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『赤い鳥』 創刊号 [本]

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復刻版ですが、雑誌『赤い鳥』の創刊号です。


昭和四十四年に

 復刻「赤い鳥の本」

 「赤い鳥」童謡

が復刻され、それが好評であったために昭和五十二年にまた復刻され、その時その付録として出されました。



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箱はこの復刻にあたって付けられたものです。



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       モ  ッ トー

「赤い鳥」の標榜語

 

◯現在世間に流行してゐる子供の讀物の最も多くは、その俗惡な表紙が多面的に象徴してゐる如く、種々の意味に於て、いかにも下劣極まるものである。こんなものが子供の眞純を侵害しつゝあるといふことは、單に思考するだけでも怖ろしい。

◯西洋人とつて、われ\/日本人は、哀れにも殆未だ嘗て、子供のために純麗な讀み物を授ける、眞の藝術家の存在を誇り得た例がない。

◯「赤い鳥」は世俗的な下卑た子供の讀みものを排除して、子供の純性を保全開發するために、現代第一流の藝術家の眞摯なる努力を集め、て、若き子供のための創作家の出現をふる。一大區劃的運動の先驅である。

◯「赤い鳥」は、只單に、話材の純を誇らんとするのみならず、全紙面の表現そのものに於て、子供の文章の手本を授けんとする。

◯今の子供の作文を見よ。少くとも子供の作文の擇さるゝ標準を見よ。子供も大人も、甚だしく、現今の下等なる新聞誌記事の表現に毒されてゐる。「赤い鳥」誌上鈴木三重吉選出の「募集作文」は、すべての子供と、子供の養を引受けてゐる人々と、その他すべての國民とに向つて、眞個の作文の活例をへる機關である。

◯「赤い鳥」の動に賛同せる作家は、泉鏡花、小山内薰、田秋聲、高濱虚子、野上豐一郎、野上彌生子、小宮豐隆、有島生馬、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、森太郎、森田草、鈴木三重吉其他十數名、現代の名作家の全部を網羅してゐる。


なるべくオリジナルの表記に近づけましたが、二点しんにょうなど入力できなかった文字は黒にしています。
また、森林太郎が「森太郎」となっているのは多分誤りだろうと思います。


さてなぜこれを今手にしているかと言いますと、芥川の「蜘蛛の糸」が発表されたのがこの雑誌であるからです。

童話雑誌に童話として発表されたわけです。


「蜘蛛の糸」だけではないでしょうが、全集によって(岩波の旧版と新版、ちくまなど)感じの使い方や表現が異なるので発表された時はどうだったのかを知りたいと思ったからです。




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ひらがなの使い方や漢字の字体(「御釈迦様」と「お釋迦様」など)の他に目立つ相違は極楽の描写の中の文章です。


先日使った宝島社版では

 極楽は丁度朝なのでございましょう。

 極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

となっている箇所がオリジナルでは

 

 極樂は丁度朝でございました。

 極ももうお午に近くなりました。

となっています。


いつ変わったのかはそのうち調べてみたいと思いますが、芥川自身が変えたのではないかと思います。



芥川が日本や中国の古典に題材をとっている事は良く知られていますが、この作品は日本や中国の古典には見当たりません。


調べてみるとすぐ分かるのですが、Paul Carus(ポール・ケーラス)の "Karma a Story of Buddha Ethics" の邦訳である「因果の小車(いんがのおぐるま)」(鈴木大拙訳)の中の「蜘蛛の糸」を下敷きにしているという事がほぼ定説となっています。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の「一本の葱」との関連も指摘されていますが、こちらは直接参考にされたわけではなさそうです。


それらについては改めて取り上げますが、関連を調べているといろいろ興味深い事が分かって来ます。

調べる事そのものが楽しいのは多分私の性分なのだろうと思います。


 

 

 

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