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『老後とピアノ』 [レッスン]

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ひと月前に読んだ本です。


退職した女性が子供の頃習っていたピアノを再開する様子を綴った連載をまとめたものです。



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ありそうな話だなとは思ったのですが、勤めていたのが朝日新聞ですから文章はまともです。


習うのがプロのピアニスト(まあ、教える人はみんなプロでしょうけど)だというので、ちょっと腰が引けているような様子もあります。



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アフロヘアらしいですね。

物書きとしてはプロでいらっしゃいますね。



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読んでみるとレッスンを受けるという点では共通するものがあるので興味深く読みました。

レッスンの中でいろいろな気づきがあるのですが、前々から感じていたことやなるほどと思うこともあって親近感を覚えました。


興味深かった箇所を少し引用します。
chapter 1 40年ぶりのピアノ
P31
「もっと、歌ってもいいんじゃないですか」と先生。
P32
 えーっと……歌うってどういうこと?
(中略)
「自分がどう弾きたいかということです」。
歌えと言われてもどうしたら良いかわからないですね。
私も歌(フレーズ感)が大事と言われています。
実際、楽器で吹く前に(音階で)歌ってみなさいという教え方をする先生もいらっしゃるようです。
chapter 2 弾きたい曲を弾いてみる
P103
ピアノが「弾けている」かどうかって、結局はいかに一つ一つの音を流さずおろそかにせず弾けるかってことなんじゃないかということに、今更ながら気づいたのである。
一つ一つの音を大事にするというのはとても大切です。
音の始まりから終わりまで気を抜かないこと。
P117
 1音弾くごとに、私は猛烈に感動した。わー! と驚き、すごい! と感嘆し、ジーンとして、ため息をついた。あの不思議な和音が、私の指の先で、つまりは私の力で本当に鳴っている! ……イヤ当たり前だけど。目の前に楽譜があるんだから。その通りに鍵盤を押さえているんだから。でもその当たり前のことが、全然当たり前じゃなかった。これまでは「何て綺麗なんだ」としか思っていなかったあの不思議な音楽が、自分で一つ一つ音を確かめながら鍵盤を押さえていくと、ものすごくリアルな手触りを持って目の前にするりと立ち現れたのだ。
これなんですよ。
初めて楽器を演奏して感動するのは。
譜面通りに弾いたら曲が自分の指先から生まれる。
これはね、やってみたことのない人にはわかりません。
これが楽器を続けられる原点ですね。
P127
 例えば、かの中村紘子さんの名著『ピアニストという蛮族がいる』には、このように書かれている。
「一般論として、ピアノ演奏における基本技術というものは、だいたい十二歳くらいから十五、六歳が一つの山場となる」「世界に通用するようなピアニストになるためには、演奏の表現技術というものは、このあたりで完全に身につけてしまわねばならない。音楽学校や大学に入ってからあれこれと直されているようでは、とても間に合わないのである」
これは厳しいお言葉ですが、全くその通りですよ。
音楽大学の入試ではそういう点も選別のポイントでしょう。
chapter 5 老後とピアノ
P245
 だって、私はすぐにわかったのだ。この人は、何かを我々に伝えようとしてここへやってきたのだと。この世界的危機の最中に、ぜひとも伝えなければならない「何か」を抱えて、老体を物ともせずにここへやってきてくれたのだと。氏の歴史、氏の活動、氏の思想、そして、氏の今。それを全てその身に包み込んで、バレンボイム氏は「今ここ」に立っているのだ。
(中略)
氏が1音1音をとても大切に、驚きと慈しみを持って弾いていることが、最初からはっきりと伝わってきた。氏が1音を奏でるたびに、聴いている私もこの曲の美しさに新鮮に驚くのだった。まるで氏が、我々一人一人をベートーベンの心の中に案内してくれているようだった。
 ストンと胸に落ちるものがあった。そうか、そういうことなんだ。
 実を言えば私は、世界的ピアニストのリサイタルとなれば、驚くべきテクニックを易々と観客に見せつけるものと当然のように思っていた。心のどこかで「老ピアニスト、お手並み拝見」と思っていないわけじゃなかったのだ。でもそんなもんじゃなかった。妙な言い方だが、氏は「一生懸命」弾いていた。ベートーベンの思い、この音楽の美しさに誰よりもバレンボイム氏がハッとして心を打ち抜かれ、その生々しい驚きを我々に懸命に伝えようとしていた。それこそがすごいことなのだ。7歳でプロデビューした氏は、今まで一体何回この曲を弾いてきたのだろう? でも氏は今なおこのソナタを新鮮な感動をもって弾いている。さらに深く、もっと深く表現しようと真剣なのだ。だからこそ我らもどうしたって耳が離せないのである。
 そうか。それでいいのだ。ていうか、そうでなきゃいけないのだ。
 私はいつの間にか、ピアノを弾くからにはいつかは「上手く」弾けるようにならなきゃ話にならないと当然のように思っていた。だからこそ自分の年齢に、そしてこれからどんどん年を取ることに怯えていた。でも本当に肝心なのは上手く弾けるかどうかじゃなくて、曲へのみずみずしい愛を持っていることなんだとしたら、それをいくつになっても持ち続けることができるかどうかなんだとしたら……。
(中略)
 バレンボイム氏は、それを私たちに届けに来たんだと思った。世の中はいつだって美しく力強いもので溢れている。大丈夫、大丈夫なんだと。


良い受け止め方ですね。


プロとして立つことは想像以上に大変なことで、その中でも世に名前が知られて活動できる人はほんのひと握り。

長く演奏水準を保つことは私たちの想像を超えた努力があるはずです。


私たちは到底そんな演奏はできませんが、せめて自分の指先から音楽が生まれた時のあの感動を忘れないようにしたいものです。


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