バッグを替える [道具]
これまで使っていたショルダーバッグにほつれが目立ってきたのでほぼ一年前に購入した豊岡カバンのものに変えました。
その時撮った写真の方が素敵ですねえ。
でも色は今回の方が痴漢ですよね。
TUTUMU というブランドで、レザー部分は栃木レザーです。
開口部にファスナーのないタイプでちょっと持つ時のために持ち手がついていて、デザインもなかなかうまくまとめられています。
取付部はホックになっていて閉じることができます。
使い勝手で一番違うのはショルダーストラップが一本であることですね。
二本だと、一本だけ外れようとしたりして煩わしい時があります。
本当はよく使うものとそうでないものを分けられるタイプのもの(二気室以上のもの)が欲しいんですよね。
例えば底部に靴を収納するスペースがあるような。
中にあるはずのものを探しまわるのが嫌なんですよね。
ロケは10月の和装で
和服を着た記憶は全然ないので今回のエキストラで着たのが初めてと言って良いと思います。
会場に着いて衣装さんの控える場所に行くと和装一式が取り出され、着て行ったものを脱ぎます。
最初に足袋(黒)。
サイズは申告してあったのでぴったりですが、こはぜを止めるのに手間取ります。
あろうことか最初は靴下を履いたまま履こうとしているのに気づき、やり直します。
肌着は黒の Vネックと指定されていたのでそのままでその上に半襦袢(多分)を着ます。
ステテコは省略。
次に白の腰紐を結びます。
次いで長着(着物。袷)。調べてみると9月は単衣で10月から袷らしいです。
その上にまた腰紐を結びます。
さらにその上に角帯。
最後に羽織を着て羽織紐を結びます。
紐や帯は男性は腰骨の位置で結ぶのですね。
支度ができると小道具さんのところに行って日の丸の小旗と下駄(歯のないタイプ)を受け取ります。
下駄はかなり使い込まれたものでしたが、サイズはピッタリでした。
そして本番にはこれに替えるようにと丸眼鏡。
腕時計を外すようにとの指示もありました。
メイクの順番を待っていると隣に座った女性から「ご自分のですか?」と訊かれました。
現場ではメイクさんや衣装さんが都度チェックして必要に応じて直して回っていました。
特に女性の髪型はひっつめにして後ろで饅頭のような形にまとめるものが多かったように思いますが、櫛を入れて直しているところを何度か見ました。
私も前の合わせを少し直されましたが、しっかり着せてもらったので崩れることはありませんでした。
でも本当は肌着は脱ぐはずだったらしいですが、しっかり前を合わせれば見えません。
そのための黒であり Vネックであったようです。
しっかり着付けられているので大股では歩けません。
初めて知ったのですが、羽織を着ていても思ったほどひどく暑くはありませんでした。
洋服に比べて体に密着しないのです。
暑い日でしたが、頻繁に飲み物が配られるので時折いただきました。
いつもならトイレの心配をするのですが、行きたくなることは一度もありませんでした。
ずっと立ちっぱなしであったので撮影の終わり頃はかなり疲れて芝生に腰を下ろすこともありました。
腰が辛かったですね。
それほど歩くわけではないので指の股が痛くなることはありませんでしたが、指の付け根の下駄と接している部分が痛くなってきました。
次の日額から頭にかけてかなり赤くなったので相当紫外線を受けていたと思います。
終了後は待機場所で着替えるのですが、個室はなくて衝立のようなものの後ろで着替えました。
女性はスパッツ着用とあったのですが、多分この時のためでしょう。
そういえば女性は全員洋装でしたが、ワンピース以外はパンツルックで、スカートの人は見かけませんでした。
外人さんの姿も何人かありました。
お子様も。
1964年の聖火搬送車
(グロリア スーパー6。 Wikipedia より)
1964年のオリンピックでは聖火リレーは正走者と副走者、それに伴走者(20名)が走ってそれを白バイ2台が先導し、後尾を聖火搬送車が走ったようです。
搬送車は万一トーチの火が消えた場合に備えてでしょう。
搬送車は 日産「セドリックスペシャル」、トヨタ「クラウンエイト」、三菱「デボネア」とプリンス「グロリア」が使われたそうです。
https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=35
https://nissangallery.jp/nissan-news/automobilecedric_201808/
ワイドアンドローのプロポーションを持つフラットデッキスタイルを特徴とする。
