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あの歌の原点がここに [本]

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今日もセルフのカフェです。



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NHK で以前アンジェラ・アキさんと中学生たちの交流を描いたドキュメンタリーが放送されたそうで、それが本になっていたので取り寄せてみました。



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初めの方を少し読んでみましたら興味深い内容がありました。



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『手紙』に込めた思い アンジェラ・アキさんのメッセージ
P5
 そんな私に、母(管理者注:イタリア系アメリカ人)から一通の手紙が届きました。
「これはあなたが10代のときに『これを私が30歳になったら渡して。それまでちゃんととっておいてね』と私に預けた手紙です。大事にとっておいたから読んでみてください」という言葉とともに。
 正直、そんな手紙を書いたことすら忘れていたのですが、きっちりのりづけされて容易に開かない封を開けてみると、「未来の自分へ」という便箋何枚にもわたる長い長い手紙が出てきました。
 それには、本当に細かく、いろんなことが書かれていました。
「Aちゃんにこんなことを言われて、今日もホンマにすごい落ち込んで」とか、「Bくんがすごい好きなんだけど、BくんはCちゃんが好きで」とか、「D先生にこんなこと言われて、お昼も食べられなかった」とか。
 少しは音楽のことや将来のことが書かれていてもよさそうなものなのに、最初から最後まで、みごとなまでに延々と悩み、というよりもグチのようなものがつづられていたのです。
 おもしろいことに、今の私は、大好きだったBくんの顔も、ご飯が食べられないくらいショックなことを言われたD先生の顔も、いっさい覚えていませんでした。そのことのほうがショックだったくらい。
 正直、「そんなことで悩むなぁ!」と思うことばかり書かれていたけれど、当時の私は「そんなこと」でいっぱいいっぱいだったのだなと思いました。
 そして、それはたぶん、今の中学生も同じなんじゃないかと思ったのです。


アキさんの実体験が元になっているのですね。

タイムカプセルを思わせます。



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15年前の自分に語りかけるというのは構成の工夫ですね。

昔の自分に「そんなのは大したことじゃない」と言ってやりたい気持ちなのでしょうね。


私はどうだったろうかと考えてみると、一番昔の記憶は保育園でしょうか。

次が小学校一年生の最初の登校日。


気になっていた人のことは忘れてはいませんが、小学生の頃は人を見る目もまだできていませんから、我ながら押さないなとは思います。

中学生の頃も思い出はありますね。

「あれはそういうことだったのか」と今になって思うこともありますが。



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昔に戻ってやり直したいと思うこともあるし戻りたくないという気持ちもあります。


誰でも通る道でしょうか。


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中学生の頃に想いを馳せる:『くちびるに歌を』 [本]

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山本有三が紹介した詩の一節がタイトルになっています。


 心に太陽を持て

 くちびるに歌をもて


五島列島の島の中学校の合唱部が舞台です。


この年 NHK の全国学校音楽コンクールの課題曲はアンジェラ・アキさんの『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』です。

余談ですが、「音楽コンクール」という名前ですが合唱のコンクールです。



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大筋はこの帯にあります。


冒頭に主人公の一人のこの手紙が置かれています。

そして産休に入る顧問の先生が臨時教師を依頼する友人の柏木先生に宛てた手紙で物語が始まります。


結びの部分では役目を終えた柏木先生かが書いた手紙が登場します。



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合唱の舞台が登場するようなので手にしたのですが、中学生が主役だというし、ライトノベルかなと思って読み始めました。


しかし決してそうではなく、中学生の女子と男子が認識する身の回りの描き方が丁寧でよく拾い上げているという印象です。

女子は男子を、男子は女子をよくわからない生き物と思っています。

私がこの年代の時もこんなふうに考えていたような気がします。

合唱部でなく吹奏楽部でしたが、先生に強く怒られた3年生の時のこと、その年の夏のコンクールでは当時としては一番いい成績(県代表ではありませんが)が残せて、女子たちが涙ぐんで先生を囲んだことなどが思い出されます。



物語では中学生らしい言動が随所に出てきますし、恋愛ともいえないような、おずおずと外の世界に首を伸ばそうとしては引っ込めているような、そんな中学生たちの姿が微笑ましくもあります。


