国立科学博物館は大人になってからは二度目です。




世界遺産に登録が決まった国立西洋美術館ではクラーナハ(昔はクラナッハと言っていたように思いますが)展が行われていましたが、建物の写真を撮る人の姿も目立ちました。





望遠で少し彫刻を撮ります。

距離感が出ますね。




まじまじと見たことはなかったなと思いつつ。





「地獄の門」も肉眼では詳細は分かりません。





「カレーの市民」も撮り方によってドラマチックに。




あまりにも有名ですね。





ミュージアムショップではミニチュアが売っていました。






この展覧会ではごく一部を除いては撮影は禁止されていませんでした。


ただしフラッシュの使用、動画の撮影は禁止です。

 

日本の動物たちの剥製です。

 

ここでホワイトバランスを一応合わせます。




タヌキ。



アブラコウモリ。



コノハズク。




ニホンイタチとヒミズ。




ここからが本題です。

数が多いので主要なものだけをかいつまんでご紹介します。

 


当時の長崎の様子。




ナポレオンがロシア遠征に失敗するのが 1812年。

 

「会議は踊る、されど会議は進まず」(ウィーン会議)




植物園は出島のかなりの割合を占めていたのですね。




鳴滝塾の写真が残されています。


これはシーボルトが再来日(1859年)した時のものです。





シーボルトと息子アレクサンダーが並んで写っています。




標本も沢山展示されています。


照明の光源が展示により異なるようで、白がきちんと出ていないものがあります。




このような箱に保存されているのだそうです。




日本人絵師川原慶賀の描いた植物画と「フローラ・ヤポニカ」の原画が並べて展示されています。





タイツリソウは外来の種だとばかり思っていました。







「フローラ・ヤポニカ」の実物です。




そして、比較展示。




標本も一緒です。







人気沸騰のカノコユリです。




川原慶賀の手になるもの。







ヒドランゲア・オタクサ(Hydrangea otaksa)の標本。

後の調査ですでに学名が与えられてていたことがわかったため “オタクサ” を含む名はシノニム(二番目以降の命名)とされ、学名としては採用されませんでした。

(カール・ツンベルク が 先に H. macrophylla (Thunberg) Seringe var. macrophylla と命名)




ガクアジサイの標本。






川原慶賀の原画を忠実に写しているものもあれば、かなり変えられてしまっているものもあります。


理由の一つは慶賀は植物学者ではなかったため、学術的な植物画としてのルールに則っていない点があったためではないかと言われているそうです。








動物達を紹介したものは「日本動物誌」(ファウナ・ヤポニカ)。






生きた状態で運ばれた動物達。

 

カブトガニも。

 

 

ニホンザルも。




オオサンショウウオも生きたまま運ばれたそうです。

驚きですね。










驚くほど細密な図版です。




“シーボルト事件” によって伝えることができなかったり失われたりした標本や資料も数多くあったそうですが、佐倉市の国立歴史民俗博物館で見た展示も驚きでしたが、その多様さと量は想像を超えています。

 


保存状態も素晴らしく、シーボルトの驚きと情熱と使命感が思われます。

 



鳩はとても人に慣れています。

 

このあとパンダに会いに行きました。

 

 




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