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NISSAN 2000GT だったかもしれない [車]

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写真は昨日撮り初めのものなのでフロントにまだ邪魔なものがあります。

 


Wikipedia の記述ではトヨタ主導であって YAMAHA に丸投げしたのではないとされているのですが、検索してみると当初日産と開発を進めようとしていたという記事が見つかりました。

http://www.geocities.jp/norimono_zukan/z31-02.html

 

 

この記事によれば日産は A550X というスポーツカーを試作したそうですが、市販車の生産にまでは至らなかったそうです。

 



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Wikipedia では A550X にも触れていますので引用します。


ヤマハ発動機側の事情
ヤマハ発動機では1959年に『ヤマハ技術研究所』を設立。その中で安川力を主任とする研究室が四輪車の試作を行っており、世界初の全アルミ製エンジンを製作するなど意欲的にスポーツカー開発に挑戦した。しかし一方で開発に莫大な金を費やした上四輪発売には至らず、さらに当時発売していたスクーターのクレーム対応に追われるなどでヤマハの経営難も重なり、1962年に技術研究所と安川研究室は解散させられた。
 
だがヤマハの川上源一社長はなんとか安川たちの熱意に応えるべく、銀行を仲介して日産との提携による四輪開発に持ち込んだ。こうして日産自動車主導の下に、再び安川研究室は高性能スポーツカー『A550X』に携わったが、日産側の事情により1964年(昭和39年)半ばに頓挫した。

共同開発
川上社長はA550X開発中止と見るや、トヨタ自動車専務の豊田英二に相談。ちょうどトヨタ側も280Aのような前例の無い高性能スポーツカーを関東自工で生産できなさそうなことに悩みを抱えていたため、ここに両社のニーズが合致した。
同年12月28日にトヨタ側の開発メンバーがヤマハに赴き、技術提携を結んだ。このときA550X試作車を実見しているが、上述の通り2000GTのシャーシの基本設計は各種計算含めすでに完成しており、影響されることは無かった。



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翌1965年(昭和40年)1月より、上述のトヨタ側の開発陣がヤマハ発動機に出張しながら、ヤマハの安川研究室の十数名を主導して2000GTの開発プロジェクトを推進していった。開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。計画開始からわずか11か月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られた。



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2000GTの高性能エンジンや良質な内装には、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が大いに役立てられている。ヤマハ発動機は戦時中に航空機用の可変ピッチプロペラの装置を製造していた技術・設備を活用するため、1950年代中期からモーターサイクル業界に参入して成功、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていた。また1950年代後半以降のモーターサイクル業界では、四輪車に先駆けてSOHC・DOHC弁配置の高効率なエンジン導入・研究が進んでいた。このような素地から、ヤマハはトヨタ・クラウンのM型直6エンジンにDOHCヘッドを備えたエンジンを製作することができた。
 
 
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またヤマハ発動機は楽器メーカー(日本楽器製造)から分立した企業で、楽器の材料となる良質木材の扱いに長けていたことを活かし、インストルメントパネルとステアリングホイール(ともに前期型はウォールナット、後期型はローズウッド製)の材料供給・加工までも担当した。
 
 
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一方でそれまでのヤマハの四輪自動車製作は、せいぜいYX30を2台試作するのが限界だったため、一台の自動車をまとめ上げるノウハウはトヨタが一手に引き受けた。またクラッチ・トランスミッション・ディファレンシャルギア・ドライブシャフトなどの駆動系に関してもトヨタ側が設計・供給している。わずかな期間で一台のスポーツカーにできたのは、トヨタの力に拠るところが大きい。


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「開発丸投げ」の誤解の流布
2000GTはその成立過程での2社共同開発体制という特異性に加え、生産についてもヤマハおよびその系列企業に委託されたこともあり、「果たしてトヨタが開発した自動車と捉えるべきか」という疑問が、愛好者、評論家の一部によって呈されている。自動車関係の書籍・雑誌では古くから、さらに近年では個人によるブログ上などでも「トヨタは2000GTの自力開発ができず、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎない」「金だけ出してトヨタのバッジをつけた」「これは実際には『ヤマハ2000GT』というべきものである」とする辛辣な評、また、「日産・2000GTの試作車はトヨタ・2000GTの原型」と断じる極端な説までもがごく一部で流布されている。
 
しかし実際には前述の通り、ヤマハとの技術提携が結ばれる4ヶ月前からトヨタは開発に着手している。またヤマハ発動機側は2000GTの開発についての公式な言及を、ホームページ上において「トヨタ2000GTの全体レイアウト計画やデザイン、基本設計などはトヨタ側でなされ、ヤマハは同社の指導のもとで主にエンジンの高性能化と車体、シャシーの細部設計を担当した」としており、「開発丸投げ」というのは明らかな誤りである。当時のトヨタは既に自動車メーカーとして30年近くに渡ってノウハウを蓄積している一方、ヤマハは前述の通り試作車2台に留まっており、丸投げでの開発は到底不可能と考えるのが自然である。
 
また「エンジンはヤマハ製」というのも誤りで、当時ヤマハはオートバイ・船外機含め4ストロークエンジンを生産した経験はやはりYX30の4気筒1600ccエンジンだけであった。このため2000GTのエンジンは、トヨタ・クラウン用のM型直列6気筒4ストロークSOHCエンジンをベースに、ヤマハが生産したDOHCヘッドを装備したものになっている。

 

 

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日産での生産が実現していたら Skyline GT-R と 2000GT という車種を持つことになります。

とてもエキサイティングな話ですね。 



追記

A550X に関する記事がありました。

写真も見ることができます。

 



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コメント 4

tochi

その前の歴史
日産の始まりはダットサンと言われていますが、その前があります
(株)クボタが、自動車の事業を始めましたがうまくいかなかったのでダットサンに売却しました
日産の初期の役員には久保田と言う役員がいました
クボタが自動車製造がうまく行っていたら「クボタGTR」です
この事はクボタのホームページに記載されています
by tochi (2019-02-04 21:41) 

センニン

tochi さん、こんばんは。
HP、調べてみました。確かにありますね。
日産の方にはありません。
もしクボタが作っていたらランボルギーニみたいです。
by センニン (2019-02-05 19:12) 

kiyokiyo

センニンさん
こんばんは
トヨタ2000GTは本当に美しい車ですね。
現物はまだ見たことがありませんが、最も好きな車です。
tochiさんのコメントも拝見しました。
トヨタの歴史を感じることができました。

千葉トヨペットさんに展示されているんですね。
僕も見てみたいと思います。
ありがとうございました^^
by kiyokiyo (2019-02-05 19:41) 

センニン

kiyokiyo さん、こんばんは。
もう五十年以上経つ車ですが、日本社の中で海外に誇れる美しさを持つ車といえばこれをおいて他にありません。
何しろボンドカーですしね。
リンクを貼ったサイトなどの情報を読んでみますと日産が作っていたらこのデザインはなかったのだということがわかります。
YAMAHA がこれの生産のために工場を建てたそうですが、車としての品質は TOYOTA の基準でチェックされているそうですし、やはり "TOYOTA" 2000GT ですね。
by センニン (2019-02-05 19:49)