボルトくらいの電位差がついている。プラスの電気を持ったナトリウム・イオンが、細胞内部に少なく、細胞外部に多いためで、いわば神経細胞は小型電池のようなものである。神経が刺激されて興奮すると、細胞膜に小さな穴(イオン・チャンネル)が開いてナトリウム・イオンが急速に細胞内に流れ込み、一時的に電位差が小さくなる。すると、すぐに穴は閉じ、ナトリウム・イオンはイオン・ポンプによって細胞外に汲み出されて元の電位差に戻る。このような電位差の変化が次々と神経細胞を伝わるのが「神経伝達」の仕組みである。
(中略)
 フグ毒のテトロドトキシンは、ナトリウム・イオンが細胞内に入るのを妨げる働きをするらしい。その詳しい機構はまだ明らかではないが、フグ毒が神経や筋肉細胞の表面にあるイオン・チャンネルを塞いでしまうのではないかと想像されている。そのため、フグ毒が入ると、ナトリウム・イオンが移動できなくなるから電位差が変化しない。つまり、興奮を伝達できなくなってしまうため、血管が収縮したままで意識混濁となったり、呼吸麻痺が起こったりし、重篤の場合は死に至る、というわけだ。とはいえ、フグ毒は細胞を破壊するわけではないから、作用は一過性だし、中毒に罹っても数日で回復すると後遺症もない。たとえフグ毒に中っても、八時間もてば命は大丈夫なのである。


トリカブトの毒アコニチンはイオンチャンネルに作用する点では同じですが、フグ毒と反対にナトリウムイオンが細胞から出るのを阻害するようです。

なので適量(?)を同時に摂取するとその働きが拮抗して毒性が現れません。


妻の血液を分析していた大野が、公判でアコニチンとテトロドトキシンの配合を調節することで互いの効力を弱めることができると証言した。

アコニチンはNa+チャネルを活性化させ、テトロドトキシンはNa+チャネルを不活化させ、この2つを同時に服用するとアコニチンの中毒作用が抑制される、拮抗作用が起こることが判明した。

そしてテトロドトキシンの半減期(毒物の血中濃度が半分になるまでの時間)がアコニチンよりも短いため、拮抗作用が崩れたときに、アコニチンによって死に至る。

(Wikipedia)



まあこの事件の場合は高額な保険に加入してすぐ死亡したなど不審な点があったそうですが、検死に当たった医師が死亡時の症状がアコニチンによるものである事を突き止め、保存されていた血液からそれが検出されたことがキーになりましたが、フグ毒も使われたことは大量のフグを売ったという漁師が現れたことで改めて血液を調べた結果判明しました。


完全犯罪になるはずだったのでしょうが、そうならなかったのは被疑者の脇の甘さもあったでしょうが、操作にあたった関係者の執念によるものでしょうね。


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薬は医師の指示に従って [本]

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読みたい記事がある時だけ買う『文藝春秋』です。


最新号は薬についてで目薬などについても書かれていたので読んでみました。

ジェネリック医薬品(後発薬)という言葉はだいぶおなじみになったと思いますが、私もよく知りませんでしたが先発薬と全く同じものではないそうなのです。

特許が切れるのは主成分だけなので基剤は同じものは使えないのだそうです。

なので後発薬が合う場合も合わない場合もあるそうで、やめるか別のものにするかなどは医師の判断に従うこととあります。


眼科に通っているわけですが、当初手術を受けた病院で処方された薬が原因と思われる炎症が発生したので別の薬(ジェネリックではありませんが)に変えましたがそれも数ヶ月で同じような症状が発生しました。