ショルダーをぐるりと一周するモールから「ハチマキグロリア」と呼ばれるが、
(中略)
上位グレードのスーパー6・グランドグロリアは日産・セドリック・スペシャルやクラウン・エイト、センチュリー(いずれもトヨタ)と共に国内の貴賓用として主に用いられたが、特にグロリアは宮内庁に多数納入され、各宮家にも愛用されていた。
(中略)
1964年5月 - スーパー6をベースとした上位モデルのグランドグロリア(S44P型)発売。
(後略)
(Wikipedia)
ロケではグロリアスーパー6が用意されていましたが、これが驚いたことに当時のままと思われるナンバーをつけていました。
というのもナンバプレートの上部の漢字と数字がそれぞれ一文字なのです。
(説明に関連する部分だけを見えるようにしています)
そういえばそうだったかなととても懐かしい気持ちになりました。
ステッカーや小旗も再現されていました。
聖火のトーチも多分本物と思われるものが使われていて煙が盛大に出ていました。
そういえばそうでしたね。
走者の一団が再現されて炎と煙が見えて白バイを先頭にだんだん近づいてくると、本当のリレーではないことがわかっていてもちょっと感動的でした。
白バイも多分当時のものだったでしょう。
ドラマの撮影というもの
昨日、撮影の合間の写真と撮影の様子をと予告しましたが、応募フォームの利用規約に
出演者へのサイン・握手等の依頼、写真撮影・録画・録音は固くお断りいたします。
とありましたので現場の写真の掲載は見合わせます。
中継車や当時聖火ランナーの後ろを走った日産車などは携帯電話で撮影していた人も多かったのですが特に制止されることはありませんでしたので問題ないかもしれませんが、控えます。
さてこの日の撮影は聖火リレーの場面ですが、女性走者 鈴木 久美江 さん(当時中学三年生)から聖火を引き継ぐまでと最終走者の 坂井 義則 さん(早稲田大学一年生)が国立競技場に向かって走り出したところを午前中、その前の走者 青木 政子 さん(高校三年生)から鈴木さんに引き継ぐ場面が午後撮影されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木久美江
https://ja.wikipedia.org/wiki/坂井義則
参考:http://www.bunkashinbun.co.jp/wp/wp-content/themes/biz-vektor/PDF/140101_1.pdf
青木さんから鈴木さんへの中継は国立競技場まで 800m という想定の地点でした。
鈴木さんから坂井さんへの最終中継地点は想定では街路樹の上に聖火台が見える地点でした。
撮影ではメインのカメラは一台で、前からの撮影の他に同じシーンを後ろから写すような場合はもう一度同じ演技を要求され、カメラが後ろから狙います。
それはそうですね。両方にクルーがいたら映ってしまいます。
ドローンで空撮するような場合も同じです。
なのでドラマなどで前や後ろやそのほかの出演者や主役のアップなどが映る場合はその都度撮影しているようです。
プロは同じ演技を要求されるわけで、それはやはり大変だなと思います。
後ろから狙うような場合で列の先頭の人の背中が映っている場合は、二人目以降は人がいない状態で撮っています。
表情のアップの場面などで手に持ったものが映らない場合は持たないで撮るようです。
エキストラである観衆などはそれほど厳密なことは要求されませんが、同じ場所からとかさっきの○秒後からなどと言われるのでぼけっとしてはいられません。
暗くなってからは音だけの収録でした。
歓声はこの時が一番でした。
多分それまで撮影したシーンでは音は十分撮れていなかったと思います。
エキストラは私のように初めてという人や何回か経験がある人、事務所に所属している人など様々でした。
事務所に所属している人などは広告の仕事などもあるようで、ほかの人と話しているのが耳に入りました。
一声でもセリフのある人は皆プロの役者さんだろうと思えました。
白バイやサイドカーの運転も多分そうです。
午前中は通行量は多くはないものの一般道を使うので車を止めたり通したり、本番中(長くても数分)は完全に止めるのですが、そんなわけで時間が押します。
午後は通行が殆どない場所でした。
現場には千葉県フィルムコミッションと書かれた腕章をつけた人が飲み物を配ったり記録のための撮影をしたりしていました。
千葉県フィルムコミッションの HP を見るとかなり多くの撮影に関わっているようです。
今回のような番組でなくこれから公開される映画やドラマなどに関しては注意事項はかなり厳しいです。
