野崎さんの訳になる『華麗なるギャツビー』を読んだのは随分以前のことですが、書店で村上さん訳を手にして久しぶりに読みました。
村上さん曰く翻訳には賞味期限とでもいうべきものがあるそうで、ご自身の訳もそうだとおっしゃっています。
解説が実に充実していて作者についても改めて知ることになりますが、村上さんがどうしても日本語の適切な言葉がなかったという “old sport” は「オールドスポート問題」とも表現される難問であるそうです。
野崎さんは「親友」と訳していますが、さすがにこれは浮いている感じで、話し言葉としてとても不自然に思えます。
かといって「友よ」でもなんか違うと思えて、結局「オールド・スポート」と訳すほかないのかなと思えます。
その後野崎訳をもう一度読み、他の訳はどうかと光文社の新訳シリーズを今読んでいるところです。
そしてさらに先日から映画化されたものを鑑賞しています。
一本目はこの映画のイメージを決定づけているとも言えるロバート・レッドフォード主演のもの。
デイジーはミア・ファロー。
ニック役のサム・ウォーターストンは目立たない存在で語り手でもあるというイメージをよく出していたと思います。
トム役のブルース・ダーンは富豪の息子で鼻持ちならない俗物という感じをなかなか出していましたが、ディカプリオ版のジョエル・エドガートンの方がよりいやらしさが出ていたと思います。
ディカプリオ版のニックはトビー・マグワイアで、スパイダーマンのイメージが強いのですが演技は良いのですが傍観者では終わらない感じを漂わせていました。
ロバート・レッドフォードは見た目も演技も大変良いのですが、いかんせん役柄に対して歳をとりすぎている印象です。出征してから五年後ならもっと若いはず。
総じて原作の掴みどころのない感じ(謎めいた感じ)やスチール写真の光に溢れているようなイメージは良いと思のですが、原作のエピソードの取捨選択が少し違うのではないかという印象をどうしても持ってしまいます。
ディカプリオ版は批判もあるようですが、実を言うと当初はレッドフォード版の方が良いだろうという先入観を持って観始めたのですが、評価を改めました。
重要なポイントとなる場面を丹念に繋いでいって、物語の流れが自然になっています。
あの場面でどうしてそういう展開になるのかというポイントが、会話や演技によって自然に納得させられる仕上がりになっています。
これは野崎訳でもよく分からなかったポイントでもあります。
ディカプリオは特に好きでもなかったのですが、見直しました。
特にトムに掴みかかる場面での “人を殺したことのある男の顔” が見事でしたね。
ディカプリオ版で印象に残ったのはゴルファーのジョーダン・ベイカーを演じたエリザベス・デビッキでした。
レッドフォード版で描かれていた “ごまかし” をする人間であるという描写は全部割愛されていましたので人物像が少し変えられていました。
ニックとの関係も省かれていましたが、最後にニックがまた元の世界に帰って行こうとする場面の “別れ” の描写が辻褄が合うようになっていました。
レッドフォード版で印象に残っているのはギャツビーの車のヘッドライト。
最初に見たときにああこれはエックルバーグ博士の目だなと思ったら、途中でオーバーラップする場面があるではありませんか。
レッドフォード版では事故の場面は描かれませんが、これはそういう時代でもあったからなのでしょう。
ディカプリオ版は映像が素晴らしいですね。
イーウト・エッグやウェスト・エッグや豪邸が素晴らしく、目を奪われます。
パーティーの場面やトムたちの乱痴気騒ぎは過剰なほどの狂騒で、ちょっとやりすぎかなと思えなくもありません。
音楽は原作通りではありませんが、これも賑やかすぎるようにも感じました。
原作ではオーケストラの描写もありますが、楽器編成がかなり変則的です。
作者はこちら方面にはあまり詳しくはなかったのかもしれません。
未だに謎であるのはどうしてあの場面で車を買えた 替えた のかという重要なポイントです。
これはディカプリオ版でもよくわかりません。
これがその後の展開に決定的に重要な意味を持つのですが、その理由がわかりません。
光文社のこの新訳シリーズは初めて読みましたが、確かに読みやすい訳になっていて会話も自然なのですが、なんと言いますか原書の詩的な香りというものは失われてしまっていると思います。
これから原書を読もうとしているところです。
村上さんの解説だったでしょうか、これはニックの人生開眼の物語とありました。
人生開眼といえばサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」もそうですね。
ディカプリオ版ではニックがカウンセリングを受けていて治療の一環で「書く」という形で物語が始まります。
そしてそのエンディング。
タイプで打たれた表紙の GATSBY というタイトルの上にニックはペンで THE GREAT と書き足します。
村上さんによれば作者はタイトルに大層迷ったのだそうで、 The Great Gatsby というタイトルにも納得はしていなかったようで、映画のエンディングはそれを表現しているようです。
原作を随分読み込んで映像化したなという印象で、これはもう一度観ても良いかなと思っています。