先日千葉市中央図書館に隣接する生涯学習センターに行きましたところこんなパネル展示が目に入りました。


すぐ気がつくのは「魯」の文字です。


現在は「露」の文字が当てられていますが、調べてみますとこの条約が締結された当時(1855年)は以前から使われていた魯西亜の表記を使ったのだそうです。


それ以前は現在と同じ「露西亜」の他「俄羅斯」「峩羅斯」も使われていたのだそうです。








ところがロシアから抗議があって現在の表記に変更したのだそうです。


 


「『魯』の字は、『おろかもの』の意味であるといふので、ロシア政府から、わが政府に抗議して來た。その後は、『魯』のかはりに、『露』の字をあてるやうになつた」


(「文字は踊る」大阪毎日新聞社、1935年)


 


1872年か1873年ごろにロシアから「魯と云うのは魯鈍の魯の字であって、字が悪いから露の字に変えろ」という照会があった(「歴史評論」457号の熊沢徹氏の論文による)。


これは1875年の表記変更と時期がほぼ重なりますので、1870年代前半にはロシア側から抗議があったとみていいでしょう。


 


ロシアの漢字略称「魯」が「露」に変わったワケ


2012/9/11日経電子版 ことばオンライン



https://style.nikkei.com/article/DGXNASDB04004_U2A900C1000000/








思い出しましたが、かつて「魯」の文字を使っていた企業がありました。


現在は マルハニチロ という社名になった 日魯漁業(株)です。


マルハニチロの HP によりますと


 


 1906年「堤商会」として創業


 1913年「あけぼの印」の鮭缶を生産


 1921年 日魯漁業(株)新発足


 1990年(株)ニチロに社名変更


 2007年(株)マルハグループ本社と(株)ニチロが経営統合


      (株)マルハニチロホールディングスが誕生


 


とあります。


 




上記の日経電子版の続きを読むと「魯」という意味には必ずしも悪いイメージがあったわけではないとされています。


 


むしろ「露」の方が良くないイメージを持たれていたのではなかったかとも。








ふうむ、一つ憶えました。