「山本直純と小澤征爾」 [本]
小澤さんについて書かれた書籍はいくつかありますが、小澤さんが「とてもかなわない」と評する山本直純さんについてはあまり書かれたものがありません。
この本の中に引用されている岩城宏之さんの著書でその姿が少し伺えるくらいです。
山本直純さんの一番有名な作品は「男はつらいよ」の音楽でしょう。
そのほかチョコレートの広告ではトレードマークとなった赤い上着で気球に乗って指揮をする姿が記憶に残ります。
そして、私も視ていた TV番組「オーケストラがやって来た」。
ランパルの演奏、ベートーヴェンの五番の解説など印象に残る場面がいくつもあります。
本人が書いた本を以前読みましたが、今は番組から選んだ DVD も発売されています。
この本によれば山本直純さん(いかこの本に倣って 山本さん でなく 直純さん と表記します)はメディアの仕事が増えてそのイメージが定着してしまったので不当に低く評価されたとのことですが、恩師の制止を振り切って海外に飛び出した小澤さんはやがてバーンスタインに伴われて凱旋帰国します。
直純さんは小澤さんに「お前は頂点をめざせ。俺は底辺を広げる」という意味の言葉を贈ったそうです。
「お前のオーケストラを作って待っている」と。
日本フィルハーモニー管弦楽団とその解散、新日本フィルハーモニー管弦楽団の結成などの経緯も述べられています。
岩城さんの著書では直純さんについて音感は抜群に良いが正しい音程で歌う能力は備わっていない(いわゆる音痴)、というような記述があったように記憶しているのですが、今回読んだこの本によればそうではなかったどころか声は良い声とは言えなかったものの正しい音程で歌えたようです。
第一章 齋藤秀雄指揮教室(1932~1958)
P.40
ピアノの前に座った渡邉は、「いま叩く和音の中の、上から三番目の音の、五度下の音を声に出してごらん」と言った。和音どころではなく、指十本の全部を使った滅茶苦茶な不協和音だ。すると直純は即座に「アーッ」とダミ声をあげた。岩城は「聞いているぼくにはまったくわからない。どうせデタラメに怒鳴っているのだろう」と思った。だが渡邉が指定した音のキーを叩くと、ダミ声と同じ音だった。多分マグレだと思った渡邉は、「もう一度やってみようね」と言って違う不協和音を叩き、「今度は、下から二番目の音の六度上を歌ってごらん」「イーッ」今度も合っていた。
全くできなかった(が合格した)岩城は、完全に呆れ返った。
「こんなことをできるやつは、日本に何人といないだろう。完全無欠な絶対音感教育の、しかももともと天才的な感覚を持っている人間でなければありえない。テストをする先生自身、絶対にできないに決まっている。これは断言できる」
その頭脳についても例えばベートーヴェンの交響曲全部を暗譜しているとあるのですが、それは単に指揮ができるというだけではなくて、全部を一から書くことができるという意味ですからこれは大変なことです。
晩年は直純さんの生き方に若い人たちがついて行けず不遇であったようですが、TV番組で見せた膨大な知識と才能がなければ不可能なあの名編曲ができるような稀有な才能を持つ人でありながら評価が伴わないのは世間がそのすごさに気づくことができなかった、純クラシック畑の人たちが低いものと見下していた、そのような “運命” だったのかと残艶な思いでいっぱいになります。
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