このところ読む本と言えば音楽関連ばかりで、先日の本は例外です。
小澤征爾さんの本は以前も取り上げました村上春樹さんとの対談をまとめた本が売れているようです。
今回取り上げる本は NHK BS の「100年インタビュー」を本にしたもので、インタヴュアーは有働由美子アナウンサーです。
場所はウィーン国立歌劇場ですが、村上さんと違って音楽にはあまり詳しくない有働アナがどういう話を引き出すのかという点も面白いです。
そもそも音楽家は音楽で語れば良いという考え方もあって、指揮者が自分の仕事や音楽の解釈について語るのはありふれたことではありません。
小澤さんは元々教えることには興味を持てなかったようですが、今は「音楽塾」などの活動に熱心に取り組んでいらっしゃいます。
こうした活動は以前読んだ井阪さんの「草津音楽祭」にも共通するものを感じます。
こちらの本は作曲家の西村朗さんとの対談ですが、作曲家である西村さんの考えていらっしゃることも垣間見る事ができてそういう意味でも興味深いです。
なお、一ヶ所現代の作曲家に触れた部分で水野修孝さんのお名前も出て来ます。
次の本は今読んでる途中ですが、どちらかと言うとエッセイのような文章を一冊にまとめたものです。
日本人の音楽は世界的に見てどうなのか、井阪さんの本にあったように日本で評価の高い録音が海外ではなぜ「これは音楽ではない」と言われてしまうのか、そうしたことの理由がこの本だけでなく今まで読んだ何冊もの本の中にちらちらと顔を見せています。
もう一冊触れなければならない本があるのですが、突き詰めると言葉の問題に行き着きます。
極論すれば、歌に限ったことではありませんが、フランスの曲ならフランス語がわからなければ表現ができないということになります。
それは発音が正しいというレヴェルの問題ではなくてドイツの曲ならドイツ語で会話ができるほどの能力が求められるということです。
イントネーション、アクセント、フレーズ、それら元の言葉を抜きにした表現はあり得ないということです。
ドイツ語とフランス語とロシア語と英語とイタリア語と、もちろん日本語とでは違うのです。
それは詩にメロディーを付ける時にも当然違いがあるわけで、小節の頭でメロディーを始めるのか、アウフタクトで始めるのかという点にも必然性があることに気づきます。
以前「剽窃ではない」としてその点では「千の風になって」を擁護しましたが、詩の内容とメロディーが密接に結びついているか、言葉のもつアクセントや区切りを活かして曲が付けられているかという点では賛成票を投じる事ができません。
「芸術歌曲」と呼ばれるものは詩と曲と伴奏が一体となったものであると言われます。
シューベルトの作品がまさにその代表ですが、そうしたことを意識して聴いてみればなぜそう言われるのかが分かるでしょう。
歌が全て芸術でなければいけないというつもりは毛頭ありませんが、本来アクセントをおかないような場所にメロディーの山を持って来たり、言葉を変な箇所で区切って聴いた時に意味が分からないようにしてしまうような曲作りにはあまり賛成できません。
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