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著作権が題材:『ラブカは静かに弓を持つ』 [本]

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知らない作家さんですが、取り上げている題材がタイムリーで関心のあるものなので読んでみました。



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JASRAC とヤマハ音楽教室がモデルで、実際にあった潜入調査を扱っています。



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ノンフィクションではないので物語としてアレンジされていますが、核となる事柄は現実に即しています。

書かれた時期は最高裁の判決が確定する前と思われます。



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ラブカというのは作中にも言及がありますが不気味な外見を持つ深海魚です。

主人公は見た目は良いという設定なのでちょっと皮肉ではあります。


著作権についてはよく調べて書かれていますし、チェロのレッスンの様子も実際にありそうな内容です。


内容について引用しながらご紹介します。

P14

「音楽教室内での演奏は『公衆』に対する演奏ではない、というのが奴らの主張の大筋だ。(中略)

P15
 第22条(上演権及び演奏権)
 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
(中略)
 作詞や作曲をした音楽家は、当該楽曲のプロモーションが正当に行われることなどと引き換えに、その楽曲の著作権を音楽出版社に譲渡する。そして著作権者となった音楽出版社の多くは、それらの管理を音楽著作権等管理事業者に信託する。(中略)
実際に著作権は出版社が持つということです。
なので作曲者や作詞者であっても公衆の面前で演奏するときなどは使用料を払うという仕組みです。
P17
「この事件の争点は、誰が『演奏の主体』であったのかという点です」
 満月側が主張した『演奏の主体』は、実際に店舗内でカラオケ機器を使用して歌唱した従業員のホステスと不特定多数の客を指していた。
(中略)
「管理・支配というのは、カラオケ機器を設置し、操作をしていたのが誰なのかということ。利益性というのは、カラオケを売りに客を店舗に呼び込むことで、利益を上げていたのは誰なのかということです」
(中略)
「店そのものが『演奏の主体』となって、ホステスや客に歌を歌わせ、演奏権を侵害した。この利用主体を拡張する法解釈を、カラオケ法理と呼びます」
(中略)
P18
「すなわち、今回の事件の『演奏の主体』は音楽教室そのものである……ということなのかな?実際に楽器を演奏している、講師や生徒たちではなく?」
これらは一般の感覚ではすぐには理解し難いポイントですが、簡単に言うと他人が創作したものを利用して収益を上げているのだからその一部を権利者に支払わなければならないということです。
利益を上げているのは誰かと言いますと演奏会では報酬を得る演奏者などですし、音楽教室ではレッスン料などを得ている音楽教室、というわけです。
生徒はレッスン料を払う立場であって利益を得ているわけではないので最高裁の判決では生徒は支払う必要はないというのは妥当な判決と考えられます。
P60
(中略)ミカサ側がみずから、著作権使用料規程に関する協議をしたいと申し出てきた」
 想定外の知らせに、和解へ向かうということですか、と訊き返すと、いいや、と塩坪は首を横に振った。裁判ではこのまま全面対決になるだろう、(中略)
「しかし、これではミカサは音を上げたも同然だ。音楽教室のレッスンでは著作権はそもそも発生しない、というのが彼らの言い分だったのだからね。にもかかわらず、著作権使用料について話し合うための土俵にわざわざ乗っかってくるとは」
(中略)
訴状を見ていないのでこの表現通りかどうかはわかりませんが、「著作権はそもそも発生しない」というのはおかしいですね。著作権使用料は発生しないと言うべきかと思います。
「この協議が不調に終わった場合、文化庁長官は協議の再開を命じることができる。そして再開後にも合意に至る見込みがない場合、ミカサ側は文化庁長官による裁定を申請可能だ。この裁定の申請が新規程、『音楽教室による演奏等』の実施の日よりも前に行われれば、裁定がある日まで全著連は新規程を実施できず、音楽教室から著作権使用料を徴収することはできない」
 つまり、ミカサ側に不利な裁定になったところで使用料の支払い義務は過去にまでは遡れなくなったというわけだ、(中略)
音楽教室側は実利を取ったということですね。
P104
 指運びは反復がすべてだ。十回で弾けないなら百回。百回で弾けないなら千回。何回でも指板上の弦を押さえて、体に覚え込ませるしかない。
P108
「思い詰めすぎると良くないって。ちょっとやそっとの運指ミスより、全体の印象と響きでしょ」
P1116
「曲を表現する時に一番、何が重要なのか?それはイマジネーションだ。的確なイマジネーションこそが、音楽に命を与える。プロもアマも関係ない。自分が育てた想像力を、この弦の上に乗せるんだ」
練習に関しては全くその通りで、テンポを落としてゆっくり始めて音が確実になったところでテンポを上げていきます。
楽器の練習はアスリートの練習と同じと言われます。
筋肉が自然に動くようになるまでやります。
ミスを気にしすぎてはいけないと言われます。
歌うこと、フレージングが大事とよく言われます。
P164
 忖度のない琢郎の言い草に、場の空気が少しだけ固くなった。ファンタジックな暗黙の了解が、急に取っ払われてしまったかのように。
ここはちょっと引っかかります。
「ファンタスティック」とするべきですが、作者が敢えて使ったのかどうかはわかりません。
P166
 当の花岡はあっけらかんと、他人事(ひとごと)かのように構えていた。


(ひとごと)としたのは実際にはルビです。

作者はわざわざルビを振っているので言葉の使い方に鈍感なわけではないと思います。



音楽教室は誰でも入ることができるのでそれは特定の個人ではなくて「公衆」であるという考えが根底にあるそうです。

そこが解釈に齟齬が生じるポイントでもありますね。



同じ先生に習う生徒の間で食事会があったり、アンサンブルを組んで発表の場を持ったりと言う場面があります。

ロマンスや誤解、裏切り、潜入調査の露見、調査員は一人ではなかったなどなかなか面白いです。

ロマンスが発展して欲しいなあと思いましたが物語は終わってしまいました。


もし続編が描かれるとすれば確定した判決を踏まえたものになるでしょうね。

主人公は昔チェロを弾いていましたが、事件があって中断しました。

事件の描き方が取ってつけたようだという印象はあります。


レッスンは借りた楽器で続けましたが、やがて自分の楽器を買います。

かなり筋が良いという設定なのでロマンスを絡めながら腕を上げて行ったり仲間とのアンサンブルが発展して行ったりというストーリーを想像します。


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