成分を見ると共通するものがありましたのでそれが原因かなと判断され、今は別の点眼薬を使っています。

炎症の件もあるのでだんだん効果が緩やかなものに変更されたわけですが、今のところ症状は抑えられているので問題が起こるまではこのままでいくと思います。


他の記事を読んでいますと次の内容に興味を惹かれました。


 創刊100周年記念企画
  山崎豊子と文藝春秋
 『大地の子』編集者の前で日本舞踊 
   平尾隆弘 文藝春秋元社長
 
『大地の子』はドラマを視、原作も読みました。
千葉県内や千葉市内のホテルでロケが行われていました。そのホテルはもうないですが。
 
P307
取材と小説の往復運動
 山﨑先生は「取材の鬼」と言われた。いつか、珍しく自作について語られたことがある。「取材取材って言うけどね、机上の空論で小説は書けない。作家やったら誰でも、どんなときにも取材してるのよ」と言われたあと、「清張さんも司馬さんも、吉村昭さんも、丁寧に取材して、文章も上手。小説も面白い。私はあんなふうにうまく書けません」と素直に打ち明けられた。
(中略)
 その点、『大地の子』は、モデルのいない利点を最大限に活用した小説である。まず全体の構想を立て、日中双方の背景を取材する。これが一つ目の取材(それだけで三年間を費やしている)。ところが、ストーリーを練りつつ、新たに二つ目の取材が始まる。読者が引き込まれるシチュエーションを想定すると、その場面や人物が実際にリアリティを持つかどうかを取材するのだ。仮にAという事件を描きたいとすれば、Aに即した類似の事件を探し出し、体験者の話を聞いていくわけである。もし、似たような体験者は一人もいない、事件Aは現実にはあり得ないとなれば、ストーリーに無理がある(リアリティに欠ける)と考え、別のプロットを用意する。想像を空想に終わらせないための、いわばモザイク的手法。
 
「机上の空論で小説は書けない」は本当にそうだと思うのですが、今書店に並んでいる小説を読むと机の上でだけで作られたのではないかと思えるものが少なくありません。
『大地の子』に関しては盗作として訴えられたという事件が記憶にありますが、山崎さんのこの取材の方法ですとその訴えにあったようなことが起こるのかもしれないと思えました。
曰く自分の作品の引揚の様子の記述から登用しているということだったと思いますが、確か裁判所の判断では引揚げの状況は誰もが同じようなものだったとして訴えを認めなかったと思います。
引揚げのエピソードを取材して書いたのならそういうことになってもおかしくはないわけですが、盗用されたと考える人がいても不思議ではないと思えます。
まだ記憶に新しいあの事件では自分の応募作から盗用されたと思った犯人が悲惨な事件を起こしたわけですが、思い込みの程度は人によって違うのですね。
 
P304
『大地の子』の最大の協力者は胡耀邦総書記(当時)だった。山崎先生は、一九八四年から毎年、異例となる三度の面談を果たし、初回に「中国を美しく書くことは必要ない。欠点も暗い影も書いてよろしい。ただしそれが真実であるならば」と取材のお墨付きをもらった。この会見が「人民日報」で大きく報じられ、先生は記事を切り抜いてパスポートに挟んでいた。各地で「取材拒否」に遭うたびに記事を見せる。水戸黄門の印籠よろしく、あっという間にフリーパスで取材ができる。北京の奥の院・中南海(共産党・政府の中枢)から極貧にあえぐ農村まで存分に見学できたのは、胡耀邦のお墨付きのおかげだった。とりわけ三カ所━━牡丹江、内蒙古、寧夏に及ぶ労働改造所の訪問と囚人へのインタビューは、空前にして絶後。外国人はむろん、中国人さえ立入絶対禁止なのだから。胡耀邦の存在がなければ『大地の子』は間違いなく執筆断念に追い込まれた。
 

さてこちらは以前どこかで読んだことがある内容なのですが、山崎さんは大層信頼を得ることができたわけですが、相手が胡耀邦でなければこうはいかなかったでしょうね。


今も胡耀邦の時代が続いていたら随分情勢は違うだろうなと思うほかありません。


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『美しき愚かものたちのタブロー』文庫化 [本]

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以前から読んでみようかと思いながら買っていなかったこの作品が文庫化されたので買ってみました。



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おりしも国立西洋美術館が2020年6月19日から休館となりこの4月9日にリニューアルオープンしたばかりですので良いタイミングです。



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読んでから見るか、見てから読むかという心境です。



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話は変わりますが先日撮影したこの写真、NHK に投稿しておきましたら先日夕方の番組で使われました。



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使われるかどうかもいつ使われるかもわからないのですが、いつものように番組を見ていて知りました。


そのときは画面は撮ることができなかったのでオンデマンドで再度視たのでスクリーンショットを撮ったのですが、放送された画面は真っ黒になってしまったのでデジタルカメラで iPhone の画面を撮影しました。


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初めての作家さんの本二冊 [本]

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先週新たに読んだことのない作家さん二人の本を買いました。



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こちらは先日読んだ『月の満ち欠け』の中のエピソードに似た展開のようなので読んでみようと思いました。



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これも映画化です。



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これもカバーのような全面帯です。

こういうのが流行りなのでしょうか?



