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生まれ変わりの物語 [本]

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先日佐藤正午さんの『月の満ち欠け』を読んだわけですが、巻末の参考文献に『前世を記憶する子どもたち』が挙げられています。(角川文庫版でなくて1990年発行の日本教文社の単行本です。訳者は同じです。)

物語の中にもこれと思われる本が登場します。



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タイトルだけを読むと精神世界かオカルトかと思ってしまうかも知れない本ですが、実例を集めて考察した本です。

こういう研究があるということはなんとなく知っていました。



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この著者は前書きで、これはそういうことがあるということを納得させたい目的で描いたものではないという意味のことを言っています。



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子供が前世の記憶というものを語り始めるという現象があることは確かなようで、その話が実際に確かめられている例も少なくないそうです。

これから読み始めるところです。



さて佐藤さんの小説についてです。

 
物語は時間の流れに沿って進むわけではないので最初に読んだときは登場人物の関係性が掴みきれず、読み終わってから相関図を作って時の流れと登場人物の関わりを把握しました。こうした作業を行なってでも物語の世界を把握したいと思わせる魅力がこの作品にはあります。
 
初代瑠璃さんが映画の中の台詞として触れた
「神様がね、この世に誕生した最初の男女に、二種類の死に方を選ばせたの。
 ひとつは樹木のように、死んで種子を残す、自分は死んでも、子孫を残す道。
 もうひとつは、月のように、死んで何回も生まれ変わる道。
 そういう伝説がある。
 死の起源をめぐる有名な伝説」
「でも、もしあたしに選択権があるなら、月のように死ぬほうを選ぶよ」
という部分は印象に残りました。伝承のようなファンタジーのような話ですが、本当にそういう台詞があったのか作者の創作なのかは分かりませんが面白いと思いました。
 
物語がいつの話なのかと考えても本筋には関わりのないことなのですが、黛ジュンの『夕月』や『ドクトル・ジバゴ』『アンナ・カレーニナ』という映画が登場するので相関図を作りながら調べてみました。
 
『夕月』は1968年9月発表。初代瑠璃さんがいつこの曲を聴いたのかは書かれていませんが、暮れに事故が起こるのでほぼこの年であることは確かでしょう。
 
『ドクトル・ジバゴ』は日本公開が1966年6月。一緒に映画を観たのがこの月ということになると『夕月』はそれから2年ほど後です。
 
『アンナ・カレーニナ』は何度か映画化されていますが作中で言及があるビビアン・リーが出演した作品が日本で公開されたのは1948年で、タイトルは『アンナ・カレニナ』です。
物語の年代に矛盾しないのは1968年5月日本公開の作品で主演はタチアナ・サモイロワです。
物語の時間の流れを考えると封切りでない『ドクトル・ジバゴ』を観て『アンナ・カレーニナ』(アチアナ・サモイロワ)の予告編と続いて本編を観る。
その後『夕月』がヒットするという流れになります。
 
 
登場人物の年齢は誕生日を迎えているかどうかでも違いますので細かくは追いませんでしたが、27歳で死んで生まれ変わり、次に18歳で事故死して生まれ変わる。
当時20歳だったアキヒコ君はこの時点で38歳。
三代目が亡くなるのが小学校一年の夏。
四代目がアキヒコ君を訪ねるのが二代目(小山内)瑠璃が死んだ15年後。アキヒコ君53歳。
 
「あたしは月のように生まれ変わる」
「もっと若い美人に生まれかっわってアキヒコ君と出会う」
と言った通りに初代瑠璃さんは生まれ変わってアキヒコ君に会おうとします。
 
初代瑠璃さんがのちに変質者で誘拐犯とされてしまう正木竜之介と結婚したのは竜之介の強引さと
「いまとはべつの生活を望んでいるのかもしれない」
という思いにとらわれたからでしょう。
竜之介が自分の人生の設計図に合致していると判断した美しい人だったのですからそれまでの生い立ちが違ったものであれば違う人生になっていて「命取り」になる流れに身を委ねることもなかったでしょう。
 
そのようにずるずると引きずられてしまう「運命」やエリートだった男がただ一点設計図通りにいかない事が原因となってやがて身を持ち崩していく様はいかにもありそうで敢えて言うなら自然です。
これは作者のうまさだなあと思います。
「愚かな女だ」という言葉にもそれが現れています。
そんな瑠璃さんにとって望んだものではなかったこの結婚は不幸で、偶然出会ったアキヒコ君が運命の人。
『夕月』の歌詞に「今でもあなたを愛しているのに」という部分があります。
これがこの小説を貫いているのだなと思います。
 
 
この初代瑠璃さんのような話し方をする人を知っているような気がしないでもありません。
 
先にも触れましたが「そうなんですか」という言葉の意味のずれや「もう一度あたしのことを採点するつもりなんだね」という言葉とアキヒコ君とのやりとりがとてもうまく構成されていて経験の乏しいアキヒコ君、美しい人妻だけど精神のバランスを崩してしまっていたこの時の瑠璃さんという人物がまるで目の前にいてその会話を聞いているような思いにさせられます。
 
「若い美人に生まれ変わって現れて誘惑する」
Amazon のレビューでは怖い女だというような意味の投稿や「男の立場で書かれた小説だ」とか「作者は恋愛経験が少ないのではないか」などとも書かれていますが、受け取りかたが違うのかなと感じます。
 
 
一つだけ最後に引っかかったのは過去の瑠璃さんの人生の全ての記憶を持っているはずの四代目が、出会いの場である高田馬場にまた行ったとある事です。二代目が三度家出して補導されていてその中で高田馬場にはもうそのお店がないことは知ったはずなのに、です。
 
作者の他の小説も読んでみようと思い、既に2作品書いました。
読み始めた本を読み終えたら読んでみようと思います。


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