合唱部のメンバーではありませんがくちびるに歌を、ではなくてくちびるにくちびるを、というシーンもあります。


いいところはたくさんあるのですが、強い印象を残すのは本番の舞台のシーンです。


部長が指揮を担当し、臨時の先生がピアノ伴奏を担当します。

自由曲は先生のオリジナル。

作詞は部員の合作です。



くちびるに歌を 中沢永一
 小学館文庫  2013.12.11 初版
        2019.2.6 第十二刷
P266
 頭のなかで百回歌えば、百回おなじに歌える。けれど実際の舞台ではそうならない。百回中の九十五回は平凡な演奏で、四回くらいノリの悪いダメな演奏があり、そして一回くらいは神がかったような演奏ができる。本番のステージで、どうか奇跡の一回がまわってきますようにと祈る。練習しまくって、準備を万端にととのえて、最後の最後は、祈るしかない。
 十一校目の合唱を、ステージ袖に設置された反響板の後ろで聞いていた。周囲はうす暗い。移動してすぐは、自分の手足も見えないほどだった。反響版の裏側に設置されているモニターが光を放っている。演奏中の合唱部員たちが映し出されており、どうしてもそれをじっと見てしまう。だれも言葉を発さない。聞こえてくる課題曲のテンポがうちとは異なっていた。影響をうけないように、耳を手でおさえたり、耳元を手のひらでバタバタとやって聞こえないようにしたりする。
 期待にこたえたい、というプラスの思考と、失敗したらどうしよう、というマイナスの思考が混在する。モニターの光に照らし出された一年生のくちびるがふるえていた。頭が真っ白になっているのだろうなとおもう。自分も一年生のときはそうだった。「こんな風に歌おう」などと、事前にかんがえていたことがすべてふっとんでしまうのだ。三年生になった今現在の自分はどうだろう。緊張を気合いでねじふせようとしているような気がする。最後の大会だからにちがいない。次の世代にすばらしい状態でつなぎたかった。
 やがて自由曲がおわり、観客席の方から拍手がふってくる。係員の誘導で、十一校目の合唱部員たちがステージ上手側の出入り口から楽屋廊下に出ていった。
 私たちの番だ。反響板の後ろから出て、ステージ上のひな壇にむかう。視界が上下左右にひろがって、どこまでも広い空間に私たちは姿をさらす。一階席、二階席、ともにほぼ満席状態で、無数の人の顔がいっせいに私たちをのぞき込んでいるようにおもえる。さきほどの拍手がおわり、しんとしずまりかえった。
 声を発してはならない。音楽というパズルのピースになるのだ。ひな壇に上がる。音をたてないようにと注意する。ゆっくり、胸をはってあるくようにこころがける。履いているローファーが、カツカツと音をたてないようにと。
 柏木先生が、下手側に配置されているグランドピアノの前に立つ。一応、楽譜を譜面台にたてかける。いつも見ないし、譜めくりをする人もいないけれど。
 辻エリが、たったひとり、私たちの前に進み出た。客席からむけられる大勢の視線の圧力を引き受ける防波堤のようだ。私たちは彼女についてけばいい。
 舞台上手から順番に、男声パート、アルトパート、ソプラノパートの順に三列で整列した。司会者が私たちの中学校名を紹介する。指揮の辻エリが観客にむかって一礼し、まわれ右をして私たちにむきなおった。柏木先生も一礼後ピアノに座る。
(中略)
 式をする辻エリが、私たちの顔を見渡す。彼女の表情に、先ほどまであった不安はもうない。運命に挑むような決意が見える。ひな壇の私たちに電気のようなものが走った。全員が同じおもいを共有していた。これまでに体験した、どんな大会とも違っている。金賞をとって勝ち進みたいという願望もなければ、ミスをしないだろうかという恐怖も消えた。今、私たちにあるのは、もっと純粋で、つよい心だった。私たちは、ただ歌を届けたかった。海をわたったところにいる、大切な人に。
(中略)
 辻エリの腕がうごいた。ピアノの澄んだ音の粒が、きらきらとホール内に反射する。
 課題曲『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』。