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こちらはちょうどあの知床の事故で潜水士のことが取り上げられていたので目につきました。



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読みたいものが多くて積み上げた本がだんだん高くなっています。


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佐藤正午さんをもっと読んでみよう [本]

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『月の満ち欠け』の印象がとても強かったので特集されている古い雑誌を探して買ってみました。



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この時『鳩の撃退法』をいう作品が文庫化されたようです。



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その作品は買ってあったのですが、まだ例の生まれ変わりに関する本を読んでいるので読み始めていません。



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これも映画になったようです。


このカバーはあの単行本と同じように全面帯ですね。



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佐藤さんの文章については、以前も触れましたが Amazon のレビューで貶している人がいますが、まるで見当違いだと思います。

文章のプロたちも絶賛していますし、読めばわかります。

この文章の良さがわからないようではいかんでしょうと思います。


ネットでの誹謗中傷が話題に上り、自分に理解できないものは間違っているとでもいうような主張が目につきますが、どうしてこのような風潮になってしまったのでしょうね。


異なる意見を認めることが大事だと思います。

賛成はできなくても。

攻撃するとか潰してやるなどと考えるなどは論外です。



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さて『月の満ち欠け』は二回ほど取り上げましたが、一度読んだだけでは関係が掴みきれません。

ついていけずにやめてしまったという人もいらっしゃるようです。


生まれ変わりを中心に据えて相関図を作りました。

例の本を今読んでいるのですが、実例ではこの作品のように同じ年に生まれ変わるという例は稀のようです。

場合によっては何年も間が開きます。

この作品でははっきりしているのは最初の生まれ変わりだけで、12月に事故死して、生まれるのは翌三月です。

こうした点は文学作品ですから問題とするようなことではありません。

ただ、どうしてそこに生まれ変わったのかという点は作品中にも手がかりはないように思えました。

最初の語り手である小山田堅が「見えないものの手で連れて来られた」ように思うと述懐する場面がありますが、八戸出身の二人が勤務地の都合で福岡から市原市五井、千葉市稲毛区稲毛、宮城県仙台市と移り住みます。

正木瑠璃の夫の地元が千葉県の船橋市。小沼工務店があるのがその船橋。

二度目の生まれ変わりがなぜ小沼工務店だったのか、三度目の生まれ変わりの新谷清美との関わりなどははっきりしません。

小沼工務店の三代目社長の妻が小山内瑠璃の担任だったというのもどの程度必然性があるのか掴みきれません。

最後の生まれ変わりの母親緑坂ゆいは小山内瑠璃の親友だった設定ですが、親友の子として生まれ変わるためには時間が必要なので小説の仕掛けとして小沼希美を登場させたのかもしれません。

レビューでは執念深いとか生みの親は自分の子が乗っ取られてしまったとか、舌を出す癖などはちっとも可愛らしいとは思えないなどネガティヴなレビューも少なくありませんが、「生まれ変わってもアキヒコ君に会いたい」という思いをヒロインがどう実現していったのかというのがこの小説の読みどころの一つです。
自分では気づかなかったけれど毎日に退屈していたヒロイン。
「俺が連れ出してやる」という言葉に押されるように結婚したけれど結局毎日同じことの繰り返しだった。
それでも毎週末の営みがなくなってみるとそれさえも波風のない暮らしの中の変化であったことに気づき、夫の裏切りや「愚かな女だ」などの言葉が出てくるに至って「精神のバランスを崩して」いく中で運命の出会いがあります。
地下鉄の事故は多分自ら選んだことではないかと思います。「今夜は戻りません」と書き置いていますし。
 
アキヒコ君は経験は乏しかったけれど瑠璃さんは忘れられない人になります。
事故で帰らぬ人になったことを知って大学の一年を棒に振るほどです。
その後40歳直前で結婚しますが、7年で破局しています。7年というのは小山内堅と藤宮梢が出会ってから結婚するまでの年数とたまたま同じです。
その後は再婚していません。
 
そして終章、「ずっと待っていたんだよ」として再会します。
会いたいという念の強さは瑠璃さんと同じです。
 
その想いの強さが読者を打つのです。
 
 
明日からは三連休ですが、朝の更新は行いません。
 
 
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『月の満ち欠け』の世界 [本]

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先日読んだ『月の満ち欠け』は構成が一筋縄ではいかない感じで、時間が前後し場面が変わりストーリーの主体が変わるので一読では全体像を掴み切れません。

そこで相関図に時間経過を加えたものを作ろうとしたのですが複雑になり過ぎて知らない人にはまるでわからないものになってしまいそうでした。


何度もあちこちを読んでいるうちに愛着が湧いてきたので当初刊行された単行本を買ってみることにしました。



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単行本の表紙が二種類あったのでなんだろうと思いましたら、写真を使った方は直木賞受賞後に作られた「帯(腰巻)」のようです。

