何日か前の読売新聞の記事です。
「高値の花」という表記もたまに見かけますが、ここでは「根」の字を使っていますね。
元々は高いところにあって手が届かないという意味ですから、「"高嶺"の花」ですね。




こちらは「ふつかよい」ですが、私としては「宿酔」を使ってほしいですね。

「むすめむこ」も「娘婿」でなくて「女婿」を使いたいです。




こちらは正しい事例です。新聞ではなくてサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」(野崎孝訳。新潮文庫)の1ページです。以前取り上げましたが「他人」と書いてわざわざ「ひと」とルビを振っています。
本来はこうなのです。


実例はあげませんが、よく目にするのが「障害」の文字ですが、「障害物競走」はこれで良いのですが、体等にハンディキャップのある人等をさすときに使う「しょうがい」は本来「障碍」と書いていました。
文字の制限によって発音が同じ文字に置き換えられていますが、「害」の文字はあまり適当とは思えません。
電柱などに使われる陶器の絶縁材は「碍子」と書きますが、これらを製造する会社もあるときから社名の表記を「日本ガイシ」と変更してしまいました。

以前「鉄」の文字を嫌って(「金」を「失う」は縁起が悪いから)存在しない文字を使った鉄道会社の例と実際に目にした看板を取り上げました。
http://music-1000.blog.so-net.ne.jp/2007-06-29
http://music-1000.blog.so-net.ne.jp/2007-06-30-4
その鉄道会社を利用する小学生がこの字を覚えてしまったそうなのですが、新聞などは影響が大きいですね。

新聞ではなくても誰がいつ見るか分からないブログもそうです。
知らずに書いてしまうのはやむを得ませんが、誤りと知っていながら普段使っているからという理由で書いてしまうというのは感心しません。公開しない記事や日記にどういう表記を使用しても他人がとやかく言う筋合いではないのですが、公開するものはそれではいけないと思います。
そうした姿勢を目にするとその人の書くもの全体に対する信頼が損なわれるのを止める事ができません。

誤った事例を一つ増やしてしまう事になります。
表現の自由はもちろんあるのですが、誤りと知りながら改めないというのは百歩譲って抜き差しならない理由があるとしても容認できないですね。

誤りを改めるのに遅すぎるという事はない、と言われます。
いつも流されることなく自分をしっかり持っていたいと思います。