参加したことや撮影場所も口外無用であるようです。
今回はネットのニュースをチェックしていたら NHK のサイトで募集しているの知ったのでした。
まだこの先何度か撮影があります。
今日は渋谷で撮影があったようです。
はっきり書けないのがもどかしいのですが、この辺で。
現場の写真がないので、最後に聖火台(炬火台)の写真を。
当時の記念品。
国立競技場取り壊しに当たって販売されたもの。
御影石が実際に使われていたもので、ミニチュアは聖火台を作ったメーカーが作っています。
小学校高学年の時に私が記憶に基づいて作ったものです。
『いだてん』エキストラ参加(ボランティア)
大河ドラマ『いだてん』は何度か千葉県内でロケを行いましたが、今日千葉県スポーツセンターで行うについてエキストラの募集があったので応募しましたところ当選しましたので人生初の経験をしてきました。
ここまでは事前に撮っておいた写真です。
最初に割り当てが告げられますが、私は観衆の一人でした。
ここで衣装の着付けがあり、小道具が渡され、メイクがあります。
応募の条件では男性は短髪で茶色でないこととありました。
女性は長髪でも可ですが、茶髪は不可です。
私には和服が用意されていました。
履物は黒い足袋に下駄(歯がないタイプ)なので、終わる頃には指の付け根(下駄に接している部分)が痛かったです。
肌着は黒か肌色(のVネック)という条件でした。
女性はスパッツ着用。
和服は男性だけで、ざっと見たところでは三人くらいしかいませんでした。
10月のシーンなのでずっと羽織を着ているのはきつかったです。
日の丸の小旗が小道具として渡され、メガネを用意された丸いタイプに変えるよう指示がありました。
腕時計も本番は外します。
女性のメイク(集合時はノーメイク)はかなり時間がかかるようでしたが、出来上がったのを見ると見事に当時の髪型が再現されています。
待っている間に中村勘九郎さんのメイクの様子が見えました。
着替えの終わった人たちの姿も昭和を見事に再現していました。
私は髪にスプレーをかけただけで終わりました。
時間までここ(2F)で待機します。
お昼休憩もここです。
撮影の様子は合間に少し iPhone で撮れただけですが、ボランティアに慣れている人やセミプロの方がいらっしゃるようで、本番以外でも俳優さんたちを写す人はいませんでした。
撮影の間の様子を少しだけ撮りましたので明日アップします。
『passione』展:gallery ten [アート]
1週間しか営業しなかった八月も終わって、今日から通常の営業が始まりました。
と言っても 14日までですが。
今回は 掛井 隆夫 五郎 さんと 小泊 良 さんの二人展です。
陶芸作品は 小泊 良 さん。
gallery ten には和室もあります。
常設のものも展示されています。
メタルのアクセサリーは 掛井 五郎 さん。
ブロンズ作品も。
これらのブローチは銅に銀メッキが施されているそうです。
天井の灯りと窓からの光が並べられた作品に達に表情を与えます。
これも掛井さんの作品です。
天井のモビールが静かです。
少し曇ったけれど蒸す朝 [花、植物]
昨日の朝の続きですが、今朝撮ったものも少しあります。
タカサゴユリに小さな蜘蛛がいましたが、向こうに回ると隠れます。
収穫後冬までもつということから名前がつけられたそうです。
ヒメアカタテハです。
地面すれすれですが、前から撮れました。
いつもの鶏頭です。
頑張っています。
アゲハの幼虫かと思いましたが、見慣れたものは角のようなものが前面について二つに分かれています。
6cm くらいあります。
一本のものは蛾の幼虫らしいですが、調べきれていません。
マンリョウの花が終わりました。
センリョウも終わっています。
妖艶なアルストロメリアです。
この紫陽花もこれから咲こうとしています。
にっくきクロウリハムシが出現しました。
今朝は昨日より大量に飛んでいましたが、今年はもう桔梗は終わってしまっています。
心配なのはまだ開かないキレンゲショウマです。
オミナエシの小さな花が開いています。
体力が落ちているのか、近寄っても逃げません。
バルタン星人みたいです。
ジンジャーはもう終わりです。
アメジストセージは来週が楽しみです。
今朝です。
ノウゼンカズラがまた少し咲いていました。
カメムシに葉をかなり食われてしまった皇帝ダリアは防衛のためか新しく葉を出しています。
ブッドレアは終わりです。
ニラにもカメムシがいました。
カラスウリの花はやっぱりしぼんでいますが、葉には露がついていました。
今日から九月。
本当に秋になって欲しいです。