昨日の記事の関連ですが、「千葉」という氏の始まりについての資料がありましたので取り上げます。

千葉市美術館のミュージアムショップでは美術館らしい商品のほかこうした資料も販売されています。

種類は多くはありませんが。


このシリーズは何冊か刊行されているようですが、見たい写真が載っていたこの一冊を購入しました。





撮影者が誰なのかは記載がありません。

おそらく著作権は生きていないと思いますが、念の為重要な箇所だけが見えるようにして掲載します。


これは現在の県庁方面から見た千葉市中心部で、写真下に写っているのが都川、囲んだ部分が千葉地方裁判所のある場所です。


ここの何が重要なのか派閥の記事で取り上げますが、この資料には思いがけず千葉という名前の由来について掲載されていました。」



P9

羽衣伝説と羽衣の松


千葉氏の祖である平常将の代に、現千葉県庁付近に池田の池という清浄な池があり、蓮の花が咲いて多くの人たちで賑わう場所であった。深夜になるとこの池に天女が舞い降り、羽衣を松に掛けて水浴しているところを見染められて常将と夫婦になった。常将は、この話を聞いたから「千葉」の姓を与えられたという。

(中略)

千葉の名は「せんよう(千葉)」に咲き誇っていた蓮の花のせんようからつけられた。(後略)


P17

現在の緑区大椎町に本拠を置いて活躍した大椎常兼の息子、常重は平安時代後期の1126年(大治元)6月1日に現在の中央区亥鼻付近に本拠を移した。現在の亥鼻公園辺りと言われている。

明治から昭和初期の絵葉書等には、猪の鼻台、猪の鼻丘、猪の鼻公園、古城跡猪の鼻丘などとも表記されている。

(中略)

常重がこの地に拠点を移し、千葉を名乗ったのが、千葉の都市としての始まりと言われている。

(後略)



「千葉」の起源について述べた資料は少ないのでこれは貴重です。






千葉常将、常重、常胤などについては Wikipedia には次のように記載されています。



父・忠常は長元元年(1028年)以来、朝廷に反旗を翻していたが(平忠常の乱)、同4年(1031年)に降伏した。

常将は弟の常近と共に父・忠常の平安京への連行に従事した。

忠常は美濃国で病没し、首は京で晒されたが、常将常近は罪を許された。

下総国に帰還した常将千葉介と号したと言う。

そのため、千葉氏の系図では常将初代当主と見做すことが多い(『千葉大系図』)。

伝説に拠れば、常将は天女を妻とし、常長を儲けたとされる。

この天女が何を意味するのか不明である。


千葉常重

平安時代後期の下総国の武将。千葉氏2代(実質的な初代)。

平常兼の長男?三男?。下総権介、相馬郡司。房総平氏の惣領。

子に小見胤隆


千葉 常重(ちば つねしげ)は、平安時代後期の下総国の武将。

千葉氏の実質的な初代当主。

千葉介・平常兼の子で千葉常胤の父。

下総権介。恒重、経重とも。



昨日の郷土資料館に置いてあった「千葉氏略系図」によれば

桓武天皇 ━ 葛原親王 ━ 高見王 ━ 高望王 ━━


 ┏ 国香 ━ 貞盛 ━ 維衡 ━正度 ━正衡 ━正盛 ━忠盛 ━清盛

 ┣ 良兼

━╋ 良将(持)━ 将門

 ┣ 良正

 ┗良文 ━ 忠頼 ━ 忠常 ━常将 ━常永(長)━常兼 ━常重 ━常胤 ━(以下略)

             ↑初代当主。          ↑二代。実質的な初代。

              天女を妻に。         拠点を緑区大椎町から

             「千葉」の氏を賜る。          中央区亥鼻付近に。



 この先(常胤の後)、相馬、武石、大須賀、国分、東と細かく分かれます。

胤正が後を継ぎ、師常が相馬、胤盛が武石、胤信が大須賀、胤通が国分、胤頼が東となり、その他に日胤がいます。

胤正の後が成胤(下総千葉氏)と常秀で、常秀の次の秀胤(上総千葉氏)となります。

成胤の三代後の頼胤の次が宗胤(九州千葉氏)と胤宗に分かれ、胤宗が本流を継いでいます。

胤宗六代後の一人自胤が武蔵千葉氏となります。


忠頼 → 忠常 とそれ以降常の字を引き継ぎ、常胤以降「胤」の字を引き継ぎ、それ以降本流は必ずその字を引き継いでいます。


現在もその字を引き継いでいらっしゃる方がありますが、本流は一度滅びていると郷土博物館配布のリーフレットにはあります。

 1455年(康正元年)馬加康胤・原胤房連合軍千葉城を攻める→千葉氏宗家滅亡

 文明年間、千葉孝胤、本佐倉へ移る

 1590年(天正18年)豊臣秀吉、後北条氏を滅す→千葉氏、原氏など滅亡

          (徳川家康、江戸城に入る)

現在いらっしゃる方がどういう関係でいらっしゃるかは分かりませんが、胤という文字はありふれてはいないので直系ではないとしても関わりのある方であろうと思います。

 

次の記事では千葉氏とは直接関係はありませんが、以前触れたことのある千葉地方裁判所の敷地に関わる件を取り上げます。


 

7.23 追記。

「千葉」の起源については他に二つの説が伝えられているようです。

羽衣伝説はどちらかというと作られた話ではないかと言われています。