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内容は良いが翻訳がひどい [本]

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モーツァルトのレクイエムは様々な補筆改訂版が作られるなど曲は随分深く研究されていますが、どうやってもモーツァルトが書いたであろう曲にはなりません。

断片が最後に発見されたのももう随分以前のことになりましたが、今後新しい発見があるのかどうかについては望みは薄いと思わなければなりません。

 

それどころか以前自筆譜の所有者が公開された時にあろうことかその一部が切り取られて盗まれてしまったことがあり、その部分は今でも行方不明のままです。

その部分には音符ではなくモーツァルトによる指示が書かれていて記録はされています。

以前取り上げましたファクシミリ版にもそのことは触れられています。




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この本はもう古本でしか手に入らないようですが、この曲の研究本らしいので注文してみました。

 

Amazon の唯一のレビューでは “内容は良いが翻訳がひどい” という意味のことが書かれていましたが、ほぼ読み終わった今では全く同感と言えます。




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以下は二件目のレビューとして投稿した内容とほぼ同じものです。

 

読み始めはそれほどひどいという印象はありませんでしたが、楽曲について述べられる P.22 "レクイエムの「未完」を定義する" 以降になると次第にそれが実感されるようになります。

まだ読んでいる途中ですが、あまりにもひどいので呆れを通り越して怒りをおぼえるほどです。

 

実際途中で読むのが嫌になりかけています。

 

先日読んだ「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル」は人名や団体名、音楽用語の誤りがひどかったのですが、文章そのものは日本語としてこなれていな部分はあるものの読みづらいほどではありませんでした。

しかしこちらは日本語がひどく、意味が分からない箇所が多見されます。

 

具体例を少し挙げますと、

 「レクイエム」全体で一つの曲であるので一曲と勘定しますが、"レクイエム・エテルナ"、"キリエ" なども一つの曲であるのでそれら個々の曲に言及する場合は第1曲、第2曲などと表記するのが通例です。

しかしこの翻訳ではそれぞれを「セクション」と呼んでいます。

おそらく原書では section と書いてあるのでしょうが、この訳語が理解の邪魔をしています。

 

 合唱に対比して「オーケストラ伴奏部」という表現をしていますが、この曲において管弦楽は「伴奏」なのでしょうか?

 

 また、「楽器部」などの表記も多く使われていますが、こういう言い方は普通はしません。

例えば金管楽器群、金管セクション、第1ヴァイオリン、弦楽器群、といった具合です。

多分声楽パート以外の「管弦楽」部分のことを言っているのでしょう。

「第一バイオリン部」、「トランペット部」という表記もありますが、「部」は不要ですし、どうしても使いたいのであれば「パート」が適当でしょう。

 

 「スレッド」という言葉も音楽関連では初めて目にします。

おそらく一段の五線(バセットクラリネットやファゴットなどで二つのパートがある場合は楽器ごとに一段の五線に書かれる)のことをそう呼んでいるのでしょうが、違和感が大きいですね。

 

 スコアの各ページのことを「面」と数えていますが、そう言っても意味は通じますが「頁」を使う方がすんなりと理解できます。

 

「譜表紙」は「五線紙」のことしょう。

 

「楽譜」と「譜表」が混在しています。

譜面」という表記が使われている箇所があります。

 

「二つのファゴット」は普通は「二本のファゴット」で、その他も同様です。

ただし、'"一対のファゴット'" 等の表記を使っている箇所もあります。

「オーケストラ用バス」とあるのは「コントラバス」のことらしいですね。

 

意味が取れない文章、読みづらい文章の例を挙げます。

P.87 一行目下部

 力強い、効果的なセクションには、強力で、力強いオーケストラが必要だ。

"、" の使い方も良くないし、ここで言っているオーケストラとは何を意味しているのでしょう?

 

三行目

 モーツァルトはつぎのような方法で、十二の譜表紙に十五の楽器と声楽のための楽譜を書いていた。一つの譜表は一対のバセット・ホルンのために使われ、もう一つの譜表には一対のファゴットのために、三つ目の譜表には、一対のトランペットのために使われた。


曲そのものについて記述される部分になると少し違和感が薄れる印象がありますが、意味のわからない文章があまりにも多いです。

 

訳者がどのような方なのかはわかりませんが、音楽愛好家であって音楽学者ではないそうです。

翻訳についても専門家とは言えないのではないかと思います。

ともかく、このような文章を書籍という商品にしてしまったのは編集者と出版社の責任ですね。

 

内容については興味深い点が多く、いくつかの補筆完成版の成立経緯とポイントにも触れられているのはありがたいです。

 

巻末に以前出版されたことがあるという「物語」が収録されています。

その問題点にも触れられていますが、物語としてはこういうのもありかなとは思います。

 
 

音楽用語の適否は編集者の方にも判断できかねる部分があるのかもしれませんが、悪文といっても良い訳文のまずさを直さなかったのは編集者の責任でしょう。

 

内容は良いはずなので出版社には訳者を変えて新版として出して欲しいですが、それは多分無理でしょうから、他の出版社が出してくれることを望みます。

 

原書を読んでみようかなと思い始めています。
 
 
 
 


 

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