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フリードリヒ大王と KPM [KPM]

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フリードリヒ大王(フリードリヒ II 世)と言えば音楽に関わるものとしてはフルートを演奏し、クヴァンツを先生とし、C.Ph.E.Bach の雇い主で J.S.Bach の「音楽の捧げもの」のテーマを提示した等々の事が思い浮かびますが、KPM と深い関わりがあった事を最近知りました。


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Wikipedia によれば生没年は 1712年 と1786年。
在位は 1740年から。

父のフリードリヒ I世が音楽などには全く理解がないなど生い立ちには知らなかった事が多々あります。
オーストリアの後の女帝マリア・テレジアとの縁談も検討された(推したのはアウガルテンの磁器に名を残すプリンツ・オイゲン)ようですが、実現しなかったそうで、どういう経緯か即位後にハプスブルク家の領地に侵攻して以来マリア・テレジアとは宿敵の間柄になってしまったそうです。

そのマリア・テレジアの生涯は 1717年から 1780年まで。
フランスのルイ16世に嫁いだマリー・アントワネット(マリア・アントニーア)が生まれたのが 1755年。
モーツァルトが「お嫁さんにしてあげる」と言ったというエピソードが有名ですが、そのモーツァルトの生年は 1756年です。

さてマリア・テレジアは侵攻された領地の奪還を画策していましたがそれに先ずるようにフリードリヒ II 世は 1756年8月に「7年戦争」を始めます。ちょうどモーツァルトが生まれた年(生まれたのは1月)ですね。
戦争が終結したのは 1763年2月。

そして KPM がフリードリヒ大王によって創業されたのが 1763年9月。
後にマイセンで白磁を製造する事に成功するベトガーは 1701年に大王の父にベルリンから追われてマイセンの地で職を得ます。
白磁の製造に成功するのが 1709年。
大王はその事を面白く思っていなかったようです。


J.S.Bach と会うのが 1747年、バッハ 62歳、大王 35歳のときです。
カール・フィリップ・エマヌエルが大王に仕えたのは 1740年から。

大王はフルート・ソナタだけでも 121曲作っているほか、協奏曲や行進曲も作っているそうです。
ジャガイモを普及させたのが大王だったとは知りませんでいた。


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これは Wikipedia に掲載されているサン・スーシ宮の現在の内部です。
完成は 1745年。
さぞや豪華な宮殿、と思いきや部屋数わずか10あまりの平屋建ての小さな建築なのだそうです。

冒頭の絵の作者はアドルフ・メンツェル。
描かれたのは1857年。想像図です。
この部屋であの絵のような光景が繰り広げられたのかもしれませんね。


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コメント 2

yoko-minato

絵画は当時の様子を教えてくれる貴重な
財産でもありますね。
マイセンの歴史・・・古いんですね。
by yoko-minato (2013-05-23 07:07) 

センニン

yoko-minato さん、こんばんは。
これは想像図ですが、天井から下がった照明など実際の部屋と同じですね。この部屋で描いたのかもしれませんね。


マイセンは最も有名でお値段も庶民的ではありませんが、品質はその名に恥じぬものです。
300年の歴史を誇ります。
KPM がその作品の質の割には知られていないのは一般向けの製品を作らなかかったからで、その点ではフランスのセーヴルにも通じますね。
by センニン (2013-05-23 21:32) 

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