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顔が見えない

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先日も取り上げた山崎努さんの「私の履歴書」は完結しましたが、もう一点だけご紹介します。


28(2022.9.29)
 『ヘンリー四世』は僕のキャリアの節目なった。演出のテリーが次に提案してきた演目はオルディス・モリス作の一人芝居『ダミアン神父』だった。これにはとまどった。
(中略)
テリーの当たり役、代表作なのだ。全米を巡回し何百回も演じており、東京でも2度公演している。
 六本木のフランシスカンチャペルセンターでのパフォーマンスを思い出す。ほとんど即興である。講壇の机にノートが1冊。大まかな筋立てとキーになるせりふが書かれているのだろう。ときどき日記を繰り思い出を味わうようにしてノートを見る。
(中略)
 僕が改めてこの役を演じることはないと思った。しかし演出家は引かない。お前のダミアンは俺のとは違う、是非それを観たいのだ、と言う。結局押し切られた。
 「お前のダミアンが観たい」。この言葉が役作りの核になった。「自分なりのやり方で尽くすこと」、それだけ。それしかない。
(中略)
 子供の頃のこと、ハワイに渡り、教会や司教との軋轢、ハンセン病患者たちとの暮らし、魂となって帰郷、と語り演じるなかでたくさんの人物、相手役が出てくる。虚空にその人々をイメージし、対する。僕は知人友人を総動員してそれぞれをモデルにしたのだが、ただ一人、兄の役だけが見つからず、のっぺらぼうの顔と会話した。不思議というか案の定というか、兄の姿が見えない、と指摘された。やはり、演じたふりは見抜かれるのだと反省。

これはとても興味深いですね。

曖昧な部分は観る人にわかってしまう。

山崎さんのようねベテラン俳優でもそうなのですね。


以前ランパルは本番の舞台での心掛けとして、お客さんの中に一人この人という人を決めてその人のために吹く、と言っていました。

そうすると聴いている人全員に気持ちが伝わるというのです。

すごいことだし、怖いことだなあと思います。


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