コンクールの舞台の本番って本当にこんな感じです。

ここの描写は臨場感があります。


文章を入力していて感じたのは意図的にかひらがなを多く使っていることです。

別に中学生に読みやすいようにということではないでしょうけれど、何か意図があるのでしょう。


上級生との交際や浮気や大暴れという場面もありますが、縁実にはそうそうあることではありません。

でも主人公の一人が自閉症の兄の面倒を見なければならない境遇というのも今リアリティがあります。

部員の一人は母が病で亡くなり、父は出て行ってしまうという境遇で育っています。


女子部員だけだった合唱部に美人の先生目当てで三年生男子が入ってきたために雰囲気が変わってしまい、女子の間も分裂します。

女性合唱を歌うはずだったのに混声合唱の楽譜を買わなければならなくなってしまいます。

未経験の男子が数ヶ月でコンクールに出られるようになるのでしょうか?そもそも動機が不純ですのに。


読後感はとても良いです。

映画化もされているようなので観てみたいと思ったのですが、映画では先生の視点で物語が進むような設定になっているらしいです。

先生役は 新垣 結衣 さんなのでファンは一も二もなく観るでしょうけど。


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五木寛之セレクション [本]

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今朝の新聞に広告が載っていたのに目を留めました。



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そういえば伊月さんの作品は読んだことがないなと思い至って、この期に読んでみることにしました。



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タイトルは大部分知っているのですが。



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巻末に 佐藤 優 氏との対談が載っているのもポイントです。



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読みたい本が山積みです。


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Wednesday Morning, 3 A.M. [本]

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先日三省堂に行きましたらこんな本が目につきました。



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変わった装丁だなと思って手に取ってみますと、大きく書かれているのはタイトルではありませんでした。



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これは以前も取り上げました「帯」です。

カバーと同じサイズの帯ですね。

帯のことを「腰巻」とも言いますが、同じ大きさになってはもはや腰巻きとは呼べませんね。

呼ぶなら「外套」でしょうね。


それにしても大胆ですね。

著者名もタイトルも印刷されていないのですから。



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「帯」を外すとカバーが現れます。

このタイトルを見るとすぐ S&G の歌を思い出しますが、歌を使っているわけではないようです。



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これもちょっと珍しいですね。

新潮文庫で出ていたものが別の出版社から文庫として出たのです。



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これを読んでもすぐ読みたいという気持ちにはならないのですが、多分これが忘れられてしまってはいけないという思いが集ってこうなったのでしょう。



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バーコードは本体のカバーと同じものが印刷されています。


出版界も色々な変化があるようです。


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海堂尊さんの、コロナ禍を題材にした小説二冊 [本]

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昨日『命のクルーズ』を読み終わったばかりですが、それに関連する小説が目に入ったのでつい買ってしまい、早速読み始めました。



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海堂さんは医師ですが千葉市のご出身なので少し親しみを感じます。

今まで

『チーム・バチスタの栄光』『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』『ジェネラル・ルージュの伝説』などを読んできましたがそこで止まっていました。


宮部さんもそうなのですが、同じ作家の作品を続けて読んでいると何と言いますか飽きを感じる時があるのです。

それで長いこと他の作品を手にしていなかったのですが、コロナ禍が題材であの船のことももちろん取り入れられているので読んでみることにしました。



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『コロナ黙示録』から読み始めました。

しばらくぶりの海堂さんの文章ですが、海堂節がますます加速しているなという印象です。

早口で喋るような文章という印象なのですが、現実を元にしているので何とかついていくことができます。

どこまでが事実を元にしたものでどこからがファイクションなのかわからない部分もあるのですが、まあそれはよしとします。


首相や官房長官、財務局長の名前などはどんな名前にしてもイメージが頭に浮かびます。

「私人なんですよ」と言われたあの人も。

しかし台風に触れてその被害を受けたのが「房総県」で、県知事が「田森」というのは苦笑してしまいます。

まあいいですけど。


某学園問題や文書改竄の問題、「'満開の' 桜を見る会」なども皮肉たっぷりに書かれています。



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読み始めたばかりですが、ダイヤモンドプリンセス号の事件(作中では「ダイヤモンド・ダスト」)がどう描かれているかも興味深いところです。


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『命のクルーズ』 [本]