剥がすと元のカバーがあります。

腰だけじゃなくなってますが。



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裏に佐藤さんの言葉がありました。

佐世保にお住まいでそこから出ないことで有名だそうですが、授賞式にはお出にならなかったようです。



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5年前なのですね。


さて何度も読むうちに当初に触れたこと以上のことが見えてきましたのでまとめました。


ほぼ確かだと思うのですが、語り手の小山内堅は作者と同じ年の生まれとすると辻褄が合うように思えます。


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物語の年代を探ってみる
当初書きましたが、読み終わってから年代と共に物語の世界の全体を把握しようとして相関図を作り、登場する映画『ドクトル・ジバゴ』『アンナ・カレーニナ』そして黛ジュンの『夕月』をもとに推測してみたもののすっきりとしないものが残りました。
その後読み返す中で『タクシードライバー』が登場することに気付いたのでそれを基準に改めて年代や登場人物の年齢などを推し測ってみたところすんなりと収まるように思えました。
 
 
ー小山内堅と藤宮梢の出会いー<1976年>
『タクシードライバー』の日本公開は1976年9月。小山内堅藤宮梢が出会ってこの映画を観に行くのがが大学三年生、が新入生の時なので21歳、19歳としては(誕生月はわかりませんが)1955年、が1957年生まれと推測します。
 
ここで作者が1955年生まれであることを思い出しましたのでこの線で考えて良さそうだという感触を得ました。は作者の分身なのかもしれません。
 
の親友三角典子の弟である哲彦は典子の二つ年下での八年後輩ですから1963年生まれ。
以下ここでは作中に明記のあるもの以外は誕生月が分かりませんので厳密には検証できません。
 
 
─三角哲彦と正木瑠璃の出会い、瑠璃の死亡ー<1983年>
三角哲彦正木瑠璃が出会った7月初旬、哲彦は20歳なので出会いは1983年。より八歳下なので符合します。
瑠璃が事故に遭ったこの年の12月は27歳なので生まれは1956年。より一歳下のようです。
正木竜之介は後に述べますが1950年頃の生まれと思えます。結婚後1年半が経過した時瑠璃は20代半ば、竜之介は30歳過ぎとあります。
 
結婚4年目の5月、竜之介の先輩の八重樫が自殺。それを機に夫婦の関係は冷え込み、初夏(6月か?)のある日「あたしを軽蔑して、ほかの女の人と浮気しているんでしょう?」「愚かな質問をするな」というやりとりがあります。結婚は1979年でしょうか。
 
黛ジュンの『夕月』は1968年9月10日発売なので瑠璃は12歳頃にこれを聞いていたことになります。
歌詞を知っている人はこの曲でなければならない理由がわかります。
「今でも あなたを 愛しているのに」
 
 
当初次の映画を年代を推測する手がかりとしました。
『ドクトル・ジバゴ』の公開が1966年。『アンナ・カレーニナ』が1968年。ただし主演はヴィヴィアン・リーでなくタチアナ・サモイロワ
哲彦瑠璃の出会いが1983年とすると20年程合わなくなります。ヴィヴィアン・リー『アンナ・カレニナ』はさらに古くて1948年です。
これらの映画を基準に考えるなら物語の年代もそれだけ前に遡ることになりますが、が初めて観た『タクシードライバー』を基準にした方が無理がないと思えます。
 
この二本の映画を登場させた理由はわからないのですが、リヴァイヴァル上映だとすればこの時観ることはあり得ない事ではありません。しかし作中に登場する他の映画をチェックしてみると、ナタリー・ドロンが出演した作品は1969年4月日本公開の『個人教授』で共演はルノー・ヴェルレー『ドクトル・ジバゴ』ジュリー・クリスティーが出演した『天国から来たチャンピオン』は1979年1月日本公開(これは新作ビデオとして登場)。
 
二人の出会いが1983年だとするとこれらも何年も前の映画ということになります。レンタルビデオ店の哲彦の同僚がこれらの映画に触れていますし、アンナ・カリーナを「ゴダールのモトヨメ」と表現して(ゴダールとは1965年に離婚)います。映画に詳しい同僚がアンナ・カリーナゴダールに触れることはありそうでこれらは映画好きであることを表したいがために作者が持ち出したとも思えますが、『アンナ・カレーニナ』『ドクトル・ジバゴ』(どちらも原作がロシア文学)を持ち出した理由は分かりません。
 
