今日もまた素材は政治ですが、テーマは政治ではありません。


 


誰でも知っている「踏み絵」ですが、歴史の教科書の話題の中で今まで「踏み絵」と記述していたものを「絵踏み」とするとありました。


「踏み絵」は踏まれる絵のことなので、踏む行為は「絵踏み」だというわけです。


なるほどです。


聖徳太子の呼び名を変更しようという案よりは違和感がありません。


 


でも枝野さんは「踏み絵」と言っています。










もう一つ、昨日の夕方のニュースで枝野さんは「〇〇せざるを得ない」というところで


 「〇〇せざる を得ない」


とはっきり区切って言っていました。


 


以前からこのような区切り方に大いに違和感を持っていたので調べて見ますと、どうやら


 「〇〇せざる 負えない」


あるいは


 「〇〇せざる 終えない」


と理解している人が少なくないようなのです。




どうしてそういう理解になるのかちょっとわかりません。

(これの区切りを変えると

 ちょっとは 借りません

となるかもです。)



そういえば笑い話に


 「ここで履物を脱ぐこと」


 「ここではきものを脱ぐこと」と張り紙したら


服を脱いでしまう人が出たとか出なかったとか。


 「ここでは着物を脱ぐこと」


と取ったのでしょうね。