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今日は定期的に通っている眼科の検査の日でした。

今日の検査は眼底検査なので瞳孔を開く目薬が使われます。

この目薬が結構長い時間効いているのでその間は眩しいのでこんなお天気の良い日でなくとも運転は危険です。


なので普通の見え方に戻ったと思えるまでは病院内のカフェでお茶を飲んだり昼食を摂ったりして過ごします。


昨日読みかけの本を読み終えたので今日からまた新しいものを読むのにどれにしようかと考えたのですが、四月頃に買ったこれを読むことにしました。



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こう暑いと普段は飲まないものも飲みたくなります。



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病院の駐車場は広いのですが、舗装されていない部分もあります。

しかしここは朝のうちは日陰ができるのです。


そのうち影はなくなってしまいますけど。



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こちらはその反対で、昼頃から日陰になります。

足元が悪い時はちょっと考えてしまいますけど。


最近手放せないサンシェードを活用します。

ずいぶん違いますね。



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こうした草むらに放置車両らしきものが何台かあります。

ナンバープレートがついているものもあります。



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右の車はバンパーがなくなってしまっています。



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すごいですね。



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で、本題ですが2/3くらい読みました。



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ニュースを聞いていた頃のことを思い出します。

その頃はまだ今のような状況になるとは想像できませんでしたね。


本題は災害時に活躍する DMAT が災害ではないのはいかがなものか?

しかし他にはない。

どうすれば?

「災害に指定すればいい」(黒岩知事)


各地の病院に勤務する職員で構成される DMAT。

プロの医療者ですが感染症に対する訓練は受けていません。

行ってよしという許可を出すのは所属長です。

ウイルスを持って帰るようなことがあってはいけない。


当初は入院する患者を搬送することが任務であったが船は三日に一度生活排水の処理で港を離れなければならない。

外にいては何もできないので中に入らざるを得なくなる。



そうした事柄が臨場感を持って述べられています。


読んでおくべき本だと思います。


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岩合さんのパンダ [本]

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たまたまですが最近パンダに関する本を買いました。

一冊は写真集、一冊は文章を集めたものです。



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岩合さんのパンダの写真を見るとやはり素人とは違うなと思わないわけにはいきません。

表情が感じられます。


何が違うのだろうと思いながら見ていますと、目が違うということに気づきました。

普通に写すと目は黒い毛の中にあってよくわかりません。

しかし岩合さんの撮影ではその目がはっきり見えますし、周いの黒い毛もくっきりと黒く写っています。

違うのは光です。

ポートレートで作り出すような一点のハイライトではなくて自然の光が映り込んでそれがとても効果的なのです。


口元もまるで微笑んでいるかのようです。


さすがはプロの仕事です。



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先日たまたま触れました帯ですが、これが表紙を邪魔しないデザインの帯です。

表側は敢えて白にしたようです。



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もう10年も前に出ているのですね。



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こちらは黒柳さんなどの文章を集めた本です。


上野動物園の元園長さんや中国の「パンダ人」の文章なども収録されています。



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これももうずいぶん前に出ていたのですね。



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この中で一箇所だけ間違いだろうと思われる箇所に気が付きました。



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ここでは114頭と書いてありますがそれ以外は全部十四頭です。



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何頭が正しいのかわかりませんが、多分14頭なのでしょう。



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この本の帯も表牛を邪魔しないデザインですが、何かシールが貼ってあります。



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買った(写真集の方)書店もたまたま「熊」がつく書店でした。


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文庫目録も時につれ [本]

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書店に行くとおすすめの文庫本が各社並んでいて夏休みだなあと実感します。



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昔は新潮、角川、旺文社、講談社、集英社、岩波などの文庫総目録をよく読んだものでした。


そのころは少し厚めの文庫本の体裁でしたが、今は一部のおすすめのものだけそ収録したものが作られるようになったようです。

もの足りないですね。

まあ全部あっても小学生から高校生までに進められるようなものばかりではないのですが、内容を読んではどんな内容だろうと想像を巡らせるのも楽しみの一つでした。



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この中でも昔の総目録の面影を残してるのは新潮文庫だけですね。