これらは映画館で予告編を観る事はなさそうですが、封切りでなくリバイバル上映だった可能性はないとは言えません。
 
 
─小山内堅と藤宮梢の結婚、瑠璃の誕生ー<1984年>
が結婚するのが出会って七年後の翌年なので1984年。三角哲彦正木瑠璃が出会った翌年です。
3月に瑠璃が誕生するので瑠璃の生まれは1984年。
 
正木瑠璃が世を去ったのが1983年の12月ですから小山内瑠璃が生まれるまでに4ヶ月ありますが、これ以降の生まれ変わりは亡くなった年に新たに生まれるという運びになっていてどのくらいずれがあるかは分かりません。
 
作中では(小沼希美が)面影が似ていないという記述(「眠たげな、華やかさに欠ける顔立ち」)がありますので身体的な特徴は引き継いでいないのでしょうが7歳くらいの子供では仮に引き継いでいるとしてもまだそれは分からないでしょう。亡くなった人の「意識」がいつ次に宿るのかというのは分かりませんが、七歳頃に前世の記憶が意識に上るということは共通しているようです。
 
母親は予知夢「自分の名前は瑠璃にして欲しい」と由来を挙げて告げられる夢を見ます。
 
瑠璃が高田馬場に行って補導されるのが七歳の時なので1991年。
その時の担任は後に登場する地元船橋の小沼工務店の三代目社長の妻です。
 
 
─小山内梢と瑠璃の死亡、小沼希美の誕生ー<2002年>
小山内瑠璃が仙台で事故で亡くなるのが瑠璃が高校を卒業した直後の3月なので2002年。
瑠璃が18歳になるのでこれも符合します。
 
小沼希美が生まれるのがこの年。多分亡くなった3月の数ヶ月後でしょう。
希美(7歳未満)が58歳の正木竜之介にとてもよく懐いているという記述があるので竜之介の生まれは1950年か51年。その妻の瑠璃が事故に遭ったのが1983年なので事故の時竜之介は32歳か33歳。
 
 
─「事件」と小沼希美の死亡ー<2009年>
20年ほど後、(就職したのが40歳とあるのでずれがありますが)竜之介58歳の5月に小沼希美に原因不明の発熱があります。治癒以降希美竜之介を避けるようになりますが、直後に三角哲彦の勤務する会社に電話させるために竜之介の自宅を訪れます。(この直前に「家出」して三角哲彦の会社の本社がある芝浦に行き、連れ戻される)
 
竜之介に”誘拐”された希美が車外に飛び出して(多分生まれ変わろうとして)亡くなるのが2009年夏。
 
 
緑坂るりの誕生ー<2009年>
小山内瑠璃の親友であった緑坂ゆい瑠璃と同じ1984年か1983年の生まれ)が小山内堅の家(仙台)を最初に訪問したのは瑠璃の葬儀のあった15年前の2002年。
この時三角哲彦も葬儀に参列しています。
 
緑坂ゆいの娘るり小沼希美が死亡した2009年に生まれます。多分夏(8月?)の数ヶ月後でしょう。後に緑坂るりが、正木竜之介が起こした事件は自分の生まれる同じ年のずっと前であると述べる場面があります。
その時(2017年)小山内瑠璃の親友であった母親のゆいは33歳くらいです。
 
 
小山内堅荒谷清美みずきとの出会いー<2009年>
八年前の夏スーパーの駐車場で小山内堅に声をかけたのは荒谷清美の娘みずき
この時みずき7歳。
 
 
─ 現在ー<2017年>
緑坂るり三角哲彦を勤め先に尋ねたのは哲彦小山内堅を訪ねる1ヶ月前である6月。
 
その後のある日、哲彦緑坂ゆいを訪ねて生まれ変わりの話をします。
 
7月に三角哲彦が姉の親友であった小山内(藤宮)梢の墓に詣でたところを荒谷清美の娘みずきに目撃され、の自宅に案内されます。この時みずきは15歳。生まれは2002年で小山内梢瑠璃が亡くなった年です。
そこで哲彦が33年間(小山内瑠璃が生まれた1984年から2017年まで)にわたる生まれ変わりの物語を語り始めます。緑坂ゆいの年齢とほぼ同じなので符合します。
 
8月、緑坂ゆいるり小山内堅の家を訪ね、生前の瑠璃が生まれ変わりに関する話をしていたこと、恋人がいたこと、もし生まれ変わったらサインを伝えると言っていたことを話します。夫がいたとは言わないのですね。
 
