上野博士とハチ公:銅像と剥製
東大まで行ったのは上野博士とハチ公の銅像を見たかったからでした。
昨年除幕式が行われたというニュースを新聞で読んで以来ずっと思っていたのですが、年を越してやっと行くことができました。
カバンや服、靴までとてもよくできていると思います。
再会することが叶わなかった上野博士とハチ公を会わせてやりたいという思いが実現した銅像です。
渋谷駅前のハチ公像は最初のものでなく作り直したものですが、姿は晩年のもののようで、片耳も垂れています。
垂れているのはもともとではなくて野犬に噛まれたためらしいです。
プレートの説明によりますと、名前は「ハチ」なのだそうですが、大学では教授の愛犬だというので「ハチ公」と呼んだのだそうです。
博士は教授会で倒れて帰らぬ人となったそうですが、一般に考えられているようにその日からずっと駅前で待ち続けたというわけではないそうで、奥様も家を出なければならなくなって、可愛がっていた植木職人の方の家に預けられたとか、一般には知られていないエピソードがあるようで、当初から今のような「忠犬」としては捉えられていたわけではなかったようです。
一部には焼鳥欲しさに通っていたのだ、などというストーリーも流布しているようですが、子供や周囲のお店の人たちにいじめられても改札口の少し離れた場所で構内をずっと見ていたそうで、焼鳥屋さんがまだ開かない時間でもということですから、上野博士を待っていたのは確かだというのが後でご紹介します本に書かれています。
上野博士は毎日渋谷駅を利用していたわけではなく、普段はハチを伴って通勤していたものの朝のお供がないとき(出張など)は博士は電車で帰ってくるということをハチは学習したそうなのです。
当時犬を家の中で買うということは普通はなかったそうですが、消化器系が弱かったハチが半年も臥せったときは博士は部屋で添い寝するなど世話をしたそうです。
世間に知られて「忠犬」ハチ公が人々の関心を集めたのは新聞に記事が掲載されてからで、小学生が頭を撫でるために列を作ったとか、駅には食べ物をあげてくれとお金がたくさんた届けられたとか、死んだときのお葬式では人間以上と言えるほどだったそうです。
ここは「弥生キャンパス」で、弥生式土器が出土した場所でもあります。
ハチ公の剥製が残っていることを昨日知りました。
あるのは上野の国立科学博物館です。
ハチ公はフィラリアもあったそうですが、直接の死因となったのは癌だそうです。
解剖は大学で行われ、臓器も保存されているそうです。
ハチ公を見るだけのつもりでしたが、ついいろいろ見てしまいました。
全部はとても見きれません。
それらについてはたくさんありますので改めて取り上げます。
撮影禁止のものは比較的少なく、展示品は見事なものが多く、1日いても良いかなと思えました。
おはようございます
以外な事実を知りましたよ~
by kazu-kun2626 (2016-02-18 07:29)
kazu-kun2626 さん、こんばんは。
お話は伝わっていくうちに変化したり、美談と言われるようになると関係者と称する人物が出現したりといろいろあって、本当のことは埋もれてしまうようです。
by センニン (2016-02-18 20:37)