佐藤正午さんをもっと読んでみよう [本]
『月の満ち欠け』の印象がとても強かったので特集されている古い雑誌を探して買ってみました。
この時『鳩の撃退法』をいう作品が文庫化されたようです。
その作品は買ってあったのですが、まだ例の生まれ変わりに関する本を読んでいるので読み始めていません。
これも映画になったようです。
このカバーはあの単行本と同じように全面帯ですね。
佐藤さんの文章については、以前も触れましたが Amazon のレビューで貶している人がいますが、まるで見当違いだと思います。
文章のプロたちも絶賛していますし、読めばわかります。
この文章の良さがわからないようではいかんでしょうと思います。
ネットでの誹謗中傷が話題に上り、自分に理解できないものは間違っているとでもいうような主張が目につきますが、どうしてこのような風潮になってしまったのでしょうね。
異なる意見を認めることが大事だと思います。
賛成はできなくても。
攻撃するとか潰してやるなどと考えるなどは論外です。
さて『月の満ち欠け』は二回ほど取り上げましたが、一度読んだだけでは関係が掴みきれません。
ついていけずにやめてしまったという人もいらっしゃるようです。
生まれ変わりを中心に据えて相関図を作りました。
例の本を今読んでいるのですが、実例ではこの作品のように同じ年に生まれ変わるという例は稀のようです。
場合によっては何年も間が開きます。
この作品でははっきりしているのは最初の生まれ変わりだけで、12月に事故死して、生まれるのは翌三月です。
こうした点は文学作品ですから問題とするようなことではありません。
ただ、どうしてそこに生まれ変わったのかという点は作品中にも手がかりはないように思えました。
最初の語り手である小山田堅が「見えないものの手で連れて来られた」ように思うと述懐する場面がありますが、八戸出身の二人が勤務地の都合で福岡から市原市五井、千葉市稲毛区稲毛、宮城県仙台市と移り住みます。
正木瑠璃の夫の地元が千葉県の船橋市。小沼工務店があるのがその船橋。
二度目の生まれ変わりがなぜ小沼工務店だったのか、三度目の生まれ変わりの新谷清美との関わりなどははっきりしません。
小沼工務店の三代目社長の妻が小山内瑠璃の担任だったというのもどの程度必然性があるのか掴みきれません。
最後の生まれ変わりの母親緑坂ゆいは小山内瑠璃の親友だった設定ですが、親友の子として生まれ変わるためには時間が必要なので小説の仕掛けとして小沼希美を登場させたのかもしれません。
レビューでは執念深いとか生みの親は自分の子が乗っ取られてしまったとか、舌を出す癖などはちっとも可愛らしいとは思えないなどネガティヴなレビューも少なくありませんが、「生まれ変わってもアキヒコ君に会いたい」という思いをヒロインがどう実現していったのかというのがこの小説の読みどころの一つです。
自分では気づかなかったけれど毎日に退屈していたヒロイン。
「俺が連れ出してやる」という言葉に押されるように結婚したけれど結局毎日同じことの繰り返しだった。
それでも毎週末の営みがなくなってみるとそれさえも波風のない暮らしの中の変化であったことに気づき、夫の裏切りや「愚かな女だ」などの言葉が出てくるに至って「精神のバランスを崩して」いく中で運命の出会いがあります。
地下鉄の事故は多分自ら選んだことではないかと思います。「今夜は戻りません」と書き置いていますし。
アキヒコ君は経験は乏しかったけれど瑠璃さんは忘れられない人になります。
事故で帰らぬ人になったことを知って大学の一年を棒に振るほどです。
その後40歳直前で結婚しますが、7年で破局しています。7年というのは小山内堅と藤宮梢が出会ってから結婚するまでの年数とたまたま同じです。
その後は再婚していません。
そして終章、「ずっと待っていたんだよ」として再会します。
会いたいという念の強さは瑠璃さんと同じです。
その想いの強さが読者を打つのです。
明日からは三連休ですが、朝の更新は行いません。
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