そして今小山内堅は最近見つかったその「サイン」を持って東京ステーションホテルに向かい、緑坂母娘と会います。
三角哲彦は来るはずですがまだ現れません。
が二人と別れて新幹線乗場に向かうタイミングで現れます)
 
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刊行が 2017年4月ですから執筆していたのはそれ以前で、物語の「現在」は実際の時間より少し未来です。
 
当初の投稿で触れたひとつの不可解な点(過去の失敗に関する疑問)は読み違いでした。失敗は記憶していますね。
 
読み込んでみて新たに映画の年代に関する疑問が加わりました。『タクシードライバー』は実際にその頃上映されていたからという理由でしょう。『天国から来たチャンピオン』や岩井俊二の『四月物語』はこの物語に重なりますので必然性がありますが、『ドクトル・ジバゴ』と『アンナ・カレーニナ』は分かりません。
 
名前を使いたかったからなのかどうかわかりませんが関連があるのかもしれないと思えるのは映画のタイトルに似たアンナ・カリーナという「ゴダールのモトヨメ」の女優。出演した作品は1966年『修道女』、1968年『異邦人』などです。ゴダールとは1965年に別れていますので三角哲彦がその名を耳にするのが1983年だとすれば記述の通りです。



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Amazon のレビューを見るとかなり低評価のものがありますが、文学である以上そういうことはあるでしょう。

中でも文章については「すべる」などと評する向きもありますが、この作者の会話文は不自然なところがなくてとてもいいと思います。

ヒロインの瑠璃さんが語る言葉を言いそうな人を知っているような気がしてなりません。

その口調や声まで頭に浮かぶほどです。

でも残念ながらそれが誰なのかどうしても思い浮かばないのですが。



映画が今年の冬公開予定ですが、ぜひ観たいとは思いません。

キャストのイメージがずいぶん違うのです。

それに多少内容が変わってしまうでしょうしね。


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生まれ変わりの物語 [本]

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先日佐藤正午さんの『月の満ち欠け』を読んだわけですが、巻末の参考文献に『前世を記憶する子どもたち』が挙げられています。(角川文庫版でなくて1990年発行の日本教文社の単行本です。訳者は同じです。)

物語の中にもこれと思われる本が登場します。



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タイトルだけを読むと精神世界かオカルトかと思ってしまうかも知れない本ですが、実例を集めて考察した本です。

こういう研究があるということはなんとなく知っていました。



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この著者は前書きで、これはそういうことがあるということを納得させたい目的で描いたものではないという意味のことを言っています。



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子供が前世の記憶というものを語り始めるという現象があることは確かなようで、その話が実際に確かめられている例も少なくないそうです。

これから読み始めるところです。



さて佐藤さんの小説についてです。

 
物語は時間の流れに沿って進むわけではないので最初に読んだときは登場人物の関係性が掴みきれず、読み終わってから相関図を作って時の流れと登場人物の関わりを把握しました。こうした作業を行なってでも物語の世界を把握したいと思わせる魅力がこの作品にはあります。
 
初代瑠璃さんが映画の中の台詞として触れた
「神様がね、この世に誕生した最初の男女に、二種類の死に方を選ばせたの。
 ひとつは樹木のように、死んで種子を残す、自分は死んでも、子孫を残す道。
 もうひとつは、月のように、死んで何回も生まれ変わる道。
 そういう伝説がある。
 死の起源をめぐる有名な伝説」
「でも、もしあたしに選択権があるなら、月のように死ぬほうを選ぶよ」
という部分は印象に残りました。伝承のようなファンタジーのような話ですが、本当にそういう台詞があったのか作者の創作なのかは分かりませんが面白いと思いました。
 
物語がいつの話なのかと考えても本筋には関わりのないことなのですが、黛ジュンの『夕月』や『ドクトル・ジバゴ』『アンナ・カレーニナ』という映画が登場するので相関図を作りながら調べてみました。
 
『夕月』は1968年9月発表。初代瑠璃さんがいつこの曲を聴いたのかは書かれていませんが、暮れに事故が起こるのでほぼこの年であることは確かでしょう。
 
『ドクトル・ジバゴ』は日本公開が1966年6月。一緒に映画を観たのがこの月ということになると『夕月』はそれから2年ほど後です。
 
『アンナ・カレーニナ』は何度か映画化されていますが作中で言及があるビビアン・リーが出演した作品が日本で公開されたのは1948年で、タイトルは『アンナ・カレニナ』です。
物語の年代に矛盾しないのは1968年5月日本公開の作品で主演はタチアナ・サモイロワです。
物語の時間の流れを考えると封切りでない『ドクトル・ジバゴ』を観て『アンナ・カレーニナ』(アチアナ・サモイロワ)の予告編と続いて本編を観る。
その後『夕月』がヒットするという流れになります。
 
