加藤登紀子さんの本が目についたので先月読みました。
加藤さんが歌う歌はある時から自分でで訳詞をするようになったそうですが、そうした経緯もここで述べられています。
PPM の歌で広まったと言ってもいい「花はどこへ行った」の元がショーロホフの「静かなドン」に登場するコサックの子守唄であることなど初めて知りました。
そして、「百万本のバラ」。
ジョージア(旧呼称はグルジア。ロシアから独立して英語読みに)のスフミ(冬季オリンピックが開催されたソチの近く)に実在した画家ニコ・ピロスマニ(1862 - 1918)がモデルだそうです。
曲はもともと1981年に作られたラトビアの子守唄「マーラが与えた人生」で、作詞はレオンス・ブリエディス、作曲はライモンズ・パウルス。
これをアンドレイ・ヴォズネセンスキーが別の詞でロシア語で歌います。
ヴォズネセンスキーはゴルバチョフの片腕と言われた詩人で、プラハの春を批判したためにモスクワにいられなくなった時期、ジョージアに滞在していた時にピロスマニを知って「百万本のバラ」の歌詞を書いたのだそうですが、この詞が「マーラが与えた人生」のメロディーにぴったりだとして ’82年に当時人気があったロック歌手アーラ・プガチョワがレコーディングし、ヒットしたそうです。
ロシア語でないとロシアでは流せないのだそうです。
逆もまた同じ。
加藤さんはそれを日本人とロシア人の親を持つ娘さんの歌(日本語とロシア語)で知り、興味を持ってロシア語の歌詞を調べたところその時の日本語の詞が元の詞とだいぶ違うと思えたので自分で訳詞し、1986年にシングル盤のB面としてレコーディングします。
そしてその翌年にA面としてリリースしたという経緯があります。
この歌には力があります。