丸の内にサービス拠点ができたのでセンサーのゴミを取ってもらおうと FUJIFILM Iamaging Plaza に行ったのですが、なんと昨年四月から保証期間内でも有料となったとのこと。


ここができたタイミングと同じです。


 


六本木(FUJIFILM SQUARE)でも同じで、以前販売していたチケット(回数券)は六本木では使えるそうですが、清掃だけではなく簡単な点検込みのサービスと詳細な点検を含むサービスの二種類になったそうです。


それほど高額ではないのですが、ちょっと困惑です。


しかし少々不満そうな顔に見えたのか、センサー表面に確認できたゴミを一つ取ってくれました。


やれやれ。


 


カメラは超音波でゴミを落とす動作をするのですが、それでも残ってしまうものがあり、絞り込むとそれが写ります。


センサー内部に入ってしまうと厄介だそうです。










東京駅まで歩いていると門松が目に入ります。


先日 NHK で門松の竹の切り方を取り上げていましたが、おなじみの上面を斜めに削ぎ落とす「そぎ」は家康が始めたものと紹介していました。


それは以前も取り上げたのですが、その理由の詳細までは憶えていませんでした。


 


なんでも


 三方ヶ原の戦い(元亀3年12月22日 [1573年1月25日])で武田信玄に敗れた家康に、正月、信玄から文が届いてそこには


 「松枯れて 竹たぐひなき あしたかな


  (松=松平=家康が滅んで 竹=武田が将来繁栄する)


とか書かれていたそうです。


それを読んで怒り心頭に発した家康は


 「松枯れで 武田首無き あしたかな


(徳川は滅ぶものか。信玄こそ首がなくなっているのだ)


と返したそうです。


 


ひらがなで並べると


 まつかれて たけたぐひなき あしたかな


 まつかれで たけだくびなき あしたかな


で、まことに機知に富んだ返句です。


ちょっと出来過ぎな気もしますが。


 


で、家康の怒りはそれでは収まらず門松の「竹」の上部を斜めに削ぎ落としてしまったとか。


信玄の首に見立てたのですね。


 


 


なので家臣たちは皆そのようにしたというわけです。



 


句の表記は諸説あって、このエピソードも確たる根拠はありません。


 


 


余談ですが「あした」は本来は次の日の朝のことですが、『浜辺の歌』の歌詞の「あした」は「朝」、「ゆふべ」は「夕方」です。


 


「翌日」は「あす」と NHK で取り上げていました。








特別門松を探していたわけではないのですが、次に見えたのがこの「寸胴」です。


梅の枝が挿してありますね。








こちらは先のものと同じですね。








ツワブキがまだ咲いていました。


すごいですね。








FUJIFILM Imaging Plaza は東京メトロ千代田線の「二重橋前」が最も近いです。


 


 


明日の朝は早く出るので更新はお休みします。