 
登場人物の年齢は誕生日を迎えているかどうかでも違いますので細かくは追いませんでしたが、27歳で死んで生まれ変わり、次に18歳で事故死して生まれ変わる。
当時20歳だったアキヒコ君はこの時点で38歳。
三代目が亡くなるのが小学校一年の夏。
四代目がアキヒコ君を訪ねるのが二代目(小山内)瑠璃が死んだ15年後。アキヒコ君53歳。
 
「あたしは月のように生まれ変わる」
「もっと若い美人に生まれかっわってアキヒコ君と出会う」
と言った通りに初代瑠璃さんは生まれ変わってアキヒコ君に会おうとします。
 
初代瑠璃さんがのちに変質者で誘拐犯とされてしまう正木竜之介と結婚したのは竜之介の強引さと
「いまとはべつの生活を望んでいるのかもしれない」
という思いにとらわれたからでしょう。
竜之介が自分の人生の設計図に合致していると判断した美しい人だったのですからそれまでの生い立ちが違ったものであれば違う人生になっていて「命取り」になる流れに身を委ねることもなかったでしょう。
 
そのようにずるずると引きずられてしまう「運命」やエリートだった男がただ一点設計図通りにいかない事が原因となってやがて身を持ち崩していく様はいかにもありそうで敢えて言うなら自然です。
これは作者のうまさだなあと思います。
「愚かな女だ」という言葉にもそれが現れています。
そんな瑠璃さんにとって望んだものではなかったこの結婚は不幸で、偶然出会ったアキヒコ君が運命の人。
『夕月』の歌詞に「今でもあなたを愛しているのに」という部分があります。
これがこの小説を貫いているのだなと思います。
 
 
この初代瑠璃さんのような話し方をする人を知っているような気がしないでもありません。
 
先にも触れましたが「そうなんですか」という言葉の意味のずれや「もう一度あたしのことを採点するつもりなんだね」という言葉とアキヒコ君とのやりとりがとてもうまく構成されていて経験の乏しいアキヒコ君、美しい人妻だけど精神のバランスを崩してしまっていたこの時の瑠璃さんという人物がまるで目の前にいてその会話を聞いているような思いにさせられます。
 
「若い美人に生まれ変わって現れて誘惑する」
Amazon のレビューでは怖い女だというような意味の投稿や「男の立場で書かれた小説だ」とか「作者は恋愛経験が少ないのではないか」などとも書かれていますが、受け取りかたが違うのかなと感じます。
 
 
一つだけ最後に引っかかったのは過去の瑠璃さんの人生の全ての記憶を持っているはずの四代目が、出会いの場である高田馬場にまた行ったとある事です。二代目が三度家出して補導されていてその中で高田馬場にはもうそのお店がないことは知ったはずなのに、です。
 
作者の他の小説も読んでみようと思い、既に2作品書いました。
読み始めた本を読み終えたら読んでみようと思います。


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岩波文庫"的" [本]

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岩波文庫が新しい作品を収録するとは珍しいなと思いながら買ってみました。

著者の名前には見覚えがありませんが、直木賞受賞で映画化というので読んでみようかと思いました。



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しかしよく見ると「岩波文庫的」と書いてあります。



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間違いではないようです。



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現代の作品ですし、著者は1955年生まれです。



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調べてみると著者が岩波文庫に入れって欲しいと希望したそうなのですが、岩波文庫は古典や評価の定まった作品を収録するものであるそうなのでこうしたユーモアの感じられる処置となったようです。



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よく見ると岩波文庫のマークも月が欠けたようになっています。


内容は生まれ変わりをテーマにした物語です。

生まれ変わりといっても超常現象という扱い(そういう出版物も参考にしたようですが)ではなくて何と言いますか一途な愛の物語です。


生まれ変わりとしか思えない現象は世界の各地で少なからず確認されているようですが、実際にそういう事例に遭遇したことはないのであり得るのかあり得ないのかコメントできないのですが、小説という形にした抵抗なく読むことができます。


時間や語り手が変わるので全体の構造が少しややこしいのですが、なお希少に相応しいかなという印象です。


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ウクライナに関わる映画、文学、音楽 [本]

