昨日、撮影の合間の写真と撮影の様子をと予告しましたが、応募フォームの利用規約に


 出演者へのサイン・握手等の依頼、写真撮影・録画・録音は固くお断りいたします。


とありましたので現場の写真の掲載は見合わせます。


撮影の様子についても具体的なことは控えて撮影では一般的だなと思うポイントだけを取り上げたいと思います。



中継車や当時聖火ランナーの後ろを走った日産車などは携帯電話で撮影していた人も多かったのですが特に制止されることはありませんでしたので問題ないかもしれませんが、控えます。


 


 


さてこの日の撮影は聖火リレーの場面ですが、女性走者 鈴木 久美江 さん(当時中学三年生)から聖火を引き継ぐまでと最終走者の 坂井 義則 さん(早稲田大学一年生)が国立競技場に向かって走り出したところを午前中、その前の走者 青木 政子 さん(高校三年生)から鈴木さんに引き継ぐ場面が午後撮影されました。


 


https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木久美江


https://ja.wikipedia.org/wiki/坂井義則


参考:http://www.bunkashinbun.co.jp/wp/wp-content/themes/biz-vektor/PDF/140101_1.pdf


   http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:4OQkOusfvR4J:www.hanno-h.spec.ed.jp/index.php%3Fkey%3Djo3j6424n-1020+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp



 



青木さんから鈴木さんへの中継は国立競技場まで 800m という想定の地点でした。


鈴木さんから坂井さんへの最終中継地点は想定では街路樹の上に聖火台が見える地点でした。


 


撮影ではメインのカメラは一台で、前からの撮影の他に同じシーンを後ろから写すような場合はもう一度同じ演技を要求され、カメラが後ろから狙います。


それはそうですね。両方にクルーがいたら映ってしまいます。


ドローンで空撮するような場合も同じです。


 


なのでドラマなどで前や後ろやそのほかの出演者や主役のアップなどが映る場合はその都度撮影しているようです。


プロは同じ演技を要求されるわけで、それはやはり大変だなと思います。


 


後ろから狙うような場合で列の先頭の人の背中が映っている場合は、二人目以降は人がいない状態で撮っています。


表情のアップの場面などで手に持ったものが映らない場合は持たないで撮るようです。


 


エキストラである観衆などはそれほど厳密なことは要求されませんが、同じ場所からとかさっきの○秒後からなどと言われるのでぼけっとしてはいられません。


 


暗くなってからは音だけの収録でした。


歓声はこの時が一番でした。


多分それまで撮影したシーンでは音は十分撮れていなかったと思います。


 


エキストラは私のように初めてという人や何回か経験がある人、事務所に所属している人など様々でした。


事務所に所属している人などは広告の仕事などもあるようで、ほかの人と話しているのが耳に入りました。


 


一声でもセリフのある人は皆プロの役者さんだろうと思えました。


白バイやサイドカーの運転も多分そうです。


 


午前中は通行量は多くはないものの一般道を使うので車を止めたり通したり、本番中(長くても数分)は完全に止めるのですが、そんなわけで時間が押します。


 


午後は通行が殆どない場所でした。


 


 


 


現場には千葉県フィルムコミッションと書かれた腕章をつけた人が飲み物を配ったり記録のための撮影をしたりしていました。


千葉県フィルムコミッションの HP を見るとかなり多くの撮影に関わっているようです。


今回のような番組でなくこれから公開される映画やドラマなどに関しては注意事項はかなり厳しいです。


参加したことや撮影場所も口外無用であるようです。


 


今回はネットのニュースをチェックしていたら NHK のサイトで募集しているの知ったのでした。


まだこの先何度か撮影があります。


 


今日は渋谷で撮影があったようです。


 


はっきり書けないのがもどかしいのですが、この辺で。


 


 


 


現場の写真がないので、最後に聖火台(炬火台)の写真を。


 



 


 


当時の記念品。


 


 



 


国立競技場取り壊しに当たって販売されたもの。


 


御影石が実際に使われていたもので、ミニチュアは聖火台を作ったメーカーが作っています。


 


 



 


 


小学校高学年の時に私が記憶に基づいて作ったものです。