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牧野富太郎に関する三冊 [本]

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「牧野植物図鑑」はずいぶん昔に書店の店頭に二冊でんと鎮座しているのをよく見ました。

展示は箱だけで、中身はレジで受け取るようになっていました。

地図と同じく必要な所を読むだけで買わない人がいるからでしょうね。

でも高いですからおいそれとは買えません。

最近は見かけませんけど今でも絶版ではないでしょう。


さて NHK の連続テレビ小説『らんまん』が始まりました。

だからというわけではないのですが、牧野さんに関する本を読んでいます。



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この河出文庫は去年の十一月に買ったものです。

その時はもう朝ドラで牧野さんが取り上げられるということは発表になっていました。

その時点で 朝井まかて さんの『ボタニカ』は出版されていましたが、その厚みにちょっと尻込みしていました。

でも今月とうとう買いました。



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大原さんの小説を読み終わったところですが、小説とはあるものの伝記小説でも半生を描いたものでもなくてちょっと物足りないという印象でした。


まだ読んでいないですが「ボタニカ」の方が小説らしいかなという印象です。
最近出版された田中伸幸さんの「牧野富太郎の植物学」の まえがき にあるように牧野富太郎の業績ではなくてその人物像の一端が描かれたものという印象です。
東大での教授達との確執も描かれているので最初に読むものとしては良いかもしれません。
妻 寿衛(子)から富太郎に宛てた手紙(変体仮名があったりして大層読みにくかったそうです)も多く引用されていて生活の実情や富太郎の人となりが伺えます。
富太郎の手紙は一通しか引用されていない(殆ど残っていない)のですが、ちょっと意外な一面が伺えます。
最初の結婚は当時牧野の血を濃くしたいという祖母の意向が強く反映されたものだったそうで従姉妹の 猶(なお)さんを妻にしますが、当時は戸籍も今のようなものではなかったため東京で 寿衛 さんと一緒になることに大きな障害はなかったようです。
経済的に困窮する様が 寿衛 さんの手紙からもよく伝わってくるのですが、いつも救いの手が差しのべられるのは富太郎の人柄によるものとここでは書かれていて多分それはその通りなのでしょうが、どのような人柄であったのかうまく伝わってこないもどかしさがあります。
植物採集の様子や発見に至る過程等々はほとんど具体的な描写がないのでこの点ももの足りません。
作者の大原さんはこの作品が刊行されてすぐ亡くなってしまったそうですが、最後まで読み進めてずいぶんあっさりと締めくくられたなという印象を受けるのは作者の体調に原因があったのかなと想像します。
富太郎の晩年の写真が収録されているのは良かったですが、植物の図などももう少し収録して欲しかったなという印象です。
実家の身上を本当に傾けてしまったのは壮絶ですが、これが放蕩によるものでなかったのは第三者によっては救いと言っても良いかもしれません。
日本の植物分類学にとっては奇跡のような巡り合わせではあります。
他の研究者によって刊行された類書はありますが、牧野富太郎という人物の狂気と言えるほどの情熱と執念と画力がなければ今私たちが目にすることができる素晴らしい成果は決して生まれなかったということはできるでしょう。
シーボルトが「日本植物誌」を著すに当たって原画を描いたのは川原慶賀という絵師でした。
その絵も非常に見事で賞賛に値しますが、富太郎の絵はそれを凌駕していると言っても良いでしょう。
その絵がいかに描かれたのか、その辺がもっと知りたかったという思いが募ります。



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こちらの方が読み応えがありそうです。



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賞を取っているようですしね。



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朝井さんの作品はまだ読んでいませんが『先生のお庭番』『御松茸騒動』は買ってあったと思います。



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たまたま書店に行って目についたのでこちらを買ってみました。



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こちらを『ボタニカ』の前に読むことにしたのですが、それというのも大原さんの本を読んで物足りないと思ったことなどがここにあるように思えたからです。



はじめに
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 いま、ネットで「牧野富太郎」を検索すると、じつにたくさんの情報がヒットする。「日本の植物学の父」とは、必ず出てくる牧野の紹介文句だが、そう呼んだのは誰で、果たしてそれは正しいのか。科学の分野なのに業績の記述も曖昧で定まっていない。標本が四〇万点だったり、五〇万枚だったり、数値も単位も定まらないのはなぜか。科学者で、これほど不確かな情報が一人歩きしている人物も珍しい。
 牧野富太郎に関する本は多く世に出されているにもかかわらず、そのほとんどは植物学とは無縁の著者によって書かれた同じようなストーリーで、牧野の研究が真にどういうものだったのかを掘り下げて解説したものもあまりないように思う。植物学の本質が理解されないまま、英雄伝的人物像が先行し、業績の検証があまり行われていない。
 牧野を顕彰する施設は驚くほど全国にいくつもある。滅多に社会の前面に出ることのない植物分類学という分野の研究者で、これだけ社会的に注目された人物はおそらく他にいないだろう。
 しかし、業績を顕彰するためには、その人物がその分野で果たした役割、仕事というものを正しく、冷静に、そして中立的に理解しなくてはならない。科学は証拠主義に基づいている。牧野富太郎を科学者として捉えるならば、人物像やそれを取り巻く人間ドラマではなく、学術的に正確な情報、検証された業績、それが与えたインパクトなどで評価されるべきである。
 本書は、牧野富太郎の人物像を考察するものではまったくない。牧野が専門とした学問分野はどういうものだったのか。研究者としての牧野の業績はどういうもので、どのようにな意味をもっていたのか。そして、それが現在にどのように影響を与えているのか。これらについて、自然科学の立場から考察するのが本書である。



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この分野における業績を取り上げるのに作家より同業者(?)の方が適任であることは確かでしょう。

ただ、福岡伸一さんなどは例外として、頭はいいのだろうけど文章は読みづらいという例はいくらでもあります。


読み始めたばかりですが、途中で投げ出したくなるような本ではなさそうです。


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