新潮文庫は今でも天はアンカット本の面影を残していて、栞紐(スピン)も備えています。


講談社文庫が出たときは紙の白さと天、地、小口まで綺麗に裁断されているのが印象的でした。

カバーは全部同じデザインで、書名や著者名が変わるだけでした。


当時岩波文庫はか¥今のようなカバーはなくてハトロン紙のようなものが掛けられていました。

価格も星ひとつにつきいくら、という設定でした。

その後カラフルなカバーを見せて持ち歩くのが流行して以降、岩波文庫もコート紙のカバーをかけるようになりましたね。


腰巻(帯)が変形してカバーが二重にかかっているようになったものが出現したのは最近です。

腰巻というのは日本の出版界の慣習のようですね。

表紙を邪魔しない、表紙の隠れる部分を印刷した帯もありますね。


これから20年もしたらまたずいぶん変わっているでしょうね。


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読んでいない本がたくさん [本]

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書店で目についてパラパラとめくってみて買いました。

目次をみると読んだ本あり、読もうと思いながら読んでいない本あり、書名は知っていても近寄らなかった本あり、全く知らないものありというわけで、内容を知りたい、読んだことのあるものを改めて辿ってみたいと思いました。



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収録されている作品は次の通りです。

映画の原作になったもの、オペラの原作になったものもたくさんあります。


 スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』
 ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』
 モーパッサン『脂肪の塊・テリエ館』
 フィリップ・K・ディック『流れよわが涙、と警官は言った』
 (これは昔読みましたが、強い印象はありません。
  ただ、この本で触れていますがこのタイトルはジョン・ダウランドの曲名から取られています。
  別名『涙のパヴァーヌ』として知られています)
 
 ケネス・グレーアム『たのしい川べ』
 サマセット・モーム『アシェンデン 英国秘密情報部員の手記』
 カトリーヌ・アルレー『わらの女』
 アガサ・クリスティー『パーカー・パイン登場』
 フレドリック・ブラウン『スポンサーから一言』
 アガサ・クリスティー『終わりなき夜に生れつく』
 アントン・チェーホフ『かもめ』
 A&B・ストルガツキー『ストーカー』
 (これは今よく事件になる行為とは関係ありません)
 
 アンブローズ・ビアス『新編 悪魔の辞典』
 ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』
 コンラッド『闇の奥』
 ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』
 モーリス・ルブラン『813』『続813』ルパン傑作集
 ウィリアム・ギブスン『クローム襲撃』
 レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』
 トーマス・マン『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』
 中島敦『山月記・李陵 他九篇』
 カート・ボネガット・ジュニア『スローターハウス5』
 アーサー・ミラー『るつぼ』
 プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』
 ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』
 ホフマン『黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ』
 トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』
 ヘルマン・ヘッセ『知と愛』
 ハーパー・リー『アラバマ物語』
 F・W ・クロフツ『樽』
 レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』
 ハリー・クレッシング『料理人』
 シャーウッド・アンダソン『ワンズバーグ・オハイオ』
 ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』
 モリエール『人間ぎらい』
 カフカ『城』
 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
 サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
 アラン『幸福論』
 ラディゲ『肉体の悪魔』
 オー・ヘンリー『オー・ヘンリー傑作選』
 テネシー・ウィリアムス『欲望という名の電車』
 ジェイムズ・ヒルトン『チップス先生、さようなら』
 マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』
 ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』
 (これによく似た日本の作家の作品がありますね。
  ここから拝借しているのではないかと想像します)
 
 ルーマー・ゴッデン『人形の家』
 (これはイプセンの戯曲や 弘田 三枝子 の歌とは関係ありません)
 
 カミュ『ペスト』
 ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』
 (これは新訳が出ていますね)
 
 アラン・シリトー『長距離走者の孤独』
 正岡子規『子規句集』
 ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』
 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』
 ジョージ・オーウェル『一九八四年』
 (Apple の広告で使われましたね)
 
 デュマ・フィス『椿姫』
 リルケ『マルテの手記』
 フローベール『ボヴァリー夫人』
 ウィリアム・シェイクスピア『リア王』『マクベス』
 スタンダール『赤と黒』
 マキアヴェリ『君主論』
 ミル『自由論』
 マンスフィールド『マンスフィールド短編集』
 ボリス・ヴィアン『日々の泡』
 ダシール・ハメット『マルタの鷹』
 チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』
 アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』
 P・L・トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
 ナサニエル・ホーソーン『緋文字』
 『孫子』
 ロバート・L・スティーヴンソン『宝島』
 ロバート・L・スティーヴンソン『ジキルとハイド』
 ポー『アッシャー家の崩壊/黄金虫』
 J・G・バラード『ハイ・ライズ』
 ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』
 (これがよく知られている作品とは知らなかったのですが、高校の図書館で借りて読んで印象に残っています)
 
