"Air" と "Air on G String" [楽譜]
「G線上のアリア」はヴァイオリンの G線だけで弾けるように編曲したもの、というのが一般的な理解ですが、なぜ ト長調(#二つ)だったものをハ長調にしかも一オクターブ下げたのかという理由ははっきりしません。
編曲したのは名ヴァイオリニストであった Augst Wilhelmj(1845 - 1908)ですが、「ニューグローヴ世界音楽大事典」に当たってみますと意外な記述がありました。
ヴィルヘルミは,当時のすぐれたヴァイオリニストだった。
(中略)
しかし一方では,思慮のないやり方で,バッハの管弦楽組曲ニ長調のアリアを編曲した責任を問われるのも確かである。
「G線上のアリア」が今のように有名になって親しまれている状況を考えるとなぜだろうと考えてしまいます。
ちょっとおさらいしてみますと原曲では ヴァイオリンI が五線の一番上のF# で旋律を弾き始めますが、編曲された「G線上のアリア」では五線の一番下の E で始めます。
上の楽譜はフルート用に編曲(原調で)したものです。
編曲された楽譜には G 線で、1の指でと指示があります。
指示がないと隣の D線で始めてしまうかもしれません。
それでもいいわけですが、ヴィルヘルミは G線で、と指示したわけです。
原曲の一番低い音は五線の真ん中の A なので二番目の弦(A線)で全て弾くことができます。
それ以外のパートをピアノに担当させればヴァイオリン一本で演奏することができます。
落ち着いた響きを求めて1オクターブ下げたとしても、G線だけで演奏することは可能です。
なぜ更に長二度(一音)下げたのかという点が謎として残ります。
G線だけで演奏するのならオクターブ下げただけでも良いはずです。
敢えて調を変えたのは何故なのでしょう?
興味深い記述を見つけたのは中村洋子さんの本です。
(株)ディスクユニオンの出版物ですが、先日立ち寄ったアカデミア・ミュージックで購入しました。
P.112 からの部分ですが、P.115 に
バッハを楽器に合わせて調を変え、恣意的に派手に、音をゴージャスにたくさん加えるということは、バッハの有機的構造を理解せず、バッハの世界を壊しているのです。しかし、バッハには「無伴奏チェロ組曲第5番 c-Moll ハ短調」を、「リュート組曲 g-moll ト短調」に《編曲》した作品があります。これは、上記で指摘する気ままな編曲ではなく、バッハが「g-Moll」により再創造した曲ととらえなければなりません。この曲につきましては、別の機会に詳しく分析する予定です。
バッハに限らず、作曲家は自分の作品の調を変えて、新たに別の楽器で演奏できるよう《編曲》している例はたくさんあります。それらのどの作品も新たな創作と言えます。見かけ上の効果を狙い、本来のフォルムを破壊する編曲とは、全く別次元の話です。「悪い編曲」と「作曲家本人による編曲」とは、峻別すべきです。
とあります。
「ニューグローヴ世界音楽大事典」の記述はそういうことを言っているのかもしれません。
「G線上のアリア」ですが、編曲したことの善し悪しは別としまして、ヴィルヘルミの原曲した譜面をヴァイオリンで演奏する場合はこう呼べますが、それ以外の楽器で演奏する場合は「G線」を使うわけではないので本来はそうは呼べないと思います。
まして調が異なる原曲の演奏を「G線上のアリア」と呼ぶのは再考する必要があるのではないかと思います。
ここに掲載した楽譜はヴァイオリン I と II をフルート二本で演奏するようにしています。
もちろん原調です。
以前演奏したことがある物ですが、現在手直し中です。
再度取り上げることがあるかもしれません。
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