佐倉と広尾の繋がり
先日モーゼルの展示会が行われたチェコ共和国大使館は広尾にあるわけですが、広尾のような高級住宅街に足を踏み入れるのは初めてです。
先日の展示会の様子は大使館の HP から見ることができます。
http://www.mzv.cz/tokyo/ja/economy_and_trade/x2015_11_06.html
アウガルテンの展示会が行われたオーストリア大使館がかつての会津藩松平家下屋敷であったのでこちらもそうかと思って調べたのですが、お隣の聖心女子大学と日赤医療センター、広尾ガーデンヒルズを含む一帯は佐倉藩の堀田備中守の下屋敷であったものの、ここはそうではなかったようです。
画像の右半分は「分間江戸大絵図」、左は明治42年に作成された地形図で、縮尺は同一ではありません。
左の赤い文字はわかりやすいように書き入れたものです。
Wikipedia によれば
麻布にあった久邇宮邸の敷地は、現在は聖心女子大学のキャンパスとなっており(大学の HP によれば1947年購入)、御常御殿(日常の居所)は久邇ハウスと呼ばれ現存している。久邇宮邸は香淳皇后の生家であり、聖心女子大学は今上天皇の皇后である皇后美智子の出身校でもあるため、くしくも二代にわたり皇后と縁のある地となっている。
とのことで、なるほどの一言です。
BS朝日の「百年名家」の HP によれば
旧久邇邸は大正8年に久邇宮 邦彦王が現在の東京広尾に建てた
そうです。(2014年6月1日放送)
この番組では以前ご紹介しました愛新覚羅羅溥傑仮寓も取り上げられています。(6月7日)
こんばんは。
> 日赤医療センター
小学生の頃、母親に連れられて末期ガンの知り合いの方のお見舞いに伺いました。当時渋谷駅の東には傷病兵の方もいらして、今では想像つかないくらいの衝撃でした。
その後、外苑東通りあたりは食べ歩きして当時五十嵐喜芳オーナーのお店とか入ったような記憶があります。バブルはじける前でした。
東京の「山の手」の定義はよくわかりませんが、wikiでは
> おおむね、低地にある下町に対して、高台にある地域を指す。
ということで、高台にある森鴎外の観潮楼跡とか朝倉彫塑館あたりは大好きです。
日常住むところの最初の選択は台地の上です。
by tetsu (2015-11-08 22:20)
こんにちは.
ご訪問&足跡&コメントありがとうございます(^^♪
こちらこそよろしくお願いします.
友人が広尾周辺にいたのでいつでも行けるなどと思ってたら,今は訪れる機会がほとんどなくなっています(^^;
高級住宅街になってしまっているものの,今も銭湯があるのですね~
by Beronica (2015-11-09 16:50)
tetsu さん、こんばんは。
大抵のところでは高台の方が高級で土地も高いのですが、世界の中には逆のところもあるそうです。
そこでは高地で酸素が薄いので、酸素の濃い低地の方がお金持ちの住むところで、庶民は酸素の薄い高地に住むのだそうです。
山の手線の内側がみんな「山の手」というわけではないですね。
近くの渋谷などは低地ですね。
そもそも下屋敷というのは別荘的な位置づけだったそうで、昔の地図を見るとキツネやタヌキやウサギが出るようなところだったと推測されます。
by センニン (2015-11-09 20:07)
Beronica さん、こんばんは。
再びのご訪問 & nice! & コメントありがとうございます。
足を踏み入れるまでは特に気負いはなかったのですが、強く感じました。
猫のいるところだけを見ると特に高級そうには見えませんが。
駅が今となってはあまり便利ではないと感じました。
セブンイレブンがあったり、銭湯の近辺のような雰囲気のところがあったり、ちょっと雑多なイメージのところもありますが、やっぱり厳然とした違いがあるなあと感じてしまいます。
by センニン (2015-11-09 20:13)