 ゴーゴリ『外套・鼻』
 ギャビン・ライアル『深夜プラス1』
 G・ヴェルガ『カヴァレリーア・ルスティカーナ 他十一篇』
 ロレンス『完訳 チャタレイ夫人の恋人』
 (読んではいないですが、現代では問題になるような描写はないだろうと思います。
  これがいけないなら発禁になってしまうだろうものはたくさんあります)
 
 イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』
 ヴォルテール『カンディード』
 (これはバーンスタインの『キャンディード』の原作です)
 
 シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』
 ギッシング『ヘンリー・ライクロフトの私記』
 R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』
 サキ『サキ短編集』
 『山海経』
 コルタサル『悪魔の涎・追い求める男 他八編』
 ラフカディオ・ハーン『怪談』
 太宰治『津軽』
 アンリ・ミュルジェール『ラ・ボエーム』
 ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』
 J・G・フレイザー『金枝篇』
 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
 チャールズ・ディケンズ『荒凉館』



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『金枝篇』はありますが『金瓶梅』は取り上げられていませんね。まあぜひにというわけではないですが。


マドレーヌで有名(?)なあの小説もないですね。読み通した人はかなり少ないでしょうけど。



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著者も読んだことがない本が多いそうですが、若い頃読んだものも再読しています。


私も経験がありますが、若い頃読んだ方が良い作品もあれば若い頃では味わいきれない作品もあります。



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まだ読んでいる途中ですが、速くは読めません。

読んだことのある作品もこの著者のフィルターを通すとまるで違う印象になります。


単純な読書ガイドではありません。


昔は各社の文庫目録をよく読んだものでした。

そこに書かれた内容の紹介を読んで読む作品を選んでいました。



この本を読んでも、読んでみようかと思う作品はまだないのですが、読まなくてもいいかなと思ったものもかなりあります。

若い頃読んだら違っただろうと思うものもあります。

若い頃読んだものでまた読んでみようかなと思ったものはあります。


人生の残りに思いを馳せてしまいます。


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川端康成の作品に大賀ハスが [本]

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今日の帰りにコンビニに立ち寄りましたら、なんだか暗いと感じました。

天井の照明は点いているのに変だなと思いましたら冷蔵ケースの照明が消されているのでした。

これでもちゃんと見えますし、他のコンビニはどうかわかりませんがこのコンビニだけでもこのようにすればある程度の節電にはなるでしょう。

今までにないことですね。



先日の夕方目眩で病院に行ったことは書きましたが、今日も冷房の効いたショッピングセンターにいましたら少し変になりかけました。


屋根のある駐車場の車に戻ると車内の空気は暑いですが、窓を開ければ耐えられないほどではありません。

そこでしばらく休んでいますと、回復したようでした。

昼までは練習で冷房も使いましたが、温度調節ができるのであまり低くはしませんでした。


思い出すと月曜はファーストフード店にいたのですがエアコンの風が来る場所でした。

昨日耳鼻科の診察も受けたのですが、聴力検査などを受けて内服薬を二種類処方され、四週間後にまた行くことになりました。

大幅な温度差と冷房がいけないのかもしれないと思い始めました。

明日から注意してみます。


来月は発表会があって明日和ピアノとの合わせなのですが、ちょっと心配です。



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さてずいぶんしばらくぶりに川端康成を読んでみようと思いました。



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最高峰だそうなので。



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でも中をパラパラと読んで解説にも目を通すと、好みの内容ではなさそうです。

まあ読みますけど。


Amazon のレビューを参考にしていましたら、『少年』という作品が新潮文庫で出ているようなのですが、これはなかなか出版できなかった作品で、今でいう BL なのだそうです。

