たまたまですが前回のNHK 『チコちゃんに叱られる!』で取り上げていましたが、4月1日生まれがなぜ早生まれの扱いになるかということを以前この blog でも取り上げました。
もう11年も前のことになります。
今でも時折参照されているようです。
番組では閏年の2月29日生まれの人のためでもあったのではないかと言っていました。
なるほどそれもあるかもしれません。
そもそも歳を取る瞬間というものはないわけで、ある瞬間の次の瞬間には年齢が加算されているわけで、それは例えば映画のコマとコマの切り替わりのようなものですね。
簡単にまとめますと四月一日生まれの人は四月一日になった瞬間には既に一つ歳を取っていると法律で定められている(年齢計算ニ関スル法律、民法 第143条)ので、その(三月三十一日の)翌日(四月一日)以降の新しい学年(年度)に学校に行かなければならない(学校教育法 第二十二条)というわけです。
日数を勘定する時時間は考慮しないので誕生日になった瞬間には生まれてから満○○年が経過したことになるというわけです。
そんなことをまた取り上げるのは今日が私にとってそうであるからで、そうしたこともありお彼岸でもあったし先日本家のおばあさんが亡くなったこともあって家系図を作ろうと思い立ちました。
直系尊属の分は取ることができるので市役所に行って父方と母方の戸籍謄本を取れるだけ取ってきました。
さらに今日は父方の戸籍に記載されている一番古い人の出身地(隣の市ですが)に行きましたが、明治期なのですがもうその部分は廃棄されてしまっているということで、それ以上遡ることはできませんでした。
母方の一番古い人はこの地で生まれているようですが安政元年と書かれていました。
戦争に行った人は母方で一人だけで、父方にはいませんでした。
もうちょっと戦争が長引いていたら父も徴兵されていたかもしれません。
先日の葬儀で初めて話をした人もいましたが、その苗字も戸籍で確認できました。
父はきょうだいがとても多かったのですが、存命なのは女性が一人だけです。