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予定していた映画を観ました。


こんな映画だったのかというのが正直な感想です。

日本では評価が高いこの映画ですが海外ではそれほどでもなかった。

だからオリジナルのネガも失われてしまったということでした。

若い頃見たらどう感じただろうと思いながら観ていました。

印象的なひまわり畑(下にイタリアの兵士もロシアの兵士も眠っている)は比較的早い時間に出てきますが、タイトルを「ひまわり」としたのは何故だろうとも思いながら。


夫は死んでいないと信じる妻はロシアまで写真を持って探しに行きます。

咲き誇るひまわりに重なる、木で作られた無数の十字架。


首を振られ続けますがやがてとうとう見つけます。

なかなか見つからないのが現実でしょうが。


生きていた夫には若い妻がいて小さな子供までいます。

列車で帰ってくる夫を迎えにその妻と一緒にホームに行きますが、ヒロインに気づいた夫の顔を見た途端その電車に乗って去ります。

帰って飾ってあった写真や衣服を破り、訪ねてきた夫の母にありのままを述べます。


時は過ぎて夫が妻の新居を訪ねてきます。

しかしヒロインには職場で知り合った夫がいて子供もいます。


列車に乗って帰ってゆく夫を見送るシーンで終わります。



今ならこういう作り方はしないかもしれません。


反戦のメッセージとしては『禁じられた遊び』の方が強いと思いました。




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今日書店で買ったのは名著を紹介するシリーズの一冊です。



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著者の父親はベラルーシ、母親はウクライナ生まれとのことです。



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ノーベル文学賞受賞。

ノンフィクションでは初めてです。

文学の概念を変えたと言われています。



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コミック化されたものが二巻まで出ていて間も無く第三巻が出るようです。



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こちらは先週木曜日に NHK ニュースで紹介されたコンサートに出演されていたフルートとチェロの演奏家の方の CD です。


ピアニストの レオニード・シャポワロフ さんが日本のフルーティスト坂元理恵さんとチェリストの柚木菁子三のユニット "Ris & Seiko" とともにチャリティーコンサートを開いたそうです。

HP にその時の動画もあります。


その音源ではありませんが、フルートの音の印象が良かったので CD を購入しました。

この CD の売り上げの一部もウクライナに寄付されるそうです。

販売店での取扱はなくて通販かコンサート会場などでの直販です。



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聴いてみると純クラシックではなくてどちらかといえばジャズ的です。

「メヌエット」はアルトサックスの部分をチェロで演奏していまして、これはジャズ的なアレンジはありません。

録音は鮮明で音の録り方もクラシックとは違います。


ここには11曲収録になっていますが実際はもう一曲、 J.S. Bach の『二つのヴァイオリンのための協奏曲』の第二楽章が収められています。


面白いと思ったのは六曲目。

お馴染みのバッハとグノーの『アヴェ・マリア』ですが、伴奏が『平均律クラヴィーア曲集』第一巻第一曲「プレリュード」ではなくて同じバッハの『無伴奏チェロ組曲』の一番第一曲のプレリュードが使われていることです。

後で楽譜をチェックしてみましょう。

途中までは聞き慣れた『アヴェ・マリア』ですが、後半は自由にアレンジされています。



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録音データの記載はありませんが、20198年の9月発売のようですのでその年の録音でしょう。


このところウクライナのことが頭を去りません。


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音楽家も排除 [本]

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今朝の日経新聞の文化欄にこんな記事が出ました。

一部を抜粋しますと


 ワレリー・ゲルギエフは、侵攻が始まって以降欧米での指揮が相次いでキャンセルになった。ミュンヘン・フィル首席指揮者などのポストも失った。プーチン政権と親密だといわれる同氏は、政治と距離を置く声明を出すことをミュンヘン市長などから求められ、応じなかった。


ちょうど今日から次の本を読み始めたばかりです。



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まだナチスとヒトラーやフルトヴェングラー、カラヤン、ベーム、クライバーなどが登場するあたりを読んでいます。

ショスタコーヴィチの部分はまだですが、今まで知っている情報では政権寄だという立場を表明しないと命の危険があったとか。

ゲルギエフが同じような立場であるのかどうか、今のところなんとも言えません。

もしあの指導者がどうにかなるようなことがあれば発言にも変化があるのかもしれません。



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日本ではそんなことは起こらない、そう信じています。


でも音楽界以外ではいくらでもそんなことはありそうです。



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まさに今読むべき本のひとつかもしれません。


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