実は『伊豆の踊り子』も好きな相手とryこうしていて生み出された作品だというのでちょっと驚いてしまいました。


吉永さんが『伊豆の踊り子』('63)を撮っているときに川端さんがべったりだったという話をどこかで読んだような気がするのですが...。



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で、すぐ読まなくてもいいかなと思ったのですが、解説を読んでいたら作品中に大賀ハスが発見されたニュースが二度登場するとありました。

 

P242
 信吾は保子が見ていたらしい四五日分の新聞を拾い上げて、読むともなしに見ていると、
「花開く二千年前の蓮」という珍しい記事があった。
 昨年の春、千葉市検見川の弥生式古代遺跡の丸木舟のなかから、三粒の蓮の実が発見された。おおよそ二千年前の実と推定される。なにがしという蓮博士が、これを発芽させて、今年の四月、その苗を、千葉農事試験場と千葉公園の池と千葉市畑町の造り酒屋の家と、三ケ所に植えた。造り酒屋は遺跡の発掘に協力した人らしい。釜に水を張って植え、庭先においた。その造り酒屋の蓮が、第一番に花を開いた。蓮の博士はしらせで駆けつけて来て、「咲いた、咲いた。」と美しい花をなでた。花は「徳利型」から「湯呑型」、「お鉢型」となり、「お盆型」に開き切って散ると、新聞は書いていた。花びらは二十四枚とも書いていた。
 眼鏡をかけた、白毛まじりらしい博士が、開きかけた蓮の花茎に手を持ちそえている写真も、記事の下に出ていた。読み直すと、博士の年は六十九だった。
 信吾はしばらく蓮華の写真を見つめていてから、その新聞を持って、菊子の居間へ行った。
 
P342
 菊子は立って行って、慎吾に茶を入れると、
「お父さま、二千年前の蓮の記事が、二つも出ていますわ。お読みになりましたの?別にしておきました。」と言いながら、二日分の新聞をちゃぶ台にのせた。
「ああ、読んだようだね。」
 しかし、信吾はもう一度手にとってみた。
 弥生式の古代遺跡から、おおよそ二千年前の蓮の実が発見された。蓮の博士が芽を出させた。花が咲いたと、前に新聞に出ていた。信吾はその新聞を菊子の部屋へ持って行って見せた。菊子は病院で流産をして来たばかりで、寝ている時だった。
 その後二度、蓮の記事が出たわけだ。その一つは、蓮博士がその蓮の根を分けて母校の東京大学の「三四郎」の池に植えたという。もう一つの記事はアメリカの話で、東北大学のなにがし博士が、満州の泥炭層から、化石のようになった、蓮の実を発見して、アメリカに送った。ワシントンの国立公園では、その実の硬変した外側をはがすと、しめした脱脂綿に包んで、ガラスのなかに入れておいた。去年、愛らしい芽をふいた。
 今年は池に移し替えられて、つぼみを二つつけ、薄紅の花を開いた。公園課は千年乃至五万年前の種だと公表した。
「前に読んだ時も、そう思ったが、千年ないし五万年とほんとうに言ったのなら、ずいぶん大幅な計算だね。」と信吾は笑いながら、なおよく読むと、日本の博士は種の発見された、満州の地層の工合から、数万年前のものと想像していたそうだが、アメリカでは、種の外側の削り落としたのを、炭素十四の放射能で調べて、およそ千年前のものと推測されたのだという。
 ワシントンから、新聞の特派員の通信である。


花が咲いた(1952年、昭和27年)のは一株で、その種を掘り当てたのは発掘を手伝っていた地元の中学校(東大検見川グラウンドの近く)の女生徒だったそうですが、作中で触れられている造り酒屋さんではないようです。
 
またこちらの種が発掘された地層は2000年前と鑑定されたたと Wikipedia にあります。
 
米国ライフ週刊版1952年11月3日号に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され「大賀ハス」と命名された。また大賀は、このことに誹謗中傷する人もいたことから年代を明確にするため、ハスの実の上方層で発掘された丸木舟のカヤの木の破片をシカゴ大学原子核研究所へ送り年代測定を依頼した。
シカゴ大学のウィラード・リビーらによって放射性炭素年代測定が行われ、ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。
(Wikipedia)
 
『山の音』は千葉市美術館の 1F に他の書籍と一緒に並べられていましたが、なぜだろうと思っていました。
大賀ハスに関係があるからなのかもしれませんね。
 
 
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